うでづかじんじゃ
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腕塚神社ではいただけません
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腕塚神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年01月13日(土)
参拝:2024年1月吉日
兵庫県明石市にある神社です。
山陽電鉄の高架すぐ横にあります。
平清盛は 都を一時神戸の福原に遷したことから 神戸や明石には 平氏にゆかりのある寺社が多くありますが こちらもその一つです。
滅亡した後祀られているということは こちら方面の方々にとっては慕われる存在だったのでしょう。
教科書で学ぶと 「平氏にあらずんば人にあらず」などと どうやねん?的な方ですが 歴史的な人物は多角的に見なければならないと思いました。
明石観光協会さんが紹介されています。
寿永3(1184)年 一の谷の戦で敗れた清盛の末弟 平忠度が 源氏の武将・岡部六弥太忠澄と川をはさんで戦ったことから両馬川と呼ばれるようになりました。
この戦いで 忠度は右腕を切り落とされ もはやこれまでと 念仏を唱え討たれました。
両馬川旧跡の近くには 忠度の右腕を埋めた腕塚神社や 忠度の亡骸を埋葬した忠度塚が残っています。
とありました。
山陽電鉄の高架すぐ横にあります。
平清盛は 都を一時神戸の福原に遷したことから 神戸や明石には 平氏にゆかりのある寺社が多くありますが こちらもその一つです。
滅亡した後祀られているということは こちら方面の方々にとっては慕われる存在だったのでしょう。
教科書で学ぶと 「平氏にあらずんば人にあらず」などと どうやねん?的な方ですが 歴史的な人物は多角的に見なければならないと思いました。
明石観光協会さんが紹介されています。
寿永3(1184)年 一の谷の戦で敗れた清盛の末弟 平忠度が 源氏の武将・岡部六弥太忠澄と川をはさんで戦ったことから両馬川と呼ばれるようになりました。
この戦いで 忠度は右腕を切り落とされ もはやこれまでと 念仏を唱え討たれました。
両馬川旧跡の近くには 忠度の右腕を埋めた腕塚神社や 忠度の亡骸を埋葬した忠度塚が残っています。
とありました。
すてき
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くるくるきよせん2030投稿
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