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へんしょうじ|浄土宗

遍照寺のお参りの記録一覧
兵庫県 魚住駅

四季
四季
2025年11月10日(月) 10時00分18秒
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お十夜法要 播州魚住太子 

南無阿彌陀佛 
佛説阿彌陀経 

足留山遍照寺 
山号   足留山(そくりゅうざん)
院号   勝鬘院
宗派   浄土宗
御本尊  阿弥陀如来
創建時代 推古天皇五年(597年)
草創   聖徳太子
開基   天平
開山   行基菩薩

魚住の太子さん 長坂寺の遍照寺さまの
お十夜法要 にお参りさせて頂きました

祐崇忌 
浄土宗におけるお十夜法要
明応4年(1495年)に 鎌倉大本山光明寺 の
観誉祐崇上人 が後土御門天皇の勅許を得て、
光明寺で法要を行ったことが始まりとされています。

法話 講師 清水良将上人
仏教とインド🇮🇳のお話 
福井県 善導院御住職 
仏心寺 ブッダガヤのお寺 #republicofIndia
YouTube りょーしょーチャンネル 
越の秀嶺 大原山西福寺末寺

白鹿背山巨徳院東光寺
滋賀県愛知郡
聖徳太子ゆかりの寺院
浄土宗の中本山格の寺
寺伝によると、聖徳太子が薬師如来を安置する
ために本堂を建立し、恵心僧都源信が入寺して
以降、天台宗となる
永禄年間の兵火で荒廃していた寺を、
深誉円知上人によって再興され、
浄土宗となる
三度の火災に遭い、明治26(1893)年に、
営誉経海上人によって再建され、
現在に至っている

御住職の仏説阿弥陀経を拝聴できて
先代御住職の御朱印を拝受
11月8日(土晴天)にお参りしましたが
観誉祐崇上人 のご命日で、御朱印の日付も
11月8日 乙巳 とお書き入れ下さいました🙏📿

長坂寺(ちょうはんじ)
📍 兵庫県明石市魚住町長坂寺513

遍照寺(兵庫県)
遍照寺(兵庫県)
遍照寺(兵庫県)
遍照寺(兵庫県)
遍照寺(兵庫県)
遍照寺(兵庫県)
遍照寺(兵庫県)
遍照寺(兵庫県)
遍照寺(兵庫県)
遍照寺(兵庫県)
遍照寺(兵庫県)
遍照寺(兵庫県)
遍照寺(兵庫県)
遍照寺(兵庫県)
遍照寺(兵庫県)
遍照寺(兵庫県)
遍照寺(兵庫県)

乙巳 11月8日 御朱印

遍照寺(兵庫県)

JR魚住駅前 一番星見つけた♪像

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くるくるきよせん
くるくるきよせん
2025年10月01日(水) 20時35分34秒
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こちらの住所は魚住町長坂寺と言います。
長坂寺?どこを見回してもありません。
実はこの長坂寺は廃寺になってしまい 今は遺跡が残っているだけなのですが それでも地名に残るほどのお寺だったのです。
長阪寺は奈良時代に広大な寺領を擁し栄華を極めていましたが 南北朝の戦乱さらに豊臣秀吉の三木城攻め(天正7年=1578)でほとんどが焼失してしまいました。
現在残っているのは遍照寺と延命寺です。
このあたりは古代山陽道の駅 仮称邑美駅家の跡と言われているそうです。
西国街道になってからも旅人が休んだ茶屋跡もあったようです。
ということで地名紹介になりました。

さて 現存している遍照寺にお参りしました。
道には山門はありません。石段を上がった所にあります。
山門の前にあるのは庫裡?と思いますがその並びで本堂もあります。
比較的新しい建物で屋根の装飾が印象的です。
名前なんだっけなぁこの丸いとげとげ。
本堂横には 大日堂と太子堂があります。
二つのお堂ですが 建物としては一つになっています。
堂宇の前は駐車スペースのようです。公園ぐらいの広さの更地があります。
本堂とお堂で手を合わせたあと 藤棚の下で少し休ませていただきました。
これだけ立派な藤棚だと 5月は相当見事に咲いていることでしょう。

