いわやじんじゃ
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楽しみ方岩屋神社のお参りの記録一覧

明石港にほど近いところに鎮座する岩屋神社。
久しぶりにあがらせていただいたなぁと思い後からホトカミでチェックすると、なんと前回は5年近く前。
そんなに前だっけ?と思いつつ、年月が経つのが年々早くなっている気がします😅
今回お参りしたのは11月最後の土曜日、ということでまだ七五三詣りの方がいらっしゃるのかな?と思っていたらやはりいらっしゃいました。
そのためできるだけ邪魔にならないようさっとお参り&写真を撮らせていただき、あとは末社巡り。
御朱印をいただきたいところでしたが、お忙しそうだったので今回は遠慮させていただきました。
延喜式神名帳に記載されている播磨国式内社の明石郡九座のうちの一つである伊和都比売神社の論社の一社となっています。
<御祭神>
主祭神:伊弉諾命
配祀神:伊弉冊命 大日霎命 月読命
素盞鳴命 蛭子命
<御由緒>~岩屋神社HPより~
成務天皇13年(143年)6月15日勅命により、淡路島岩屋より御遷になり東播の古大社として古くより崇敬篤く、江戸時代に入ると明石城主の産土神として尊ばれ、例年藩主自らが参拝。社領12石5斗を賜わる。
元文2年(1737年)には藩主松平直常の世継、松平直純が11歳になり「鎧始めの儀」の際に当社に参拝。
以後、世継の鎧始めの儀の際には当社への参拝が慣例となる。
明治7年2月郷社に列し、同12年7月に県社に昇格。
亦当社は式内伊和都比賣神社に比定される。


えびす様像がお出迎え。
「獲ったでー」とどや顔に見えてきます😆



拝殿


本殿後方にある小鳥居。
この小鳥居を潜り抜けて開運祈願をするのですが、今回はやめておきました😅

本殿

稲荷社と八幡社

大国社

御神木の榎


末社七社



今日は暖かい朝です^ ^
【招福の神 明石のえべっさん】におじゃま致しました。
御祭神〜天照大神、伊弉諾命、伊弉冊命
月読命、素戔嗚命、蛭子命
【御由緒、御案内書】抜粋
古来、日本では幸せ(福の神)は海の彼方からやって来ると信じられていて、海からの恵みは神の恵みであると信仰され、時代と共に戎信仰は家内安全や商売繁盛‼︎と信仰を集めました。その性格を併せ持つ岩屋神社⛩️の祭神(戎神)は"えべっさん"と呼ばれ
豊漁、豊作、家内安全、商売繁盛の福の神として明石の人々に尊ばれています^ ^
直ぐ南に漁港があり、漁船も多くて、
土地の皆さんの思いがなんとなく分かりますね!


戎神三昧‼︎の境内でした
福があちこちにありそーな、幸せ色一杯の
境内の一部です^ ^

直書きを頂戴しました^ ^
これも福"ですね

鳥居⛩️前から1枚、右は社務所

御本殿

御本殿内陣

厄除け八幡社

御由緒書き

御神木で樹齢250年‼︎
戦禍の中、唯一残った榎だそうです!

境内末社七社
住吉神社、猿田彦神社⛩️など七社

境内から明石の海🌊が見えます^ ^

明石の神社参り、三社目は明石駅から徒歩10分ほどのところに鎮座する岩屋神社をお詣りしました。御祭神は伊弉諾尊、伊弉冊尊、大日孁尊、蛭子尊、素戔嗚尊、月読尊です。

社名標と戎像です。

御由緒書きです。


拝殿です。

拝殿の扁額です。

戎社の小鳥居です。

八幡社と稲荷社です。

大国社です。

御朱印です。御朱印帳に書き入れしていただきました。

兵庫県明石市にある神社です。
またJR明石駅の近くに戻ってきました。
遠回りしたため御朱印が拝受できる時刻を過ぎてしまいました。
海が観たいなんて思ったからです。でも観たかったんです。
明石駅近くの神社の中では とても有名な神社です。
柿本神社・稲爪神社とともに 七五三など参拝者は多いです。
今日は参拝者がおらず(時間的なものでしょう) 静かにお詣りさせていただきました。
ネット情報です。
ご祭神は 伊弉諾命(いざなぎのみこと)・伊弉冊命(いざなみのみこと)・大日霎命(おおひるめのみこと=天照大神)・月読命(つくよみのみこと)・素盞鳴命(すさのをのみこと)・蛭子命(ひるこのみこと=恵比須神)です。
成務天皇13年(143年)6月15日勅命により 淡路島岩屋より御遷になりました。
岩屋神社は 令和5年に御鎮座1880年を迎えられました。

