おのえじんじゃ
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尾上神社の御朱印・御朱印帳
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尾上神社(おのえ神社)
~追憶~
オノエへ イノー
オノエへ イノー
(尾上へ 帰ろう)
高砂の尾上の鐘の音すなり
暁かけて霜や置くらん
主祭神 住吉大明神
創建 神功皇后時代
例祭日 9月30日
主神事 1月13日(ワーワーの頭)
神功皇后が三韓征伐の際に、この地に上陸したが長雨のために船を進めることが出来なかったため、「鏡の池」で潔斎沐浴して晴天を祈願し、住吉大明神を勧請したことが、当神社の起源といわれます。
境内には謡曲「高砂」に謡われた相生霊桧「尾上の松」があり、現在の松は7代目、8代目・9代目も育っています。
国重要文化財の「尾上の鐘」も代表的な朝鮮鐘として有名です。
「尾上の鐘」にはその昔、海賊に盗まれて海に沈められた後、漁師の手によって引き上げられ高野山に奉納されましたが、鐘をつくたび「オノエへ イノー オノエへ イノー」と聞こえたため、尾上神社に戻されたという伝説があります。
大村神社(摂社)
御祭神
大村大神
大巳貴大神
歳神社 大年大神
御由緒
古来、大村神社・歳神社とも旧長田村の地神様として信仰されておりました。 特に大村神社は、「ワーワーの頭」の大村講の神社として信仰されておりました。 大村神社は、旧長田村の北西の旧今福村との境に、歳神社は旧長田村の西の旧養田村との境にそれぞれ鎮座しておりましたが、明治39年官無格神社の合併奨励の通達があり、明治42年10月19日の両者を合併し、旧長田村の崇敬者等の篤志をえ、大村神社の社殿を尾上神社の境内に修理移転し遷座いたしました。
その後、昭和35年に一度修理を致しましたが、平成3年9月の台風19号の猛威により崩壊し、氏子・崇敬者の厚き御篤志を戴き今回本殿修理工事に併せてて、改築を計画し平成4年12月25日に竣工。
都恋しき片枝の松
神功皇后の御あとをしたって 枝葉ことごとく東に向って張ったといわれます。
その形状は、あたかも龍のうずくまった様にて、千戴霜におごる色深く、誠に希世の老松でしたが、昭和二十四年枯死。 現在は三代目になります。
銅鐘(どうしょう・尾上の鐘)
国指定重要文化財
1口
高 123.5cm 口径 73.5cm 高麗時代(11世紀)
所有者・管理者 尾上神社
指定年月日 明治34年8月2日
「高砂の尾上の鐘の音すなり 暁かけて霜や置くらん」
と千載集に詠まれた尾上の鐘は、古来、尾上の松とともに人々に広く賞賛された名鐘である。
上下に幅広の帯をつけ、乳廊を豊かにとっている。 袈裟襷による区画はなく、広い空地の部分中央に光背を負って蓮台に坐った如来が一体浮彫りされ、頭上に天蓋が浮び、左右に各々3個の小さな楽器が紐を翻し飛んでいる。 更にその左右に一体ずつの天女が、中央の如来を奉安するかのように寄り添っていく。 誠に優美典麗な図様である。 全体の形、龍頭部、上下帯の様子等とともに朝鮮鐘の典型を示している。 同じ鋳型で造られた在盤渉調(洋楽のシ音に近似)であるが、わずかに割れ目がありその音色を聞くことができない。
加古川市尾上町長田字尾上林518
=神戸新聞NEXT より=
元日朝8時半。初詣の人波が絶えない尾上神社から好崎泰州(よしざきひろくに)宮司(60)が車に乗り込んだ。
阿閇(あえ)神社(播磨町)、崎宮(さきのみや)神社(加古川市)など七つの神社を時間刻みで回る。それぞれの神社の宮司を兼ねる好崎宮司の新年の大切な役目だ。 そんな好崎宮司が祖父や父と同様、心を砕いているのが、「尾上の松」と「尾上の鐘」という尾上神社に伝わる二つの名物を引き継ぐことだ。いずれも江戸後期に出版された当時の観光ガイドブック「播州名所巡覧図絵」にも描かれ、尾上神社は旅人にはとびっきりの観光スポットだった。 「尾上の松」は、クロマツとアカマツが寄り添って枝を伸ばす姿が夫婦のようにみえることから、播磨地方の名松として知られる。社伝によると、初代「尾上の松」は樹齢約700年の1596年、羽柴秀吉軍による三木城攻めの頃、毛利勢が薪にするために伐採したとされる。現在は7代目で高さは約10メートル。随身門(国登録有形文化財)をくぐって右手にある。 近年はマツクイムシの被害に遭うケースが相次いでいるため、好崎宮司は常に次の松を用意しておこうと、マツクイムシに強い松を求め、7年前に盆栽が盛んな高松市の鬼無地区にたどり着いた。クロマツにアカマツを接ぎ木してもらい、1年半ほどして尾上神社に運んだ。現在は2本の松が境内で生育スピードを調整しながら、8代目、9代目として登場する日に備えている。