ネット情報です。
聖徳太子が26歳の時 百済の阿佐太子が日本に来日され 大和国の皇居にて数日ご清談の後 明石浦魚住の泊より帰国された。
そのとき順風の風を待つために 当山に足を留められた。
聖徳太子は阿佐太子を見送られた後 再びお泊りになられた夜 白髪の老人が忽然と現れ 聖徳太子に「この深林は常に仏が教えを説く霊地です。」と告げて 白い雲に乗って東へ去って行った。
聖徳太子は老人が現れた場所に 納殿と僧坊を建立し 足留山(そくりゅうざん)長坂寺(ちょうはんじ)と名付けました。
天平12年(740)大僧正行基により 28もの堂塔伽藍塔頭寺院を完備した。
遍照寺はその塔頭寺院の1つ。
壮大な寺領をもっていた長坂寺は 加古川の鶴林寺 揖保郡太子町の斑鳩寺と同じく 聖徳太子のゆかりの寺であることから 当山は「魚住の太子さん」と呼ばれています。
平安時代には花山上皇や和泉式部が参詣され 元弘3年(1333)の鎌倉末期に配流先の隠岐から京都へ帰路 後醍醐天皇が立ち寄り鎮護国家を祈願したと伝える。
建武の新制時ごろに兵火にかかり焼失 通義和尚により再建されるが 戦国末期天正7年(1579)織田方羽柴秀吉勢と三木城城主別所長治との戦で再び焼失しました。
貞享2年(1685)の江戸前期に乗蓮社大誉上人が遍照寺の再興に着手 元禄4年(1691)覚了上人により再興され 昭和55年(1980)實誉桂純が本堂等を建て替え 現在の姿となりました。

遍照寺(兵庫県)

堂宇に上がる石段

遍照寺(兵庫県)

明石四国八十八か所霊場です

遍照寺(兵庫県)

山門

遍照寺(兵庫県)

本堂

遍照寺(兵庫県)

拝所の扁額と鐘

遍照寺(兵庫県)

左は大日堂 右は太子堂

遍照寺(兵庫県)

旅大師

遍照寺(兵庫県)

藤棚 5月に来たらきれいでしょうね

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四季
四季
2023年01月04日(水) 02時45分34秒
544投稿

足留山 勝鬘院 遍照寺

~『魚住の太子さん』浪漫⭐お正月編~

山号   足留山(そくりゅうざん)
院号   勝鬘院
宗派   浄土宗
御本尊  阿弥陀如来
創建時代 推古天皇五年(597)
草創   聖徳太子
開基   天平
開山   行基菩薩

明石郡の長坂寺、賀古郡(加古川市)の鶴林寺、揖保郡太子町の斑鳩寺。
由緒ある長坂寺。
消失したお寺は、大道池の辺り(大まかに、JR西明石駅近く)から奈良時代の瓦が出土したため、
長坂寺はこの辺りでは?という説、
しかしもっと別なところに御本堂があったのではともいわれて、未だに謎のまま。
遍照寺までも今まで幾度も焼失しています。
南北朝の動乱で一度焼失し、その後、
戦国の世、三木合戦のとき別所方だとして
秀吉軍に焼かれてしまいます。
再建されたのは、元禄4年(1691)、
遍照寺の中興の祖といわれる覚了上人でした。
また、境内の墓地には、三木合戦で敗れた別所長治の供養塔だと伝えられている五輪塔も建っています。
「明石の史跡」によると、一説には魚住にいた大勢の村人たちが秀吉軍に殺りくされたため、その人たちを弔う供養塔ではないかともいわれています。
戦国時代の織田信長による国取り作戦で、それぞれの地域で多くの人々の犠牲がありました。
人も村も焼き尽くされ 魚住においても、
大変な犠牲者を生んだことがわかります。

地名である『魚住町長坂寺』この辺りを歩くと特別な感覚があります。言葉ではうまく表現できませんが、法隆寺や斑鳩寺の町へ入村したような、、、『長坂寺』を探してみたくなります。
そして、東は大久保住吉神社、長坂寺住吉神社や西南のJR魚住駅から長い坂を上がりきるところに遍照寺さまがあります。

~・~・~・~

後醍醐天皇の御宸筆
遍照寺には、建武の中興で後醍醐天皇が隠岐の島に流され、その地を脱出されて、京都に上られる途中、このお寺に立ち寄られたという伝承が伝わっている。そのとき後醍醐天皇が御国を思われてお書きになられた「鎮護国家上宮王殿」御宸筆が御奉納された。それを江戸の世になって額に写し変えたという寺宝がある。

聖徳太子立像
しかも聖徳太子みずからが彫られて造られたという聖徳太子立像も、太子堂にご丁重に安置されてお寺の貴重な宝となっている。

~二見校区町づくり協議会より~

長坂寺&遍照寺ミステリー✨✨
御住職のご配慮を戴き、令和五年正月の
播州魚住太子御朱印 を拝受することができました。私的三部作完了✴
そしてお年賀まで頂戴しました。
なんと 日本橋榮太楼 🪷🐇🍬🐇🪷
心に残るありがたいお正月になりました。
ありがとうございます。

