おさかべじんじゃ
長壁神社のお参りの記録一覧
世界遺産に登録されている姫路城。
その大天守の最上階に祀られている長壁神社です。
約20年ぶりに姫路城大天守に入りました。
今も急で狭い階段になつかしさと、変わっていないことに安堵しました。
ちょうど姫路城の桜まつりということもあり、城内はかなり混みあっていました。
(1カ月も投稿を寝かしてしまっていました😅)
姫路城が築城される前からここ姫山に鎮座された「小刑部宮」という地主神でしたが、秀吉が天守を築く際にこの刑部(おさかべ)神社を播磨国総社である射楯兵主神社の摂社としました。
その後姫路城城主となる池田輝政が病に倒れ、総社に移した刑部大神の祟りであるとされ、輝政は城内「との三門」の高台に移して祀ります。
その後寛延元年(1748年)に長壁大神と改められました。
以後、歴代城主に手厚く崇敬され、いつからか大天守最上階に祀られるようになったそうです。
昭和20年の大空襲の際、白鷺城とも呼ばれる姫路城はその白さ故に目立ってしまい空襲の目標にされてしまうことを懸念して、黒い縄を壁に吊るしていき黒い外観にしたそうです。
姫路城にも焼夷弾が投下されたそうですが、奇跡的に爆発せず火災を免れました。
このことから姫路城の守護神であり、火災・災害等に霊験あらたかとされています。
大天守最上階の長壁神社
歴代の大天守の鯱
城内にある「お菊井」
播州皿屋敷でお菊が皿を数える声が聞こえるとされる井戸です
長壁神社(おさかべじんじゃ)
(刑部大神・刑部神社・小刑部宮)
御祭神 姫路長壁大神
播磨富姫神
「刑部大神(おさかべたいしん・刑部神社・
長壁神社)」
現在は大天守の最上階(6階)に祀られ、
様々な伝説などとともに語り継がれている社です。
この長壁神社は、姫路市内に3ヶ所あります。
①大天守最上階(6階)
②播磨総社(射楯兵主神社)境内
③旧城下町の立町
播磨国大社二十四社の内の一社になります。
また、👘姫路ゆかた祭り👘でも有名です。
以上 3箇所です。
長壁神は、もともとは刑部(おさかべ)神と表記され、姫路城が建てられる前から姫山に祀られていました。
しかし、天正8~9(1580~81)年の羽柴秀吉による姫路城築城の際に、一旦城下の町はずれに移された後、播磨総社の境内に摂社として祀られるようになりました。 そして、輝政公の病が契機となって、再び姫山の上に祀りなおされることになります。
位置は、城内北東部(城門の、とノ二の門外)。
しかしその後、松平氏が姫路藩主となった寛永(1639)年に再び総社へ戻り、慶安2(1649)年に藩主榊原氏があらためて城内の社殿を再興したとされています。
また、この後も総社境内にも長壁神は残り、城内と総社境内の2ヶ所の長壁神社が併存しました。
明治になると、城内を陸軍が使用するようになったため、城内の長壁神社は、1879(明治12)年に元塩町の総社境内地に移転されます。1913(大正2)年には、江戸時代を通して総社境内に残り続けていた長壁神社も、この城内からこられた長壁神社に合祀され、さらに1927(昭和2)年の国道拡幅にともない、現在地に移転したのが、総社境内の長壁神社です。
一方、現在の大天守最上層の社殿は、1879年に城内長壁神社が総社境内地に移転された後、改めてお祀りされました。
国宝姫路城は平成5年12月、奈良の法隆寺地域の仏教建造物とともに、 日本で初の世界文化遺産に登録され、令和5年に30周年を迎えます。
チームラボ 圓教寺 認知上の存在
書寫山圓教寺 三之堂 食堂(じきどう)1階
千姫の義父・本多忠政公の居館があった姫路城三の丸の西側高台には「千姫ぼたん園」があり、毎年4月下旬から5月頃、牡丹の花が美しく咲き誇っています。 入園は無料です。
兵庫県姫路市本町68
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男山八幡宮 千姫天満宮 が望めました
何故かしら フラダンス🌺
世界遺産登録30周年記念限定御城印🏯
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