もう一つの名物の「尾上の鐘」は国の重要文化財。11世紀初めごろに朝鮮半島で作られたとみられる銅鐘で、楽器を奏でる飛天の姿が優美だ。江戸時代に編まれた「播磨鑑」には、海賊に奪われ、しばらく水中にあったとの伝承が記されている。戦時中は供出を免れるため土中に埋められたという。 阪神・淡路大震災後、好崎宮司が国にかけ合って新しい収蔵庫ができた。鐘の下部の縁には以前からひびが入っており、もはや美しい音が町中に響き渡ることはない。好崎宮司の許可を得て軽く手でたたくと予想より高めの音が返ってきた。
🌸🌸🌸
尾上神社好崎泰州宮司さまにご挨拶して参りました。2年半前?3年前に住吉大社の御朱印帳と曽根天満宮の御朱印帳をお持ちした所、大変お喜び頂き、『色ペン』で『霊松 尾上の松 相生の松』『謡曲 高砂の名所』とお書き入れ下さいました。9月に、阿閇神社の御朱印もあちらで授与しますのでいらっしゃい と仰って下さいましたが、叶いませんでした。
姫路藩 高砂染 意匠の御朱印帳 お書き入れ頂くのは、尾上神社さまから🌸と決めていました。
新宮司(ご子息)さまに、お書き入れ頂き拝受できました。
「今日が、父の納骨です」
戎さんのような、福ふくしさはご子息に受け継がれていました。💙
ありがとうございました。
七代目 尾上の松 (相生の松)
相生 仲良しさん💙
前宮司さまに 色ペンで
『謡曲 高砂の名所』(住吉大社御朱印帳へ)
『霊松 尾上の松 相生の松』(曽根天満宮御朱印帳へ)
お書き入れ戴きました 大切な御朱印です
ご子息の新宮司さまにお書き入れ戴いた御朱印です
都恋しき片枝の松
八代目 尾上の松 (相生の松)
尾上の鐘 銅鐘堂
摂社 大村神社
拝殿に🕊️さん
尾上神社(おのえ神社)
~追憶~
オノエへ イノー
オノエへ イノー
(尾上へ 帰ろう)
高砂の尾上の鐘の音すなり
暁かけて霜や置くらん
主祭神 住吉大明神
創建 神功皇后時代
例祭日 9月30日
主神事 1月13日(ワーワーの頭)
神功皇后が三韓征伐の際に、この地に上陸したが長雨のために船を進めることが出来なかったため、「鏡の池」で潔斎沐浴して晴天を祈願し、住吉大明神を勧請したことが、当神社の起源といわれます。
境内には謡曲「高砂」に謡われた相生霊桧「尾上の松」があり、現在の松は7代目、8代目・9代目も育っています。
国重要文化財の「尾上の鐘」も代表的な朝鮮鐘として有名です。
「尾上の鐘」にはその昔、海賊に盗まれて海に沈められた後、漁師の手によって引き上げられ高野山に奉納されましたが、鐘をつくたび「オノエへ イノー オノエへ イノー」と聞こえたため、尾上神社に戻されたという伝説があります。
大村神社(摂社)
御祭神
大村大神
大巳貴大神
歳神社 大年大神
御由緒
古来、大村神社・歳神社とも旧長田村の地神様として信仰されておりました。 特に大村神社は、「ワーワーの頭」の大村講の神社として信仰されておりました。 大村神社は、旧長田村の北西の旧今福村との境に、歳神社は旧長田村の西の旧養田村との境にそれぞれ鎮座しておりましたが、明治39年官無格神社の合併奨励の通達があり、明治42年10月19日の両者を合併し、旧長田村の崇敬者等の篤志をえ、大村神社の社殿を尾上神社の境内に修理移転し遷座いたしました。
その後、昭和35年に一度修理を致しましたが、平成3年9月の台風19号の猛威により崩壊し、氏子・崇敬者の厚き御篤志を戴き今回本殿修理工事に併せてて、改築を計画し平成4年12月25日に竣工。
都恋しき片枝の松
神功皇后の御あとをしたって 枝葉ことごとく東に向って張ったといわれます。
その形状は、あたかも龍のうずくまった様にて、千戴霜におごる色深く、誠に希世の老松でしたが、昭和二十四年枯死。 現在は三代目になります。
