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おさかべじんじゃ

刑部神社のお参りの記録一覧
兵庫県 山陽姫路駅

くるくるきよせん
くるくるきよせん
2025年07月28日(月) 21時16分39秒
3004投稿

「どこ行きたい?」  「うーん。」  「じゃあ姫路。姫路城に行こう。」  「神社じゃなくていいの?」  「あるんよ神社が姫路城の中に。」
旅行が好きな妻に プチ旅行と称して寺社巡りに付き合ってもらうため 月に1度はこんな会話をしています。
姫路に決めたのは 以前 きどっちさんの投稿で 刑部大神(刑部神社)を知り お詣りしたいなぁと思っていたのを思い出したからです。
姫路城に行くのは もう10年以上前ぶりです。まだ白壁が真っ白でなかった頃以来です。
寺社も好きですが もともと古い建物が好きなので 姫路城は大好物です。

大手門の駐車場に車を停め いざ姫路城!暑い~~めちゃくちゃ暑い~!!
気温は35度を超えていますね。確実に。
お城の写真もたくさん撮ったのですが それは省略。
さすが休日の姫路城は観光客だらけだらけだらけ。
三の丸広場だけでもかるく50人以上。
入城料を支払う所では 半分以上が外国の方。
観光寺社でもそうですが 日本の文化に興味をもつ外国のお客様の何と多いこと。
音声ガイドを着ける方 外国語のパンフレットを手にする方 本当に多かったです。
天守の上層階は人数制限されるほどごったがえしていました。
人が多くて暑苦しいと思っていたのですが 天守は風が通り抜けるので涼しかったです。
膝を気にしながら上っていくと 最上階にちょこんと祠があります。
おおぉ これじゃこれじゃ。
観光客のほとんどは ちらっと見るだけでおしまい。
これは残念ですね。こちらもしっかり日本の文化なのに。
と言いつつ 手を合わせた後は 天守から見える姫路の町を 涼みながらしっかり堪能しました。
姫路城を守る会の由緒書には
姫路刑部大神は延喜式に 富姫神は播磨国大小明神社記に記され 古代より姫山に鎮座された由緒ある地主神である。
城主池田輝政が 城内「との三門」の高台に祀り歴代城主は手篤く崇敬する。
寛延元年(一七四八)城主に松平明矩のとき 長壁大神と改める。
明治十五年城内備前門屋敷の火災 昭和二十年七月三日(一九四五)大空襲には 奇跡的に炎上を免れた。
姫路城の守護神であり 火災・災害等にご霊験あらたかで 人々の信仰が篤い。
毎年六月二十日 ゆかた祭りとしてご神徳をたたえる。
と書いてありました。
神社とは関係ないですが 有名な「お菊井戸」が城内にあることも付け加えておきます。

ネット情報です。
刑部親王(光仁天皇の皇子)を主祭神に親王の王女という富姫を配祀する。
刑部親王は藤原百川の讒言によりその地位を追われると 親王の王女であるという富姫も幼い頃より住んでいた姫山の地で薨去した。
国司の角野氏がこの2人を守護神として姫山に祀って以来 代々の国司や守護職からの厚い保護と庶民からも厚い信仰を受けた。
「刑部神社」は姫路城が姫山に築かれる以前より 姫山にあった「小刑部(おさかべ)宮」という 地元の人たちの信仰の対象となっていた地主神を祀ったものと言われている。
天正8年(1580年)頃に羽柴秀吉が姫路城の改築を始めると 縄張り内に位置するために城下に移された後に播磨国総社である射楯兵主神社の境内に摂社として祀られた。

それが現在の姫路城の大天守最上階に祭られるようになった経緯には 様々な説があり 伝説となって語り継がれています。
最も有力なものが「池田輝政への呪い」の伝説です。
一六〇九年(慶長一四) 城が完成して間もない十二月十二日の日付で 輝政に充てた不気味な手紙が届きました。
それには輝政と夫人に天神(天狗のこと)がとりついて 呪いをかけようとしている。
その呪いを解いてほしいのなら 城の鬼門に急いで八天塔を建てて 大八天神をまつれ」と書いてありました。
これらは 秀吉が城を築くときに姫山から総社に移した刑部神社のたたりだと人々は噂しました。
そこで輝政はさっそく刑部神社を城内のとの三門内にお迎えし まつることにしました。
ところが それからも悪いことが続きます。
一六一一年(慶長一六)には 政がついに重い病気に倒れました。
そこで今度は 呪いの手紙に書いてある通りに 呪文を解く護摩祈祷を行い 八天塔を刑部神社の横に建てると 輝政の病状は回復したのでした。
その喜びもつかの間 一六一三年(慶長一八) 輝政はあっけなく亡くなり その子供たちも次々に若死していきました。
やはり 刑部大神のたたりに違いない。
「だれもいないはずの天守閣に夜な夜な怪しい灯りがともり おおぜいの人が泣きわめく声が聞こえる」
噂はその後も消えなかったのです。
(引用元)姫路-お城物語 姫路市教育委員会
寛永16年(1639年)に藩主が松平氏に変わると再度城下へ移され 慶安2年(1649年)に榊原氏に変わると城内の社殿を再建し 城内と総社境内の二社併存となる。
寛保元年(1741年)榊原政岑に認められ 長源寺の境内に分霊が勧請された。
大正末に 長源寺で祀られていた長壁大明神が長壁神社として独立した。
歴代城主によってその後も「刑部大神」は守られ いつの頃からか大天守の最上階に移されたとのことです。

