すみよしじんじゃ
住吉神社のお参りの記録一覧
明石市の魚住漁港のすぐ北側に鎮座しています。
すぐ南は瀬戸内海に面しており、砂浜や松が茂り、昼はもちろん夕景もとてもきれいなところです。
平日だったため参拝者はあまりいらっしゃいませんでしたが、七五三の季節には大変込み合います。
さらに夏祭りや秋祭りの際にはさらに多くの方で賑わいますので、お祭りの際には車での参拝は避けるべきでしょうね。
今回、もともと参拝予定はなかったのですが御厨神社からの帰り途中、あまりにも天気がよかったため、どこか景色の良い神社に寄りたいな・・・と思い立ち、急遽お参りさせていただきました。
境内に車を停め、まずは一目散に鳥居方向を目指しました。
そして鳥居前から広がる景色を見たとたん、今日は本当にお参りしてよかったな!と思えるほどきれいな海が広がっていました。
<御祭神>
第一本殿 底筒男命
第二本殿 中筒男命
第三本殿 表筒男命
第四本殿 息長足姫命(神功皇后)
雄略8年(464年)4月初卯日に創建。
正応5年(1292年)本殿を旧社地(住吉公園内東南)より現社地に遷座。
寛永7年(1630年)初代明石藩主小笠原忠政は当社の拝殿を再興。
常夜燈と鳥居
常夜燈越しの景色
魚住漁港
ちょうど魚住丸が停まってました。
では参拝させていただきます
参道の先にはまず神門が見えてきます
神門のすぐ先には楼門
慶安元年(1648年)に建立されたものです
楼門内には左右に木造の狛犬さん
そして楼門と拝殿の間には能舞台
拝殿
本殿
第一から第四まであります
ひな人形も飾られていました
末社
高良社 稲荷社 神明社
末社
大海社 粟島社 天満社 竈神社
手水の兔
最後に社務所前から拝殿と本殿
兵庫県明石市にある神社です。
主祭神は住吉三神である底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)と気長足姫命(おきながたらしひめ=神功皇后)です。
ウィキペディアから借稿
伝承によれば、神功皇后の三韓征伐の際、播磨灘で暴風雨が起こったため、魚住に避難し住吉大神に祈願をすると暴風雨がおさまったという。
凱旋後、神功皇后により住吉大神は摂津国住吉に祀られた。
大阪の住吉大社に伝わる『住吉大社神代記』によれば、住吉大神より「播磨国に渡り住みたい。藤の枝の流れ着く所に祀れ」との託宣があり、藤の枝を海に浮かべると、魚住に流れ着いた。
そこで、雄略天皇8年に当地に住吉大神を勧請したのが当社の創建と伝える。
目の前に明石の海が眺められる 小高い丘に鎮座しています。
楼門には着色された狛犬がいます。(初めて見ました)
拝殿には小舟が飾られており 伝承の避難した船にちなんでいるのかと思います。
近くに公園もあり 浜辺で遊ぶ子供の姿も見られました。
海水浴客もいるようです。
魚住 住吉神社
~初詣と例祭の魚住住吉神社~
主祭神 底筒男命
中筒男命
表筒男命
気長足姫命
社格等 旧県社
創建 雄略天皇8年
例祭 10月最終日曜日
神功皇后の三韓征伐の際、播磨灘で暴風雨が起こったため、魚住に避難し住吉大神に祈願をすると暴風雨がおさまったそうです。大阪の住吉大社に伝わる『住吉大社神代記』によれば、住吉大神より「播磨国に渡り住みたい。藤の枝の流れ着く所に祀れ」との託宣があり、藤の枝を海に浮かべると、魚住に流れ着きました。雄略天皇8年に当地に住吉大神を勧請したのが当社の創建と伝わります。
正応5年(1292年)に現在地に遷座されました。
海上守護、産業、和歌文学の祖神と仰がれ、交通安全、商工業、学業の守護神となっています。また、謡曲「高砂」に住吉、高砂の松の相生にしたとして住吉明神の神徳を称えられ、夫婦円満の神でもあります。
住吉神社の能舞台
明石藩初代藩主 小笠原忠政公(後の忠真公)
寛永4年(1627年)建立
明石市内に残る唯一の能舞台で、山門、楼門、能舞台、拝殿、本殿が一直線に並ぶ東播磨地方の典型的様式を備えており、初代明石城主小笠原忠政(後の忠真)が寛永年間に建立したことが棟札から判明しています。
能が地方まで伝播した江戸時代初期の生活文化と歴史的変遷を知る上で貴重な資料となっています。
なお、周辺の漁船の多くが当神社にちなんで「住吉丸」の船名をつけられています。
住吉神社 万葉歌碑
神亀三年(726)丙寅の秋、聖武天皇の印南野への行幸の折、笠朝臣金村の作る歌。