銅鐘(どうしょう・尾上の鐘)
国指定重要文化財
1口
高 123.5cm 口径 73.5cm 高麗時代(11世紀)
所有者・管理者 尾上神社
指定年月日 明治34年8月2日
「高砂の尾上の鐘の音すなり 暁かけて霜や置くらん」
と千載集に詠まれた尾上の鐘は、古来、尾上の松とともに人々に広く賞賛された名鐘である。
上下に幅広の帯をつけ、乳廊を豊かにとっている。 袈裟襷による区画はなく、広い空地の部分中央に光背を負って蓮台に坐った如来が一体浮彫りされ、頭上に天蓋が浮び、左右に各々3個の小さな楽器が紐を翻し飛んでいる。 更にその左右に一体ずつの天女が、中央の如来を奉安するかのように寄り添っていく。 誠に優美典麗な図様である。 全体の形、龍頭部、上下帯の様子等とともに朝鮮鐘の典型を示している。 同じ鋳型で造られた在盤渉調(洋楽のシ音に近似)であるが、わずかに割れ目がありその音色を聞くことができない。
加古川市尾上町長田字尾上林518
=神戸新聞NEXT より=
元日朝8時半。初詣の人波が絶えない尾上神社から好崎泰州(よしざきひろくに)宮司(60)が車に乗り込んだ。
阿閇(あえ)神社(播磨町)、崎宮(さきのみや)神社(加古川市)など七つの神社を時間刻みで回る。それぞれの神社の宮司を兼ねる好崎宮司の新年の大切な役目だ。 そんな好崎宮司が祖父や父と同様、心を砕いているのが、「尾上の松」と「尾上の鐘」という尾上神社に伝わる二つの名物を引き継ぐことだ。いずれも江戸後期に出版された当時の観光ガイドブック「播州名所巡覧図絵」にも描かれ、尾上神社は旅人にはとびっきりの観光スポットだった。 「尾上の松」は、クロマツとアカマツが寄り添って枝を伸ばす姿が夫婦のようにみえることから、播磨地方の名松として知られる。社伝によると、初代「尾上の松」は樹齢約700年の1596年、羽柴秀吉軍による三木城攻めの頃、毛利勢が薪にするために伐採したとされる。現在は7代目で高さは約10メートル。随身門(国登録有形文化財)をくぐって右手にある。 近年はマツクイムシの被害に遭うケースが相次いでいるため、好崎宮司は常に次の松を用意しておこうと、マツクイムシに強い松を求め、7年前に盆栽が盛んな高松市の鬼無地区にたどり着いた。クロマツにアカマツを接ぎ木してもらい、1年半ほどして尾上神社に運んだ。現在は2本の松が境内で生育スピードを調整しながら、8代目、9代目として登場する日に備えている。
もう一つの名物の「尾上の鐘」は国の重要文化財。11世紀初めごろに朝鮮半島で作られたとみられる銅鐘で、楽器を奏でる飛天の姿が優美だ。江戸時代に編まれた「播磨鑑」には、海賊に奪われ、しばらく水中にあったとの伝承が記されている。戦時中は供出を免れるため土中に埋められたという。 阪神・淡路大震災後、好崎宮司が国にかけ合って新しい収蔵庫ができた。鐘の下部の縁には以前からひびが入っており、もはや美しい音が町中に響き渡ることはない。好崎宮司の許可を得て軽く手でたたくと予想より高めの音が返ってきた。
🌸🌸🌸
尾上神社好崎泰州宮司さまにご挨拶して参りました。2年半前?3年前に住吉大社の御朱印帳と曽根天満宮の御朱印帳をお持ちした所、大変お喜び頂き、『色ペン』で『霊松 尾上の松 相生の松』『謡曲 高砂の名所』とお書き入れ下さいました。9月に、阿閇神社の御朱印もあちらで授与しますのでいらっしゃい と仰って下さいましたが、叶いませんでした。
姫路藩 高砂染 意匠の御朱印帳 お書き入れ頂くのは、尾上神社さまから🌸と決めていました。
新宮司(ご子息)さまに、お書き入れ頂き拝受できました。
「今日が、父の納骨です」
戎さんのような、福ふくしさはご子息に受け継がれていました。💙
ありがとうございました。
七代目 尾上の松 (相生の松)
相生 仲良しさん💙
前宮司さまに 色ペンで
『謡曲 高砂の名所』(住吉大社御朱印帳へ)
『霊松 尾上の松 相生の松』(曽根天満宮御朱印帳へ)
お書き入れ戴きました 大切な御朱印です
ご子息の新宮司さまにお書き入れ戴いた御朱印です
都恋しき片枝の松
八代目 尾上の松 (相生の松)
尾上の鐘 銅鐘堂
摂社 大村神社
拝殿に🕊️さん
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