じゅうりんじ
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十輪寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年03月19日(日)
参拝:2023年3月吉日
浄土宗西山禅林寺派 宝瓶山 十輪寺
法然上人二十五霊場 第三番札所
勝尾寺で入手した法然上人二十五霊場の納経帳を持ってお参りさせていただきました。
高砂神社の近くなので今までお参りしていなかったのが不思議なくらいです。
とても立派な山門にまずは感動。
山門向かって右側には「圓光大師」の文字があることからも法然上人と関わりが深いお寺であることがわかります。
「圓光大師」とは、法然上人が入滅された建暦2年(1212年)から500年後の正徳元年(1711年)東山天皇から贈られた大師号になります。
本堂外から合掌ののち、境内をしばらく散策させていただきました。
そして庫裏に入り御朱印をお願いすると、庫裏の中に上げていただき廊下を進んで本堂に通していただけました。
本堂はとても広く、欄間の彫刻にまた感動。
言葉では言い表せない素晴らしさなので、ぜひ皆さんにも直接見ていただきたいですね。
ご本尊 阿弥陀如来
縁起 ~法然上人二十五霊場HPより~
宝瓶山十輪寺は、弘法大師空海が中国に渡航の際、海上に地蔵菩薩出現の霊感を受け帰国され、弘仁6年(815)に「地蔵十輪経」の教旨に基づき、勅命により、鎮護国家の祈祷所として創建され、地蔵山十輪寺と号した。
約400年後の建永2年(1207)法然上人が讃岐に御配流の途中、この港に立寄られ、漁夫の八田治部太夫老夫婦を始め、数多くの人を化益されたところである。漁夫は上人のみちびきをうけて、その後念仏に帰し、後に立派に往生したとつたえられる。
その後、大永7年(1527)堺の僧十万上人が小松の庄生福寺より法然上人自画賛の「宝瓶の御影」を得て帰る途中、当寺に立寄りこれを奉納されてより、山号を「宝瓶山」と改められた。
法然上人二十五霊場 第三番札所
勝尾寺で入手した法然上人二十五霊場の納経帳を持ってお参りさせていただきました。
高砂神社の近くなので今までお参りしていなかったのが不思議なくらいです。
とても立派な山門にまずは感動。
山門向かって右側には「圓光大師」の文字があることからも法然上人と関わりが深いお寺であることがわかります。
「圓光大師」とは、法然上人が入滅された建暦2年(1212年)から500年後の正徳元年(1711年)東山天皇から贈られた大師号になります。
本堂外から合掌ののち、境内をしばらく散策させていただきました。
そして庫裏に入り御朱印をお願いすると、庫裏の中に上げていただき廊下を進んで本堂に通していただけました。
本堂はとても広く、欄間の彫刻にまた感動。
言葉では言い表せない素晴らしさなので、ぜひ皆さんにも直接見ていただきたいですね。
ご本尊 阿弥陀如来
縁起 ~法然上人二十五霊場HPより~
宝瓶山十輪寺は、弘法大師空海が中国に渡航の際、海上に地蔵菩薩出現の霊感を受け帰国され、弘仁6年(815)に「地蔵十輪経」の教旨に基づき、勅命により、鎮護国家の祈祷所として創建され、地蔵山十輪寺と号した。
約400年後の建永2年(1207)法然上人が讃岐に御配流の途中、この港に立寄られ、漁夫の八田治部太夫老夫婦を始め、数多くの人を化益されたところである。漁夫は上人のみちびきをうけて、その後念仏に帰し、後に立派に往生したとつたえられる。
その後、大永7年(1527)堺の僧十万上人が小松の庄生福寺より法然上人自画賛の「宝瓶の御影」を得て帰る途中、当寺に立寄りこれを奉納されてより、山号を「宝瓶山」と改められた。
山門(仁王門)
享保10年に大阪大念仏寺の門を模して建立
享保10年に大阪大念仏寺の門を模して建立
山門の扉
とても重厚感があります
とても重厚感があります
本堂
元禄6年(1693年)、中興24世律空悦道上人が入山し再建
元禄6年(1693年)、中興24世律空悦道上人が入山し再建
鎮守社鞘堂
大玄関
小玄関
庫裏
本堂内の欄間彫刻
庫裏から本堂へと向かう廻廊から見ることができる庭園
すてき
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