大鳥居はありません

恵比寿天

社号の石柱

手水舎

由緒書

拝殿

注連縄(?)がかけられていました


拝所 鈴が3つ

境内社 稲荷社

またまた久しぶりのお参りになってしまいました。暑くなる前に、動けるうちに…とりあえず乗り換え要らずで行ける岩屋神社さんへ。
駅から10分以上は歩いたと思います。
静かな街ですね。住宅街をひたすら歩きました。
白く輝いて見えるとても立派な標柱です。まっすぐ奥に拝殿が。早速お参りさせていただきました。
境内もとてもきれいにされていて、清々しい気持ちにさせていただきました。
御朱印も丁寧に対応してくださいました。
すぐ近くに「ふなまち」という明石焼きのお店があり、平日にもかかわらず20人ほどの人が並んでいました。
とっても興味がありましたが、暑い中一人で並ぶ勇気がなく諦めました。
次回リベンジしたいです。














高砂、明石巡り、次は岩屋神社。
143年に淡路島より遷宮という事ですから古社です。鳥居の下から振り返ると海がキラキラしてました。
境内には光源氏が月見をしたという松の木が健在。

拝殿。

御朱印。

ここから入口。右は社務所、

光源氏、月見の松。

大国社。

小鳥居。幅 40 cm を潜って参拝します。結構大変でした。

末社、摂社。よくわかりませんでした。

明石市の材木町では最も参拝者の多かった神社です。
七五三の季節ですね。
この地に鎮座されて188(いわや)0年と書かれていました。
ご祭神はたくさん 伊弉諾命(いざなぎのみこと)、伊弉冊命(いざなみのみこと)、大日霎命(おおひるめのみこと=天照大神)、月読命(つくよみのみこと)、素盞鳴命(すさのをのみこと)、蛭子命(ひるこのみこと=恵比須神)です。
漁港から歩いてすぐの所に鎮座されています。
境内社もとても多いです。
猿田彦神社(猿田彦命)、随神社(豊磐間戸命・櫛磐間戸命)、弓洲恵神社(武甕槌命)、粟島神社(少彦名命)、住吉神社(少童海神)、八幡神社(誉田別尊)、水分神社(水分神・瀬織津彦神・瀬織津姫神・水速女神・彦龍神・比賣龍神・豊玉比賣神・玉依比賣神・底筒男之命・中筒男之命・上筒男之命)、稲荷神社(稲倉魂神)、蛭子社(蛭子命)
これだけたくさん神様がおられたら接待も大変です。
由緒については
成務天皇13年(143年)6月15日勅命により 淡路島岩屋より御遷になり東播の古大社として古くより崇敬篤く 江戸時代に入ると明石城主の産土神として尊ばれ 例年藩主自らが参拝。
社領12石5斗を賜わる。
元文2年(1737年)には藩主松平直常の世継 松平直純が11歳になり「鎧始めの儀」の際に当社に参拝。
以後 世継の鎧始めの儀の際には当社への参拝が慣例となる。
明治7年2月郷社に列し 同12年7月に県社に昇格。
また当社は式内伊和都比賣神社に比定される。
とありました。











本殿裏手に小鳥居が これをくぐるのだそうです




舞子六神社の次は、明石市にある岩屋神社に参拝に行ってきました。
高砂神社に行く時に国道二号線を通りますが、岩屋神社の標識がらあり気になっていましたが、今日は行く事が出来ました。
御祭神(六座)は伊奘諾命、伊弉冊命、おおひるめのみこと(天照大神)、月読命、素戔嗚命、蛭子命(恵比須神)になります。招福の神 明石のえびっさんと呼ばれいます。
お宮参りの家族が参拝に来られてました。
淡路島にある岩屋神社と関係が深いそうです。

入り口には注連縄柱

入り口左には蛭子様がお出迎え。

月見の松

月見の松。源氏物語にこの場所(明石の南)が登場し、光源氏が月見をした場所と言われてます。

由緒書き

本殿

稲荷社

厄除八幡社


末社の7社が書いてあります。

七社

小鳥居の由緒書き

小鳥居


御神木

播磨国明石郡の式内社"伊和都比売神社"の論社です。別名岩屋戎とも言われていますが、恵比寿さまは主祭神に据えられていません。淡路島の北にある石屋神社さんから勧請されたと言われています。

《石門と社号碑》
がっつり恵比寿さんが「とったどー!!」やってるんですけどね。淡路島の石屋神社さんも恵比寿さんであるヒルコさまの誕生した場所とされてますが、祀っているのはイザナギ様、イザナミ様です。

《月見の松》
『源氏物語』の中で光源氏が月見をしたとされる場面のモデルなんだそうです。あの話、平安京から出るんですね…

《手水舎》
この後ろに社務所があり、御朱印いただきました🙏

《境内》
海神社とともに、ここも大祓は旧暦に合わせているようです。

《拝殿》🙏
来年で岩屋神社が御鎮座1880年を迎えるそうです。188(いわや)とのことで。
もうほぼ2000年も待ったなしですね。

《小鳥居》
👁チェックポイント‼️
本殿の裏手に設置されているこの小鳥居。なんでも恵比寿さんは耳が悪いので神様により近い本殿の裏からお参りするんだそうです。この鳥居をくぐってお参りするとのことで、どうにかくぐれました💦
神社でたまに見る「裏参道」文化の顕著な例ですね。

