ふくでんじ|曹洞宗|大津山
福田寺のお参りの記録一覧
兵庫県加古川市にあるお寺です。
山号は大津山 宗旨宗派は曹洞宗 ご本尊は十一面観音です。
606年に聖徳太子が開基したと伝わります。
文化財の石造十一重塔(兵庫県指定文化財)を有します。
南北朝時代から室町時代にかけては 赤松氏の帰依を得 赤松則村(1277年~1350年)や赤松政則(1455年~1496年)が堂宇を建立・改修したそうです。
ご住職にはお会いできなかったのですが 境内には入らせていただきました。
苔大好き人間は すぐに地面を見てしまいます。
いいですねぇ 最近自宅でも鉢で苔栽培を始めたんです。
何か植物を冬越えさせるための工夫だと思うのですが かわいらしいものを見つけました。
お寺さんはお庭を維持するのが大変ですね。
立派な山門と石柱
これも寺額でいいのかな?
本堂の屋根にはシャチホコでしょうか 苔がいい具合です
冬を越すための工夫でしょうか 何が植わっているのでしょう
大津山 福田寺(ふくでんじ)
~現代のドラマ・加古川の西大寺
福田寺 💠 四季草花の寺~
小塩誾童(おじおぎんどう)老師
宮崎奕保(えきほ)禅師
宮崎和朗(わろ)和尚
山号 大津山
宗派 曹洞宗
御本尊 十一面観世音菩薩(非公開)
創建年 606年
開基 聖徳太子
札所等
加古郡西国第三十番
御詠歌
ありがたや あまがしたみな
さんぼうの
ふくをかうむる たてらなりけり
福田寺御縁起
伝承によれば、飛鳥時代(7世紀はじめ)に聖徳太子によって開かれたとされます。
鎌倉時代末期〜南北朝時代(13-14世紀)に
活躍した赤松円心(則村)によって開基、
赤松氏の庇護のもと、堂宇が整備されました。
文禄五年に禅宗(曹洞宗)に改められました。
山号となっている「大津山(だいしんざん)」は、もとは加古川河口の渡り・大津付近に位置していたことに由来するそうです。
現在は加古川河口が堆積によって南下したため、その名残を山号に伝えられるそうです。
当山では宮崎奕保禅師様の首先住職地(最初に住職に任命されたお寺)であることを記念する石碑を建立し、永代供養塔(1枚目の観音さまの後姿)のそばには歴代住職のおひとりとして祀られております。
大本山永平寺七十八世・
福田寺十八世 栴崖奕保禅師
福田寺の御先代、第十八世宮崎奕保禅師様
「宮崎奕保(えきほ)」という僧名は、名前である「保」に加えた「奕」の字は、小塩師匠が尊敬していた明治の傑僧、諸嶽奕堂(もろたけえきどう)禅師の名前からいただかれたそうです。
平成5年(1993年)に大本山永平寺第七十八世貫首に就任されました。その後、世寿百八歳にて平成18年(2008年)に御遷化なされるまで、曹洞宗管長職を歴任され、全国各地を巡錫、教化に努められました。
御住職 宮崎和朗和尚(第19代)
石造十一重塔
兵庫県指定文化財の層塔で、高さ3.81mの花崗岩製です。正和2年(1313)の銘があり、鎌倉時代後期のものです。
~加古川市教育委員会~
稲屋構居跡
「播磨鑑」や「播州古城記」によれば、東西27間、南北32間で、中世の雁南荘稲屋村の1丁西に位置し、稲屋殿と呼ばれる人物の城館です。
稲屋村は、中世には「大津稲屋」とか「稲屋千軒」と呼ばれ、加古川河口の船着場として大いに栄えたようです。
平成17年3月
加古川市文化財保護協会
稲屋は、『日本書紀』に「鹿子の水門(かこのみなと)」が加古川の河口部にあったという場所です。
~※「ひろかずさんの日記」より~
浄書写扁額(観音経)
埼玉県川越市 柳明雲(女流書道師範)奉納
加古川市文化財保護協会
宮崎和朗(第19代) 御坊守様のご説明より
