真宗大谷派
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楽しみ方姫路船場別院本徳寺のお参りの記録一覧

真宗大谷派 轉亀山 姫路船場別院本徳寺
姫路城から南西方向に直線距離1kmほどのところになります。
JR姫路駅からは歩くこと20分ほどで到着します。
とても立派な本堂で、まずはその大きさに圧倒されます。
境内も広く、鐘楼のまわりには蓮の池があり、ピンクの大きな花が咲いていました。
参拝記念証を会館のほうでいただけるようだったのですが、お昼時だったためかご不在でどなたもいらっしゃらなかったため今回は断念致しました。
御本尊 阿弥陀如来
御由来(パンフレットより)
「船場御坊」の名前で地域に親しまれている船場本徳寺は、「真宗大谷派姫路船場別院本徳寺」という(山号は、「轉亀山」)。本徳寺のはじまりは、蓮如上人(1415~1499)がその晩年、下間空善(しもつまくうぜん)をはじめとする弟子たちを播磨に派遣したことによる。空善らは英賀の浦(あがのうら)に道場を建立し布教した。この道場が二代実玄、三代実円の頃には「本徳寺(英賀)」と称し、本願寺の御坊寺院として播磨教団の中核となった。
しかし羽柴秀吉の中国攻め(1577~1582)による播磨侵攻で英賀城が落城(1580)すると、秀吉により英賀から亀山に移転させられる。
さらに慶長年間(1596~1615)に本願寺が東西に分派した際、亀山本徳寺は、はじめ東派に属したが後に束本願寺教如上人(1558~1614)と姫路藩主池田輝政との間に確執が生じ、西派に転じた。その後、池田家が没落し代わって姫路藩主となった本多忠政が元和4年(1618)に船場の寺地を東本願寺宣如上人(1604~1658)に寄進し、教珍が入寺した。ここに船場本徳寺が成立し、現在に至る四百年の歴史を刻み始める。
船場本徳寺は現在、真宗大谷派内における55別院(国内52、海外3)の一別院に数えられ、播磨地域において「地域における教化の中心道場としての役割」を担いつつ、山陽教務所(地方宗務機関)と連携して「同朋社会実現」へ向けた運営がなされている。

表門は修復工事中でした

大玄関

本堂

本堂内




鐘楼





親鸞聖人像

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