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神戸神社の御朱印・御朱印帳
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ご由緒 御祭神の鎮座されているこの地は、古く播磨風土記(西暦715年頃編纂、現存に「此ノ山ニ岩神(いわがみ)在リ故神山ト號(なづ)ク」とあり山頂に巨岩があって神の宿る霊地として往古より畏敬されてきました。
時は室町時代 応仁二年(西暦1468年)三月の午の日、播磨国の一ノ宮宍粟郡の名神大社伊和神社より御分霊を勧請し 十月第二の午の日を午祭と定め、秋例祭として五五〇余年継承してきました。
この祭が「菜くわずの祭」とも言われる由縁は、『弘法大師が全国行脚の途次小川で菜を洗う老婆に菜を所望されたが老婆はこれを固辞、菜を食べた老婆は腹痛に苦しんだ 以後秋祭の日に菜を食すと腹痛をおこす』という伝承との習合により葉物野菜を食さない風習があります。よって当社を別名「菜食わずの宮」ともいわれます。
昭和五十二年本殿を新造営の際巨岩が出現、石神さまとしてお祀りし現在に至ります。
神戸神社HPより
ご由緒 御祭神の鎮座されているこの地は、古く播磨風土記(西暦715年頃編纂、現存に「此ノ山ニ岩神(いわがみ)在リ故神山ト號(なづ)ク」とあり山頂に巨岩があって神の宿る霊地として往古より畏敬されてきました。
時は室町時代 応仁二年(西暦1468年)三月の午の日、播磨国の一ノ宮宍粟郡の名神大社伊和神社より御分霊を勧請し 十月第二の午の日を午祭と定め、秋例祭として五五〇余年継承してきました。
この祭が「菜くわずの祭」とも言われる由縁は、『弘法大師が全国行脚の途次小川で菜を洗う老婆に菜を所望されたが老婆はこれを固辞、菜を食べた老婆は腹痛に苦しんだ 以後秋祭の日に菜を食すと腹痛をおこす』という伝承との習合により葉物野菜を食さない風習があります。よって当社を別名「菜食わずの宮」ともいわれます。
昭和五十二年本殿を新造営の際巨岩が出現、石神さまとしてお祀りし現在に至ります。
神戸神社HPより
兵庫県たつの市を流れる揖保川の西側、JR山陽本線「竜野」駅のすぐ近くになります。
神戸市に住んでいる者として「神戸神社」と見ると、参拝せずにはいられません。
と言ってもこちらの「神戸神社」は「かんべ」と読みます。
まず駐車スペースの広さには驚きです。
舗装されている部分は月極契約者の方用とのことで、参拝者は舗装されていない部分に自由に停めることができます。
階段を上り、鳥居を抜けると正面に拝殿があり、その両脇には石灯籠が並んでいました。
鳥居や玉垣、狛犬などかなり新しく、比較的最近修繕されたようでした。
この日はちょうど拝殿内でお宮参りのご家族がご祈祷を受けており、とても可愛らしい赤ちゃんですくすくと元気に成長してほしいものです。
主祭神 大己貴命
配祀神 少彦名命 誉田別命(応神天皇) 息長帯比売命(神功皇后) 大物主命
<御由緒>神戸神社HPより
御祭神の鎮座されているこの地は、古く播磨風土記(西暦715年頃編纂、現存に「此ノ山ニ岩神(いわがみ)在リ故神山ト號(なづ)ク」とあり山頂に巨岩があって神の宿る霊地として往古より畏敬されてきました。
時は室町時代 応仁二年(西暦1468年)三月の午の日、播磨国の一ノ宮宍粟郡の名神大社伊和神社より御分霊を勧請し 十月第二の午の日を午祭と定め、秋例祭として五五〇余年継承してきました。
この祭が「菜くわずの祭」とも言われる由縁は、『弘法大師が全国行脚の途次小川で菜を洗う老婆に菜を所望されたが老婆はこれを固辞、菜を食べた老婆は腹痛に苦しんだ 以後秋祭の日に菜を食すと腹痛をおこす』という伝承との習合により葉物野菜を食さない風習があります。よって当社を別名「菜食わずの宮」ともいわれます。
昭和五十二年本殿を新造営の際巨岩が出現、石神さまとしてお祀りし現在に至ります。
鳥居を抜けると参道両脇に石灯籠が並んでいます
拝殿
手水舎
大己貴命は別名大国主命
ということで、「因幡の白うさぎ」なんでしょうね
拝殿内には「撫で大国」様
本殿
奥之院
境内社鳥居
八幡宮
金刀比羅宮
石神
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