大野の常楽寺は鎌倉時代後期の真言律僧である文観上人ゆかりの寺院です。
(加古川町大野1762番地)
福田寺
加古川市加古川町稲屋607
079 422 5848
舎利殿後方より
御本堂
瓦がまた素晴らしく✴
奥様が微笑んでいらっしゃり、
思わず拝んでしまいました♡
どうぞお上がりください✴
加古川市には 24もの曹洞宗寺院がおありになるとのことです
福田寺の御先代、第十八世宮崎奕保禅師様
「宮崎奕保(えきほ)」という僧名は、名前である「保」に加えた「奕」の字は、小塩師匠が尊敬していた明治の傑僧、諸嶽奕堂(もろたけえきどう)禅師の名前からいただかれたそうです。
平成5年(1993年)に大本山永平寺第七十八世貫首に就任されました。その後、世寿百八歳にて平成18年(2008年)に御遷化なされるまで、曹洞宗管長職を歴任され、全国各地を巡錫、教化に努められました。
宮崎禅師様は加西市の生まれで、当山にて10歳の時に第十七世小塩誾童大和尚のもとで得度されました。厳しい誾童師のもとで修業に励まれ、師が御遷化されたのち、29歳にて当山十八世に就任されました。爾来、札幌中央寺に移られるまで46年の長きにわたり、福田寺の御住職をお勤めになりました。その間、大本山永平寺で単頭職、後堂職を歴任され、本山でも修行僧の指導に当たられました。後堂職にあられたときに粟粒結核を患われ、帰山後も長期の入院を余儀なくされ,生死の境をさまよわれたこともありました。75歳のときに、札幌・中央寺に移られたのちは、大本山永平寺監院、同副貫首を歴任され、上述のように、平成5年には92歳という高齢で大本山永平寺貫首に就任されました。
第十八世宮崎奕保禅師 104歳の時の書
「壱百二、二」(102+2)とお書きになる所がユーモアがおありになるでしょう♡と、現御住職奥様
※石川昌孝氏の書かれた『坐禅をすれば善き人となる-宮崎奕保禅師、百八歳の生涯』(講談社)
著者の石川氏はNHKのディレクターで、奕保氏の修行の日々を描いた「永平寺104歳禅師」等々、永平寺そして永平寺の禅僧、特に管主の奕保氏の修行のようすについての番組を製作されています。
~※「ひろかずさんの日記」より~
普應殿
御本堂
京間・本間より大きな畳だそうです
柱の大きさにより畳の大きさが異なります 本間より大きな畳があるなんて✴初めて知りました
浄書写扁額(観音経)
埼玉県川越市
柳明雲(女流書道師範)奉納
鳳凰
宮崎和朗(第19代) 御住職奥様に
開山室までご案内頂きました
開山室
招寶七郎大権現修利菩薩
大権現さまは、海🌊をもお守りくださる菩薩さまではなかったかしら? 手をかざして遠くをご覧になられている様子にお見受けできますでしょ?♡
達磨大師
地蔵堂
地蔵堂
ごめんなさいね。傷んだままで。
今年に入り戸を壊されて、、、
私は気がつきませんでしたが、鍵の所が微かに破損されていました
心が傷みます
💠フウセントウワタ(風船唐綿)
風船唐綿の種⭐
💠ヒオウギ(檜扇)
💠耐寒マツバギク
境内は1年を通して草花が咲くそうです
まさに四季草花の寺💠
山門
不許葷酒入山門
多く禅宗の寺の門前に立つ結戒の一つ
臭気の強い野菜は他人を苦しめるとともに自分の修行を妨げ、酒は心を乱すので、これを口にしたものは清浄な寺内にはいることを許さないということ
💠フウセントウワタ(風船唐綿) 花
寺号碑 御詠歌と風船唐綿🎈
💠こんな可憐な花から、握り拳大の種⭐になるなんて💠
松の剪定をされていらっしゃいましたが、お手を止めて御朱印をお書き入れくださいました
宮崎和朗(わろ)和尚
和朗和尚様も、中学2年生で福田寺へ入山され、宮崎奕保禅師の元、総持寺・永平寺にて修行され大学でも学ばれていらっしゃいます。(奥様談話)
