高野山真言宗
八正寺のお参りの記録一覧
播磨西国33所巡礼で参拝。6番札所。
本尊は薬師如来。札所本尊は聖観音。
724年僧・行基によって開かれたと伝わる。
763年淳仁天皇の勅願により隣接する松原八幡神社の神宮寺として宇佐八幡宮を勧請した。
その後神仏習合し、神官と僧侶を兼ねた僧が奉仕し明治の神仏分離まで松原八幡神社の別当寺であった。
本堂の周りに四国88所の山内霊場が設けられている。お礼参りの善光寺まであるのが驚きである。
本堂
本堂・観音堂
観音堂
観音堂
庫裏
山門
松原山 八正寺
~明治維新後苦難の道を歩んだ古寺・名幸和尚~
山号 松原山 八正寺
宗旨 高野山真言宗
宗派 谷上多聞院派
御本尊 薬師如来尊像
聖観世音菩薩
開創 神亀元年(724年)
開基 行基菩薩
御詠歌
影きよき 波間の月にさとりぬる
松原山に すめる法の師
札所
播磨西国三十三所観音霊場 第6番
茶之寿観音霊場 第一番
灘のけんか祭で有名な松原八幡神社の神宮寺として、かつては甍をつらねていた八正寺。
明治維新までは境内に六つの塔頭が建ち並び、八幡神社の社殿と共に幅広い信仰を集めました。
特に平安時代には鎮護国家を祈る密教道場として栄え、七堂の伽藍があったことが寺史に記されています。
神仏分離令の発令後、堂宇は次々と壊され、残された塔頭のひとつである光明院が現在の八正寺御本堂となりました。
平安時代から続く行事を伝承
無病息災を祈願する鬼会式
寺と八幡神社との境に立つ塀を見上げると、明治時代に奉納された「鬼会式」の絵馬があります。鬼会式は通常、法要と護摩供だけですが、7年に一度は面を付けた赤鬼と青鬼が地域を練り歩き、境内の舞台で踊るのだそうで、鬼の大きな力によって、自分たちの暮らしを守ろうという願いから生まれた行事だそうです。
御本堂の横の道路に出ると、寺の境内から発見された地蔵様が大切に祀られています。
石仏もまた、地域の人たちの暮らしをお守り下さっているのでしょう。
他に、長寿を願う茶之寿観音さまもいらっしゃいます。
八正寺は兵庫県内を巡る茶之寿観音霊場 第一番札所でもあります。
~・~・~・~・~
名幸(なゆき)和尚
御祖父様は、波上山三光院護国寺の和尚(律師さま?)で、現在も同じく名幸御住職と仰います。
(波上宮の神宮寺で、琉球国王の勅願寺でした。)
現在、播磨西国観音霊場の随願寺、圓教寺和尚さまと共にお世話を下さっています。
姫路市白浜町甲398
墨をすりわざわざ
『四季神仏巡礼御朱印帳』に
お書き入れ下さいました
松原山八正寺御朱印
播磨西国三十三所観音霊場 第6番
御詠歌
影きよき 波間の月にさとりぬる
松原山に すめる法の師
御本堂と観音堂
松原八幡神社との連絡口です
四国八十八箇所写
見事な四国八十八箇所写が並びます
御本堂脇から、観音堂裏手まで続く四国八十八箇所写
道路を隔てて後ろは 山陽電車白浜ノ宮駅になります
播磨西国三十三所観音霊場 第6番
御朱印
播磨西国観音霊場第6番札所の真言宗寺院。ご本尊は聖観世音菩薩です。
724年聖武天皇時代に行基によって開創されたと云われています。
ここには茶之寿霊場の1番札所があり、兵庫県内に八ヶ所あるそうです。
電車から見える「金ピカ観音」様と同時に最大規模の四国八十八ミニ霊場があります。
他にもありますが、これは非常に興味深いものを感じました。
「茶之寿観音」、長寿のご利益があるそうです。
山陽電車の往来をいつも眺めている観音様です。
四国八十八ヶ所霊場のミニ観音です。
これだけの規模には圧倒されます。
本堂です。
こちらは「一番札所」
こちらは「結願札所」です。
境外には高野山の奥の院の札所です。
白浜の石棺仏です。
鎌倉時代のものとされ、石棺の内側に彫られたりものです。
地元の播磨石が使われているそうです。
こちらは庫裡への北門です。
本堂の様ですが庫裏です。