名寸隅の 舟瀬ゆ見ゆる 淡路島 松帆の浦に 朝なぎに 玉藻刈りつつ 夕なぎに 藻塩焼きつつ 海未通女 ありとは聞けど 見に行かむ よしの無ければ ますらをの 情はなしに 手弱女の 思ひたわみて 徘徊り 吾はぞ恋ふる 舟楫を無み (万葉集 巻六・935)
返)
往きめぐり 見とも飽かめや 名寸隅の 船瀬の浜に しきる白波(同937)
笠金村は、山部赤人らとともに時の宮廷で活躍した万葉歌人です。
聖武天皇は、播磨灘と淡路島とを眼前に見るすぐれた景観の地で、邑美頓宮に七日ほど滞在されています。
印南野とは印南・加古・明石三郡にまたがっていた野で、 現在の明石市から加古川市にかけての直線二十キロ程の 海岸線をもつ臨海の土地。 邑美とは大海で、魚住町・大久保町あたりに広がっていた原野。 邑美頓宮の場所は邑美駅家跡地または西岡の天王神社(薬師院隣)と推定されています。 「名寸隅」とは「魚住」のことである。「名寸」は「魚」の草体。
そして「百人一首」の中の一首に笠金村のこの歌を本歌取りした、藤原定家下記一首は定家自らが代表作として 「百人一首」にも選び入れたほどです。
来ぬ人を 松帆の浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ (新勅撰集恋3) (百人一首97)
~名勝 錦が浦 「わがまちあかし十景」より~
明石市魚住町中尾1031
海の景色が素晴らしく、文化財もたくさんあります。素晴らしい藤棚やアジサイ苑もあります。明石を代表する神社の一つと思います。
残念ながら藤の花は終わっていました。
黄色の藤?
たまたま近くで用事があったため、急遽お参りさせていただきました。
前回はいつだったかな?と思って確認したら、8ヶ月も前でした😅
前回は小雨が降る中の参拝だったので、今回は天気もよく気持ちのよいお参りができました。
雄略8年(464年)創建。
境内のすぐ南側は播磨灘が広がり、今から1500年以上昔の人もこの景色を見ていたのかと思うと感動です。
今回は七五三詣の参拝者も多い中でしたので、御朱印はまた今度。
次は藤の花がきれいな頃にお参りできればと思います。
住吉神社のすぐ南側は魚住漁港。
瀬戸内海は波も穏やかです。
海岸から見た鳥居
鳥居をくぐってまっすぐの参道へ。
七五三詣のご家族が結構いらっしゃいました。
楼門
拝殿
ちょうど七五三のご祈祷中だったため、お邪魔をしないよう末社からお参りすることに。
拝殿西側の末社
椿? と思ったけど山茶花かな?
拝殿北側の末社
本殿 背面から
第一本殿 底筒男命
第二本殿 中筒男命
第三本殿 表筒男命
第四本殿 息長足姫命(神功皇后)
上村孫作歌碑
「藤の下潮の香さして降りゆけば
家島つばらに赤穂の崎も」
赤とんぼが飛んできてくれました!
何かいいこと起こりそう😄
拝殿横に飾られていた絵馬
拝殿・本殿を一周している間に七五三のご祈祷が終わったようなのでゆっくりお参りさせていただきました。
能舞台
七五三詣の撮影用
手水舎
住吉神社ですから、神使の兎さんです
神亀3年(726年)、笠朝臣金村がこの地で詠んだ歌の歌碑です
帰り際、鳥居の向こうに見える海の構図が好きで、またこの写真を撮ってしまいました。
明石南部に複数ある住吉神社のうち、代表となる住吉神社です。
先週周りきれなかったのでリベンジです。
明石南部にある他の住吉神社とはやはり規模が全く違いますね。
464年に創建されたということで、空気も違うような気がしました。
車は神社の東側から回れば数台は停めることができます。
海岸側から見た鳥居
楼門
楼門側から見た鳥居
海岸線には松林が広がっています
水仙が咲き誇っていました
楼門内の狛犬
かなり古そうです。
拝殿
拝殿内に飾られたひな人形
拝殿の後ろには4つの本殿が並んでいます。
第一本殿 底筒男命
第二本殿 中筒男命
第三本殿 表筒男命
第四本殿 息長足姫命
能舞台
境内摂社・末社
そして魚住住吉神社さんへ海のそばにありめちゃめちゃえぇ感じです😌
そして明石城へそしていよいよ次は200投稿になります😊
やっぱり有名な所に『清水寺』で決まりです記念投稿は😉
おまけ明石城です🏯
後ろに明石大橋が🌉
もう一つおまけで明石大橋です🌉
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