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弁財神社 竹嶋神社ではいただけません
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弁財神社 竹嶋神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年10月28日(金)
参拝:2022年10月吉日
弁財神社
竹嶋神社
御祭神 弁財天
稲荷神(宇迦之魂神)
通称 竹嶋大明神
例祭日 10月16日
中島村は古来、丹波川(加古川)の氾濫に苦しめられていましたが、江戸時代に小田原落の領地であったとき、初代代官 市丸四郎様が氾濫の起点になっていた川の分岐点(今の美保里の地)に竹やぶを植えて以来、氾濫が治まり、村は栄えました。
享保元年(1716)、市丸様が、水を治めることを念じて弁財天を、竹やぶの繁茂を願い稲荷様を、竹やぶの傍らに祀ったのがこれら二社の始まりです。
市丸様没後三百年にあたる平成三十年(2018)、末永くその遺徳を偲ぶとともに、今後も中島が繁栄することを願って、市丸様の顕彰碑【享保六年(1721)建立】を納めた市丸様とともに、現在の中島の地に移転しました。
なお、市丸廟は、すぐ西の玄長寺墓地内に移築しています。
平成三十年七月 中島弁財会
~・~・~・~
現在も高砂市美保里には北条陣屋詰代官・市丸四郎の
市丸廟額が掲げられ、弁天堂と同じ敷地の堂には市丸の事績を記した碑文と「恵光院浄慶」と記された墓碑が納められています。
享保一九年(1234)に、家中大谷利左衡門が役用で今市村に詰めた時に住吉神杜を設立し、元文三年(1738)に大坂に移住する際に村に神社の支配権を譲っています。
境内の巨木群
市丸廟のある境内に竹嶋神社があります。その前のイチョウの大木はみごとで、市の記念樹に指定されています。
*『高砂市史(第二巻・近世編)』
*「ひろかずさんのブログ」
参照
境内遷座記念碑より
弁財神社
竹嶋神社
高砂市中島2丁目541
079-447-0645(曽根天満宮)
竹嶋神社
御祭神 弁財天
稲荷神(宇迦之魂神)
通称 竹嶋大明神
例祭日 10月16日
中島村は古来、丹波川(加古川)の氾濫に苦しめられていましたが、江戸時代に小田原落の領地であったとき、初代代官 市丸四郎様が氾濫の起点になっていた川の分岐点(今の美保里の地)に竹やぶを植えて以来、氾濫が治まり、村は栄えました。
享保元年(1716)、市丸様が、水を治めることを念じて弁財天を、竹やぶの繁茂を願い稲荷様を、竹やぶの傍らに祀ったのがこれら二社の始まりです。
市丸様没後三百年にあたる平成三十年(2018)、末永くその遺徳を偲ぶとともに、今後も中島が繁栄することを願って、市丸様の顕彰碑【享保六年(1721)建立】を納めた市丸様とともに、現在の中島の地に移転しました。
なお、市丸廟は、すぐ西の玄長寺墓地内に移築しています。
平成三十年七月 中島弁財会
~・~・~・~
現在も高砂市美保里には北条陣屋詰代官・市丸四郎の
市丸廟額が掲げられ、弁天堂と同じ敷地の堂には市丸の事績を記した碑文と「恵光院浄慶」と記された墓碑が納められています。
享保一九年(1234)に、家中大谷利左衡門が役用で今市村に詰めた時に住吉神杜を設立し、元文三年(1738)に大坂に移住する際に村に神社の支配権を譲っています。
境内の巨木群
市丸廟のある境内に竹嶋神社があります。その前のイチョウの大木はみごとで、市の記念樹に指定されています。
*『高砂市史(第二巻・近世編)』
*「ひろかずさんのブログ」
参照
境内遷座記念碑より
弁財神社
竹嶋神社
高砂市中島2丁目541
079-447-0645(曽根天満宮)
すてき
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住吉大神の宮九箇処
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東村の 神の子 弦申様は
播州一の男前 おとこまえーっ♪
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