いただいた御朱印です。
松原山 八正寺
山号 松原山 八正寺
宗旨 高野山真言宗
宗派 谷上多聞院派
御本尊 薬師如来尊像
聖観世音菩薩
開創 神亀元年(724年)
開基 行基菩薩
御詠歌
影きよき 波間の月にさとりぬる
松原山に すめる法の師
札所
播磨西国三十三所観音霊場 第6番
茶之寿観音霊場 第1番
聖武天皇の神亀元年(724年)行基菩薩によって開創されました。 その後、淳仁天皇の天平宝字7年(763年)勅願により、松原八幡神社の神宮寺として、豊前の国・宇佐八幡宮の神霊を勧請し社僧により奉祀されて勅願別当寺に補せられました。
弘安10年(1287年)春、遊行途中の一遍が参詣し、時衆たちに「別願和讃」を示しました(『一遍聖絵』)。
明治維新前の八正寺は、寺中に霊山院・宝蔵院・光明院・文殊院・宝積院・鎮城院の六院(坊)を有し、 松原八幡神社の神宮寺(別当寺)として社務を執行、社領(寺領)を支配して威勢を振るいました。
このほか末寺に松原村内の千蔵院と飾万津清水の東光院があり、 一般寺院と同様の仏事や宗門改めの請印などは、 寺中の六院や末寺がそれぞれに檀家を持ってこれを処理しました。 明治維新の神仏分離の際には、全国各地の寺社で大混雑が起こりましたが、 八正寺も例外ではなく、文殊院と鎮城院の住職(社僧)は 還俗して神職に、光明院の住職は松原八幡神社の社務を辞して専ら仏事のみを執り行う僧職に就き、 寺中の各院の檀家を併合して 松原山八正寺と号し、当時廃寺となっていた松原村内の千蔵院跡へ一旦移りましたが、 後に県庁に願い出て、間もなく旧光明院跡に戻り、 その前にある旧薬師堂を本堂とし、これに旧阿弥陀堂と観音堂を併合して現在に至ります。
なお、宝蔵院と霊山院の二院は幕末までに廃寺となり、明治維新の際はすでに建物も無くなっていました。
八正寺は松原八幡宮の神宮寺として寺内に宝積院、霊山院、文殊院など六院(霊山院・宝蔵院・光明院・文殊院・宝積院・鎮城院)と 二棟の建物(神宮寺と松原八幡宮本殿)この八院の総称が荘園=公的支配を受けない一定規模以上の私的所有と経営の土地です。
初期荘園は資本を持つ中央貴族、大寺社、地方の豪族、は活発に開墾を行い、大規模な土地私有が出現しました。
長史(ちょうり)八正寺の寺中全体を総括した社僧のことです。
弘化元年(1844年)
播州で初めて作られた神輿屋根が松原ヤッサです。
東を奥山(おくやま)、西を兼田(かねだ)、西南を妻鹿(めが)、南を白浜、 北を東阿保(ひがしあぼ)と隣接しています。
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茶之寿観音霊場
兵庫県に点在する8寺院。
長寿(茶寿・108歳)の観音様です。
⭐茶之寿観音8寺院
第1番 松原山 八正寺
姫路市白浜町甲398
第2番 泉生山 酒見寺
加西市北条町北条1319
第3番 五峰山 光明寺 大慈院
加東郡滝野町光明寺433
第4番 畋川山 萬勝寺 金剛院
小野市万勝寺町548
第5番 法嶺山 満願寺
三木市志染町三津田20
第6番 青松山 長福寺
三木市口吉川町久次194
第7番 深谷山 蓮花寺
三田市下槻瀬678
第8番 厳光山 圓満寺
加古郡播磨町野添1905
となります。
姫路市白浜町甲398
茶之寿観音
山陽電鉄白浜駅ホームにて
あまりにも夕景と茶之寿観音さまが美しく
御詠歌
影きよき 波間の月に さとりぬる
松原山に すめる法の師
松原八幡神社さまが御朱印を復活されますことを祈念して 八正寺さまに二通御朱印をお願いしました。ご住職弟様も大阪の御寺ご住職で大阪にご縁があるとお優しく接して下さいました。
ありがとうございました。
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