明石市魚住町長坂寺513

遍照寺(兵庫県)
遍照寺のその他建物
遍照寺(兵庫県)
遍照寺の像

太子堂に祀られる
寺寶の「聖徳太子立像」
遍照寺ブログより

遍照寺(兵庫県)

播州魚住太子 
足留山 勝鬘院 遍照寺 御朱印

遍照寺のその他建物
遍照寺(兵庫県)
遍照寺(兵庫県)
遍照寺(兵庫県)
遍照寺(兵庫県)
遍照寺(兵庫県)
遍照寺(兵庫県)
遍照寺の仏像
遍照寺(兵庫県)
遍照寺の御朱印帳
遍照寺(兵庫県)
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四季
四季
2022年12月31日(土) 04時44分51秒
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足留山 勝鬘院 遍照寺

~『魚住の太子さん』明石最古のお寺さま~

山号   足留山(そくりゅうざん)
院号   勝鬘院
宗派   浄土宗
御本尊  阿弥陀如来
創建時代 推古天皇五年(597)
草創   聖徳太子
開基   天平
開山   行基菩薩

遍照寺 縁起

聖徳太子が 26歳の時、百済の阿佐太子が日本に来日され、大和国の皇居にて数日ご清談の後、明石浦魚住の泊より帰国された。
そのとき順風の風を待つために、当山に足を留められた。聖徳太子は阿佐太子を見送られた後、再びお泊りになられた夜、白髪の老人が忽然と現れ、聖徳太子に「この深林は常に仏が教えを説く霊地です。」と告げて、白い雲に乗って東へ去って行った。聖徳太子は老人が現れた場所に、納殿と僧坊を建立し、足留山長坂寺(ちょうはんじ)と名付けました。 天平12年(740)行基菩薩により、28もの堂塔伽藍塔頭寺院(たっちゅうじいん)を完備した。遍照寺はその塔頭寺院の1つ。
壮大な寺領をもっていた長坂寺は、加古川の鶴林寺、揖保郡太子町の斑鳩寺と同じく、聖徳太子のゆかりの寺であることから、当山は「魚住の太子さん」と呼ばれています。

平安時代には花山上皇や和泉式部が参詣され、元弘3年(1333)の鎌倉末期に配流先の隠岐から京都へ帰路、後醍醐天皇が立ち寄り鎮護国家を祈願したと伝える。建武の新制時ごろに兵火にかかり焼失、通義和尚により再建されるが、戦国末期天正7年(1579)織田方羽柴秀吉勢と三木城城主別所長治との戦で再び焼失しました。
貞享2年(1685)の江戸前期に乗蓮社大誉上人が遍照寺の再興に着手、元禄4年(1691)覚了上人により再興され、昭和55年(1980)實誉桂純が本堂等を建て替え、現在も法然上人のお念仏の道場として、法灯を継承しています。

多数の桜や藤棚などの花々に囲まれたお寺として、地域の拠り所となっています。

~遍照寺HPより~

太子堂、大日堂、
明石四国八十八霊場写

御朱印帳を和尚さまにお預かり頂き、
新年早々に拝受に上がります。
また御朱印帳を拝受できましたら
記録させて頂きます。

本年もお世話になりありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いします。

よいお年をお迎え下さいませ。

🐁🐮🐯🐇🐲🐍🐴🐑🐵🐔🐺🐗

遍照寺の自然
遍照寺の塔
遍照寺の庭園
遍照寺の塔
遍照寺(兵庫県)

太子堂・大日堂

遍照寺(兵庫県)
遍照寺のその他建物
遍照寺の山門・神門
遍照寺のその他建物
遍照寺の本殿・本堂
遍照寺の本殿・本堂
遍照寺の本殿・本堂
遍照寺の仏像
遍照寺の塔
遍照寺のその他建物

明石四国八十八所霊場写
見事です

遍照寺の塔
遍照寺の仏像
遍照寺の仏像
遍照寺の仏像
遍照寺のその他建物
遍照寺の地蔵
遍照寺の地蔵
遍照寺の本殿・本堂
遍照寺の自然
遍照寺の庭園
遍照寺の庭園
遍照寺の庭園
遍照寺の庭園
遍照寺の仏像
遍照寺のお墓
遍照寺のその他建物
遍照寺のその他建物
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