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船渡八幡神社ではいただけません
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船渡八幡神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年10月14日(土)
参拝:2023年10月吉日
山陽電鉄網干線「網干」駅から南へ徒歩で約10分ほどのところになります。
ここから北へ約1.6kmほどのところに鎮座する「魚吹八幡神社」の若宮になります。
境内のすぐ南隣には「あぼしまち交流館」という建物があり、観光情報の提供や地元の特産物などが販売されていました。
<御祭神>
主祭神 応神天皇
配祀神 神功皇后 玉依姫命 猿田彦明神
<御由緒>~境内碑文より~
和銅6年(713)、官命に基づき播磨国風土記編述され、揖保郡字津伎津の湊は神功皇后の御船渡り給いし泊と陳書す。皇后はこの時、風波を静めんとて天神地祇を祭祀し、御神楽を奏せられ、故にこの処を神楽江と伝え船渡八幡神社として魚吹八幡神社の若宮と称す。
神功皇后御神楽の時、御腰を掛け給いし石ありと伝承し明治36年(1903)発刊の揖保郡地誌に記述す。
ここから北へ約1.6kmほどのところに鎮座する「魚吹八幡神社」の若宮になります。
境内のすぐ南隣には「あぼしまち交流館」という建物があり、観光情報の提供や地元の特産物などが販売されていました。
<御祭神>
主祭神 応神天皇
配祀神 神功皇后 玉依姫命 猿田彦明神
<御由緒>~境内碑文より~
和銅6年(713)、官命に基づき播磨国風土記編述され、揖保郡字津伎津の湊は神功皇后の御船渡り給いし泊と陳書す。皇后はこの時、風波を静めんとて天神地祇を祭祀し、御神楽を奏せられ、故にこの処を神楽江と伝え船渡八幡神社として魚吹八幡神社の若宮と称す。
神功皇后御神楽の時、御腰を掛け給いし石ありと伝承し明治36年(1903)発刊の揖保郡地誌に記述す。
手水舎
『播磨の国赤穂5万3千石
城主 浅野家
家老大野九朗兵衛愛用の〇〇〇なり』
大事な部分が読み取れない😅
城主 浅野家
家老大野九朗兵衛愛用の〇〇〇なり』
大事な部分が読み取れない😅
拝殿
ちょっと逆行気味だったので、少し角度をずらして・・・
ちょっと逆行気味だったので、少し角度をずらして・・・
拝殿斜め前方から
灯篭
もともとは揖保川を下ってくる高瀬舟・筏の夜の目印として別の場所に建っていたそうですが、昭和初期にはその役目を終え、後世に残すため境内に移されたのだとか。
もともとは揖保川を下ってくる高瀬舟・筏の夜の目印として別の場所に建っていたそうですが、昭和初期にはその役目を終え、後世に残すため境内に移されたのだとか。
力石
本殿 北側から
本殿 南側から
あぼしまち交流館
すてき
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