宮崎奕保(えきほ、1901~2008)禅師様は、曹洞宗大本山永平寺の第78世貫首を務めた禅僧。戒律を厳格に守ることで知られ、肉は一切食さず生涯独身を貫き、永平寺歴代最高齢の御住職として100歳を過ぎても若い僧と修行を続けました。NHK番組「永平寺104歳禅師」は宮崎禅師の永平寺での日々を取材、道元禅師の小説を書いている作家・立松和平氏がインタビューされています。そこで語られた言葉。「坐禅ということは真っ直ぐということや。右にも傾かない、左にも傾かない。正直ということや。」「修行をしておるんではなくて当たり前のことをやっておるんや。それよりやることないんだ。」「人間は真似をせないかん。学ぶということは真似をするというところから出ておる。(略) 一生真似しておったら真似がホンマもんや。」「誰に褒められるということも思わんし、これだけのことをしたらこれだけの報酬がもらえるということもない。時が来たならばちゃんと花が咲き、そして黙って、褒められても褒められんでも、すべきことをして、黙って去っていく。そういうのが実行であり、教えであり、真理だ。」
宮崎和朗和尚にご拝顔叶い、奥様に法要の際に是非和尚様の読経を聞きに来て下さいとご案内頂きました。ありがとうございます。
和尚さまにお書き入れ戴きました御朱印を、奥様にお願いして、御本堂の畳の上で撮影させて頂きました。なんと御朱印帳の小さく見えることでしょう。
きっちりと楷書体で、お優しさの伝わる素晴らしい御朱印を拝受することができました。
ありがとうございました。
石造十一重塔
兵庫県指定文化財の層塔で、高さ3.81mの花崗岩製です。正和2年(1313)の銘があり、鎌倉時代後期のものです。
~加古川市教育委員会~
※福田寺の層塔も大野の常楽寺の宝塔も奈良・西大寺の伊派(いは)石工集団の作品と間違いないそうです。伊派の石工集団は、奈良西大寺の真言律宗の抱える石工集団です。
~※「ひろかずさんの日記」より~
稲屋構居跡
「播磨鑑」や「播州古城記」によれば、東西27間、南北32間で、中世の雁南荘稲屋村の1丁西に位置し、稲屋殿と呼ばれる人物の城館です。
稲屋村は、中世には「大津稲屋」とか「稲屋千軒」と呼ばれ、加古川河口の船着場として大いに栄えたようです。
平成17年3月
加古川市文化財保護協会
山門を出ると、寺号碑揮毫宮崎奕保禅師
南には稲屋天神社でした
曹洞宗 大津山(だいしんざん) 福田寺(ふくでんじ)
すぐ南側の稲屋天神社をお参りした際に、こちらにお寺があることを知りふらりとお参りさせていただきました。
帰宅後、こちらのお寺のHPを見ると、歴史の古いお寺であることにびっくり。
福田寺の縁起より
伝承によれば、飛鳥時代(7世紀はじめ)に
聖徳太子によって開かれたとされます。
鎌倉時代末期〜南北朝時代(13-14世紀)に
活躍した赤松円心(則村)によって開基、
赤松氏の庇護のもと、堂宇が整備されました。
文禄年間(16世紀末)には禅宗(曹洞宗)に
改められました。
また先代のご住職、第18世宮崎奕保禅師様は第78世永平寺貫首となられ、曹洞宗管長を歴任されましたとのこと。
写真には収めていませんが、境内には石造十一重塔があり兵庫県の指定文化財となっています。
鎌倉時代後期の作で、後醍醐天皇の側近として活躍した文観房殊音が監修したとか。
現在十一重ですが、本来は十三重塔だったと考えられているそうです。
山門
山門の扁額
本堂
福地蔵
左:十一面観世音菩薩
右:水子地蔵
櫻本稲荷大明神(鎮守堂)
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