《末社・稲荷社と八幡社》
いつもお世話になって(🤛

《看板》
こちらの神事は「おしゃたか神事」と呼ばれており、淡路島から渡ってきた伝承になぞらえて舟神事が行われています。「おしゃたか」は「いらっしゃったか」が訛った言葉だとされ、淡路島から渡ってきた神様を明石の人たちが迎える情景が浮かびますね。

《近隣の電柱》
今年は無事に祭りができたようです。

岩屋神社
~淡路島岩屋を拝んで 東播の古大社~
御祭神 伊弉諾命
伊弉冊命
大日霎命(天照大神)
月読命
素盞鳴命
蛭子命(恵比須神)
別称 岩屋エビス (西摂大観)
六所大明神(古称)
伊和都比売神社(神名帳考證)
社格 旧懸社
旧地名 東戎町
〔播磨鑑〕大明石中ノ庄
〔特選神名牒〕当津庄中庄村
旧境内地面積 旧坪数1084坪
御由緒
成務天皇13年(143年)6月15日勅命により、淡路島岩屋より御遷になり東播の古大社とし て古くより崇敬篤く、江戸時代に入ると明石城主の産土神として尊ばれ、例年藩主自らが参拝。社領12石5斗を賜わる。
元文2年(1737年)には藩主松平直常の世継、松平直純が11歳になり「鎧始めの儀」の際に当社に 参拝。以後、世継の鎧始めの儀の際には当社への参拝が慣例となる。 明治7年2月郷社に列し、同12年7月に県社に昇格。亦当社は式内伊和都比賣神社に比定される。
(『神名帳私考』『神名帳考證』『神社覈録』『金波斜陽』による)
社殿は、明石海峡をへて淡路島に對し、社の東の明石港には淡路との連絡船が発着する。
当社の北方約300メートルを西国街道が東西に通ずる。
当社付近は古くから大明石村と称し、(慶長播磨國繪圖)市名の起源となった。
『延喜式神名帳』播磨国明石郡に載る伊和都比売神社の論社のひとつです。
創祀以来、稲爪神社、海神社と並んで東播磨地域の古大社として人々の厚い崇拝を受けてきました。特に明石城の産土神として尊ばれ、例年藩主自らが参拝する神社のひとつでありました。
元文2年(1737年)には藩主松平直常の世継ぎ直純が「鎧始めの儀」の際に当社に参拝され、以後、世継ぎの鎧始めの儀の際には当社への参拝が慣例となりました。
海上神事である「おしゃたか祭」で知られます。
おしゃたか舟
毎年7月第3日曜日には、祭神を淡路石屋神社から勧請した際の故事にちなんだおしゃたか舟神事が行われています。
「おしゃたか」とは明石の方言の「おじゃったかなぁ」がなまったもので、「神さまがいらっしゃったか」という意味です。 祭りでは、祭神6柱と、お供のおしゃたか舟(全長約2メートル)9隻を持った氏子の青年らが舟を立ち泳ぎで頭上高く掲げ「オシャタカー」と唱え、前に押し進め渡御式を行う。海難防止と豊漁を祈願する祭です。昭和50年(1975年)に明石市の無形民俗文化財に指定されました。
猿田彦神社(猿田彦命)
随神社(豊磐間戸命・櫛磐間戸命)
弓洲恵神社(武甕槌命)
粟島神社(少彦名命)
住吉神社(少童海神)
八幡神社(誉田別尊)
水分神社(水分神・瀬織津彦神・瀬織津姫神・水速女神・彦龍神・比賣龍神・豊玉比賣神・ 玉依比賣神・底筒男之命・中筒男之命・上筒男之命)
稲荷神社(稲倉魂神)
蛭子社(蛭子命)
光源氏月見の松
光源氏が月見をしたとされる松。
門かぶりの松。
明石市大久保町にある「住吉神社」の宮司さまも兼ねておられ、26社兼務されておられるとのことでした。大変お忙しそうでした。
岩屋神社さまではご子息でしょうか? ご祈祷が終わってから御朱印をお書き入れ下さいました。ありがとうございました。
兵庫県明石市材木町8―10

淡路島







ご祈祷をされていました


波模様は、火災からお守りくださるとのこと




巳さまが棲む楠




蛙さま


大黒さまもいらっしゃいました

御本殿



小鳥居⛩️





岩屋神社御朱印

真直ぐ南を見ると海と島が見えます

左(東)に明石海峡大橋



海辺に小鳥居⛩️

恵比須さまが祀られてありました




お守りは 多幸になります🐙

岩屋神社 御由緒書き
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