真言宗大覚寺派
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兵庫県明石市にあるお寺です。
林地域の中では最も東にあると思います。
宗旨宗派は真言宗大覚寺派
ご本尊は毘沙門天
です。
この毘沙門天には言い伝えがあります。
宝蔵寺の縁起に関わる伝承が紹介されています。
応永3年(1396)の頃、林崎に藤原太郎左近という人がいました。
5月2日の夜、夢の中に毘沙門天が現れ「私は長い間、海の中にいる。引き揚げて祀ってくれれば、末代までいいことがある」と告げました。
あくる夜も、その次の夜も同じお告げがありました。
左近は舟を出して鹿の瀬にさしかかると海の中が光っていました。
覗いてみると4尺(約1.2m)の毘沙門天像が沈んでいました。
左近はどうして上げてよいか判らずに家に帰ってしまいました。
するとその夜、また毘沙門天が現れ「三またの銛(もり)で突けばよい」と言いました。
翌日、左近はモリで仏像をついて引き揚げ、お堂を建てて安置しました。
このお堂が宝蔵寺です。
この伝説は本尊の脇腹にこぶし大の穴があいていることからできたものと考えられます。
残念ながら 本堂に入ってのお参りはできませんでした。
遺跡「毘沙門天とかくれキリシタン十字架」と記された標柱があったので調べてみました。
宝蔵寺には縦25cm横20cm中央に合掌した仏像が鋳込まれた鉄製の十字架が伝わっているそうです。昭和になって発見されたようです。
かくれキリシタンの遺品が明石にあったなんて・・・見たかったです。
寶蔵寺
~ 赤石浜街道① ~
山号 海門山
宗派 真言宗大覚寺派
御本尊 木造毘沙門天像
応永3(1396)年、鹿ノ瀬の海中からから引き揚げた木造の毘沙門天を本尊としています。また、この寺にはマリア観音の十字架が伝わっており、高山右近が船下城主であった時代に布教したキリスト教の教徒が、キリシタン禁教令後も拝礼のため壁に埋め込んだものと伝わっています。
昔、小豆島から渡ってきた雌鹿が沈んだところが赤石となり、その後、この場所に 若松を植えて供養したのがめじかの松である。
一、初代の松は、東隣の若宮神社まで見事な枝をはっていたが、戦災(昭和二十年)で 寺とともに焼けてしまった。
一、歌碑は清香が詠んだ歌を、玉木愛石が書き、それを彫ったものである。
しきかえる なみにとはばや はりまがた めじかの松の
千世のむかしを
明石市教育委員会
雌鹿の松
むかし、林村の浜におささという名の美しい雌鹿が住み、四国の小豆島には元気な雄鹿が住んでいました。
二頭は仲むつまじい夫婦でした。
潮が引くと、小豆島まで浅瀬が浮かび上がります。
この時を利用して、おささはピョンピョンと浅瀬を往復しました。天下の好漁場「鹿ノ瀬」 はここから名付けられたそうです。
ある嵐の日、おささは漁師の起した過ちで命を落とします。
このためか、嵐は何日も続きました。
怖くなった漁師は、神仏にお祈りをします。
満願の夜、 「お前が殺してしまった白鹿は赤石となり、うらんでいる。早く弔ってやるように」とお告げがありました。
漁師はさっそく翌朝、寶蔵寺の境内に若松を植え、ねんごろに霊を慰めると、嵐はぴたりと止みました。
この松は「雌鹿の松」と呼ばれ、空を隠してしまうほど大きくなっていましたが、
昭和二十年 (1945年)七月の空襲で焼け崩れてしまいました。
現在は昭和二十三年に植えられた、二代目の松です。
海門山寶蔵寺 木造毘沙門天像と両脇侍像
宝蔵寺の縁起に関わる伝承が紹介されています。
応永3年(1396)の頃、林崎に藤原太郎左近 という人がいました。5月2日の夜、夢の中に毘沙門天が現れ「私は長い間、海の中にいる。 引き揚げて祀ってくれれば、末代までいいことがある」と告げられました。
あくる夜も、その次の夜も同じお告げがありました。左近は舟を出して鹿の瀬にさしかかると 海の中が光っていました。覗いてみると4尺(約1.2m)の毘沙門天像が沈んでいました。
左近はどうして上げてよいか判らずに家に帰ってしまいました。 するとその夜、また毘沙門天が現れ「三またの銛(もり)で突けばよい」と言いました。 翌日、左近はモリで仏像をついて引き揚げ、お堂を建てて安置しました。 このお堂が寶蔵寺です。
この伝説は本尊の脇腹にこぶし大の穴があいていることからできたものと考えられます。
かくれキリシタン
本堂前に、遺跡「毘沙門天とかくれキリシタン十字架」と記された標柱があります。
高山右近は明石川の西、河口に近い船上城にはいり、さっそくキリスト教を広めはじめました。 城の近くの宝蔵寺は教会堂に変わり、青い目をした宣教師たちがたくさん来て、キリストの 教えを説きました。
領民たちは珍しい外国の服装やビードロ(ガラス)望遠鏡などの品物に驚き、知らずしらずに信者になっていきました。
キリスト教関係の遺品は少なく、寶蔵寺に縦25cm、横20cm中央に合掌した仏像が鋳込まれた 鉄製の十字架が伝わります。
昭和になって発見されたそうです。
ご立派な御本堂や境内に圧倒され、お参りを済ませ庫裏を探していると、南にある地蔵堂にお参りされている方がいらっしゃいました。
お寺さまの方かな?と一瞬考えましたが、庫裏へ。
インターフォンを押し、御朱印をお尋ねすると丁寧に、すみません。こちらは御朱印はやっておりません。
次回は、寶蔵寺さまに伝わる毘沙門尊天さまの絵馬✴拝受できますよう、またお参りさせて頂きます。
御本堂東に「若宮神社」。西に保育所があり、
元気な子供たちの声に励まされたような気持ちになりました。
〒673-0034
明石市林2-1-12
TEL:078-922-2635
東隣の 若宮神社
若宮神社境内より 寶蔵寺さまの御本堂
高山右近が明石の領主になった時、宝蔵寺は、キリシタンの礼拝所になったことがあるそうです。禁教後も隠れキリシタンは残っていたようで、昭和になって、寺内からマリア観音の十字架が発見されています。
本尊の毘沙門天は、近所の漁師が銛でついて海から引き上げてここにお祀りしたので、脇腹に穴が空いているという言い伝えがあります。
少し西に行ったところに泉屋さんという小さな食堂があります。玉子焼き(明石焼き)の隠れた名店です。
施主中部幾次郎氏は、林兼商店➡︎大洋漁業➡︎マルハニチロの創業者で、地元の方です。
船上城跡です。小さな公園になっています。桜が咲いていました。
名称 | 宝蔵寺 |
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電話番号 | 078-922-2635 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
宗旨・宗派 | 真言宗大覚寺派 |
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