へんしょうじ
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
遍照寺ではいただけません
広告
遍照寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年08月01日(火)
参拝:2023年7月吉日
兵庫県明石市にあるお寺です。
山号は足留山
宗旨宗派は浄土宗
ご本尊は阿弥陀如来
です。
HPの由緒書より
聖徳太子が26歳の時、百済の阿佐太子が来日され、大和国の皇居にて数日ご清談の後、明石浦魚住の泊(とまり)より帰国された。そのとき順風の風を待つために、当山に足を留(とど)められた。聖徳太子は阿佐太子を見送られた後、再びお泊りになられた夜、白髪の老人が忽然と現れ、聖徳太子に「この深林は常に仏が教えを説く霊地です。」と告げて、白い雲に乗って東へ去って行った。聖徳太子は老人が現れた場所に、納殿と僧坊を建立し、足留山(そくりゅうざん)長坂寺(ちょうはんじ)と名付けた。
天平12年(740)大僧正行基(ぎょうき)により、28もの堂塔伽藍塔頭寺院(たっちゅうじいん)を完備した。遍照寺はその塔頭寺院の1つ。
建武の新制時ごろに兵火にかかり焼失し、再興されるものの、羽柴秀吉と三木城城主別所長治との戦で再び焼失してしまいました。
長坂寺を探したのですが見当たらず、おそらくは廃寺になったものと思われます。
山号は足留山
宗旨宗派は浄土宗
ご本尊は阿弥陀如来
です。
HPの由緒書より
聖徳太子が26歳の時、百済の阿佐太子が来日され、大和国の皇居にて数日ご清談の後、明石浦魚住の泊(とまり)より帰国された。そのとき順風の風を待つために、当山に足を留(とど)められた。聖徳太子は阿佐太子を見送られた後、再びお泊りになられた夜、白髪の老人が忽然と現れ、聖徳太子に「この深林は常に仏が教えを説く霊地です。」と告げて、白い雲に乗って東へ去って行った。聖徳太子は老人が現れた場所に、納殿と僧坊を建立し、足留山(そくりゅうざん)長坂寺(ちょうはんじ)と名付けた。
天平12年(740)大僧正行基(ぎょうき)により、28もの堂塔伽藍塔頭寺院(たっちゅうじいん)を完備した。遍照寺はその塔頭寺院の1つ。
建武の新制時ごろに兵火にかかり焼失し、再興されるものの、羽柴秀吉と三木城城主別所長治との戦で再び焼失してしまいました。
長坂寺を探したのですが見当たらず、おそらくは廃寺になったものと思われます。
すてき
投稿者のプロフィール
くるくるきよせん2024投稿
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。