刑部神社(兵庫県)

大手門

刑部神社(兵庫県)

白鷺城 さすが世界遺産です きれいです 立派です

刑部神社(兵庫県)

天守最上階にあります

刑部神社(兵庫県)

扁額

刑部神社(兵庫県)

刑部神社(兵庫県)

由緒書

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きどっち
きどっち
2024年04月25日(木) 23時33分56秒
1487投稿

世界遺産に登録されている姫路城。
その大天守の最上階に祀られている長壁神社です。

約20年ぶりに姫路城大天守に入りました。
今も急で狭い階段になつかしさと、変わっていないことに安堵しました。
ちょうど姫路城の桜まつりということもあり、城内はかなり混みあっていました。
(1カ月も投稿を寝かしてしまっていました😅)

姫路城が築城される前からここ姫山に鎮座された「小刑部宮」という地主神でしたが、秀吉が天守を築く際にこの刑部(おさかべ)神社を播磨国総社である射楯兵主神社の摂社としました。
その後姫路城城主となる池田輝政が病に倒れ、総社に移した刑部大神の祟りであるとされ、輝政は城内「との三門」の高台に移して祀ります。
その後寛延元年(1748年)に長壁大神と改められました。
以後、歴代城主に手厚く崇敬され、いつからか大天守最上階に祀られるようになったそうです。

昭和20年の大空襲の際、白鷺城とも呼ばれる姫路城はその白さ故に目立ってしまい空襲の目標にされてしまうことを懸念して、黒い縄を壁に吊るしていき黒い外観にしたそうです。
姫路城にも焼夷弾が投下されたそうですが、奇跡的に爆発せず火災を免れました。
このことから姫路城の守護神であり、火災・災害等に霊験あらたかとされています。

刑部神社のその他建物
刑部神社のその他建物
刑部神社の本殿・本堂

大天守最上階の長壁神社

刑部神社の本殿・本堂
刑部神社の歴史
刑部神社の自然
刑部神社の自然
刑部神社のその他建物

歴代の大天守の鯱

刑部神社のその他建物

城内にある「お菊井」
播州皿屋敷でお菊が皿を数える声が聞こえるとされる井戸です

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四季
四季
2023年04月23日(日) 10時43分29秒
544投稿

長壁神社(おさかべじんじゃ)
(刑部大神・刑部神社・小刑部宮)

御祭神 姫路長壁大神 
    播磨富姫神 

「刑部大神(おさかべたいしん・刑部神社・
長壁神社)」

現在は大天守の最上階(6階)に祀られ、
様々な伝説などとともに語り継がれている社です。

この長壁神社は、姫路市内に3ヶ所あります。

①大天守最上階(6階)
②播磨総社(射楯兵主神社)境内
③旧城下町の立町
 播磨国大社二十四社の内の一社になります。
 また、👘姫路ゆかた祭り👘でも有名です。

以上 3箇所です。

長壁神は、もともとは刑部(おさかべ)神と表記され、姫路城が建てられる前から姫山に祀られていました。
しかし、天正8~9(1580~81)年の羽柴秀吉による姫路城築城の際に、一旦城下の町はずれに移された後、播磨総社の境内に摂社として祀られるようになりました。 そして、輝政公の病が契機となって、再び姫山の上に祀りなおされることになります。
位置は、城内北東部(城門の、とノ二の門外)。
しかしその後、松平氏が姫路藩主となった寛永(1639)年に再び総社へ戻り、慶安2(1649)年に藩主榊原氏があらためて城内の社殿を再興したとされています。
また、この後も総社境内にも長壁神は残り、城内と総社境内の2ヶ所の長壁神社が併存しました。
明治になると、城内を陸軍が使用するようになったため、城内の長壁神社は、1879(明治12)年に元塩町の総社境内地に移転されます。1913(大正2)年には、江戸時代を通して総社境内に残り続けていた長壁神社も、この城内からこられた長壁神社に合祀され、さらに1927(昭和2)年の国道拡幅にともない、現在地に移転したのが、総社境内の長壁神社です。
一方、現在の大天守最上層の社殿は、1879年に城内長壁神社が総社境内地に移転された後、改めてお祀りされました。

国宝姫路城は平成5年12月、奈良の法隆寺地域の仏教建造物とともに、 日本で初の世界文化遺産に登録され、令和5年に30周年を迎えます。

チームラボ 圓教寺 認知上の存在
書寫山圓教寺 三之堂 食堂(じきどう)1階

千姫の義父・本多忠政公の居館があった姫路城三の丸の西側高台には「千姫ぼたん園」があり、毎年4月下旬から5月頃、牡丹の花が美しく咲き誇っています。 入園は無料です。

兵庫県姫路市本町68

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刑部神社の本殿・本堂
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男山八幡宮 千姫天満宮 が望めました

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刑部神社のお祭り
刑部神社の庭園
刑部神社の庭園
刑部神社の庭園
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何故かしら フラダンス🌺

刑部神社の芸術
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刑部神社の周辺
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刑部神社(兵庫県)

世界遺産登録30周年記念限定御城印🏯

刑部神社(兵庫県)
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