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高家寺ではいただけません
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高家寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年06月25日(土)
参拝:2022年6月吉日
天台宗 太寺山 高家寺
播州薬師霊場第5番札所
明石城跡から東へ約1kmほどのところになります。
白鳳期(7世紀後半~8世紀初)に建立された太寺という巨大な寺院がこの地にあったそうですが、早い時期に廃寺となったようです。
その太寺廃寺塔跡の土壇・礎石が今も境内の隅に残されています。
高家寺としては、室町時代の永正6年(1509年)に高家寺の住僧が京都祇園の神殿新築に当って上京し、 法華経千部を読誦したという記載が太山寺文書にあるとのこと。
その後三木合戦の折に、高家寺も焼き討ちにあったのではないかと考えられているそうです。
元和年間(1615~1624年)に、初代明石城主・小笠原忠政によって再建。
小笠原忠政(忠真)は徳川家康のひ孫にあたりますが、忠政の正室で本多忠政の娘・五姫(圓照院)の位牌がこちらに安置されています。
小笠原忠政は明石から小倉藩へ転封となったことから、北九州の福聚寺が小笠原家の菩提寺となっているそうですが、五姫の位牌だけが長い間所在不明だったそうで、福聚寺から連絡があり高家寺寺内を捜索したところ見つかったそうで、現在も高家寺にて祀られているそうです。
御本尊は薬師如来坐像ですが、口伝によると、霊亀年間(715~717年)に明石沖から薬師如来像が引き上げられたそうで、それを高家寺の本山である太山寺に安置し、代わりに太山寺の薬師如来坐像をもらいうけ高家寺に奉ったとのこと。
御開帳は8年に一度だそうで、次回は令和9年11月3日だそうです。
今回は播州薬師霊場巡りでお参りさせていただきましたが、ご住職はこのときたまたまご不在だとのことで奥様がご対応くださいました。
本堂に上がらせていただき、焼香をあげさせていただきました。
播州薬師霊場第5番札所
明石城跡から東へ約1kmほどのところになります。
白鳳期(7世紀後半~8世紀初)に建立された太寺という巨大な寺院がこの地にあったそうですが、早い時期に廃寺となったようです。
その太寺廃寺塔跡の土壇・礎石が今も境内の隅に残されています。
高家寺としては、室町時代の永正6年(1509年)に高家寺の住僧が京都祇園の神殿新築に当って上京し、 法華経千部を読誦したという記載が太山寺文書にあるとのこと。
その後三木合戦の折に、高家寺も焼き討ちにあったのではないかと考えられているそうです。
元和年間(1615~1624年)に、初代明石城主・小笠原忠政によって再建。
小笠原忠政(忠真)は徳川家康のひ孫にあたりますが、忠政の正室で本多忠政の娘・五姫(圓照院)の位牌がこちらに安置されています。
小笠原忠政は明石から小倉藩へ転封となったことから、北九州の福聚寺が小笠原家の菩提寺となっているそうですが、五姫の位牌だけが長い間所在不明だったそうで、福聚寺から連絡があり高家寺寺内を捜索したところ見つかったそうで、現在も高家寺にて祀られているそうです。
御本尊は薬師如来坐像ですが、口伝によると、霊亀年間(715~717年)に明石沖から薬師如来像が引き上げられたそうで、それを高家寺の本山である太山寺に安置し、代わりに太山寺の薬師如来坐像をもらいうけ高家寺に奉ったとのこと。
御開帳は8年に一度だそうで、次回は令和9年11月3日だそうです。
今回は播州薬師霊場巡りでお参りさせていただきましたが、ご住職はこのときたまたまご不在だとのことで奥様がご対応くださいました。
本堂に上がらせていただき、焼香をあげさせていただきました。
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