ほんとくじ
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楽しみ方本徳寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年06月08日(月) 23時33分35秒
参拝:2026年6月吉日
【霊亀山(れいきさん)本徳寺(ほんとくじ)】
本尊:阿弥陀如来
宗派:浄土真宗本願寺派
開基:蓮如
~百寺巡礼:五木寛之氏が選んだ百の名刹 第58番~
亀山本徳寺(かめやまほんとくじ)は、兵庫県姫路市亀山に位置します。1515(永年12)年、本願寺第8世である蓮如の高弟・下間空善(しもつまくうぜん)が英賀(あが)城下に英賀御堂(あがみどう)を開山したのをはじまりとします。その後、播磨三木氏の庇護のもと発展しますが、1580(天正8)年、羽柴秀吉の軍勢に攻められ英賀城は落城し、英賀の寺内町も焼き尽くされてしまいます。それでも秀吉は、英賀御堂の建物だけは焼かずに残し、英賀から3キロメートルほど離れた亀山の地を寺地として寄進し、そこに英賀御堂を移転させました。現在の伽藍の一部は、英賀から伽藍等を解体し亀山へと移したものといわれています。
~『百寺巡礼 第六巻 関西』五木寛之(講談社、2004)~
本尊:阿弥陀如来
宗派:浄土真宗本願寺派
開基:蓮如
~百寺巡礼:五木寛之氏が選んだ百の名刹 第58番~
亀山本徳寺(かめやまほんとくじ)は、兵庫県姫路市亀山に位置します。1515(永年12)年、本願寺第8世である蓮如の高弟・下間空善(しもつまくうぜん)が英賀(あが)城下に英賀御堂(あがみどう)を開山したのをはじまりとします。その後、播磨三木氏の庇護のもと発展しますが、1580(天正8)年、羽柴秀吉の軍勢に攻められ英賀城は落城し、英賀の寺内町も焼き尽くされてしまいます。それでも秀吉は、英賀御堂の建物だけは焼かずに残し、英賀から3キロメートルほど離れた亀山の地を寺地として寄進し、そこに英賀御堂を移転させました。現在の伽藍の一部は、英賀から伽藍等を解体し亀山へと移したものといわれています。
~『百寺巡礼 第六巻 関西』五木寛之(講談社、2004)~

【大門】



【茶所】

【水盤舎】

【経堂】

【経堂 扁額】

【浄華堂】

【本堂】
本堂は、1854(嘉永6)年の安政の大地震で大破して再建されたのち、1868(慶応4)年の火事でふたたび全焼しています。その後、京都の西本願寺境内に建てられていた「北集会所(きたしゅうえしょ)」の建物を、新たに亀山本徳寺の本堂として移築し、それが現在の本堂となっています。
本堂は、1854(嘉永6)年の安政の大地震で大破して再建されたのち、1868(慶応4)年の火事でふたたび全焼しています。その後、京都の西本願寺境内に建てられていた「北集会所(きたしゅうえしょ)」の建物を、新たに亀山本徳寺の本堂として移築し、それが現在の本堂となっています。




【本堂 内部】

【本堂 扁額】
泥洹殿。
泥洹殿。


【新撰組入刀痕跡柱】
新撰組が、柱に刀傷をつけたのは、亀山に移築される以前の京都の北集会所のときでした。新撰組は、隊員が百数十名に増えたという理由で、西本願寺の北集会所に屯所を設置していました。
~その傷に指でさわってみた。なんとなく、歴史そのものに触れているという実感があった。ここに刀をふるったのは何歳ぐらいの隊士だったのだろうか。彼らもあの幕末の混乱期に、さまざまな悩みや焦燥感を抱いて生きていたのではあるまいか。~
新撰組が、柱に刀傷をつけたのは、亀山に移築される以前の京都の北集会所のときでした。新撰組は、隊員が百数十名に増えたという理由で、西本願寺の北集会所に屯所を設置していました。
~その傷に指でさわってみた。なんとなく、歴史そのものに触れているという実感があった。ここに刀をふるったのは何歳ぐらいの隊士だったのだろうか。彼らもあの幕末の混乱期に、さまざまな悩みや焦燥感を抱いて生きていたのではあるまいか。~

【中宗堂(蓮如堂)】


【中宗堂(蓮如堂)内陣】




【中門・大広間】

【大広間から見る中門・梵鐘】

【梵鐘】
英賀の宗太夫慶栄という三木一族のひとりが、母親の十七回忌を機縁に寄進したもので、かつて英賀御堂の鐘楼に吊られていたといわれます。
英賀の宗太夫慶栄という三木一族のひとりが、母親の十七回忌を機縁に寄進したもので、かつて英賀御堂の鐘楼に吊られていたといわれます。


【大玄関・庫裡】

【大玄関】

【大玄関から見る太鼓楼・釘貫門】


【大広間】

【大広間 欄間】



【大広間 花曼陀羅】
~上を見上げた瞬間から、息をのんで目を離せなくなる。大広間の上段の間の格天井。その全面に描かれている絢爛豪華な花の天井画。~
~上を見上げた瞬間から、息をのんで目を離せなくなる。大広間の上段の間の格天井。その全面に描かれている絢爛豪華な花の天井画。~








【櫻の間】




【太鼓楼】

【センダン】

【棟門】


【参拝記念証:倶会一處(くえいっしょ)】
「倶(とも)に一つの處(ところ)で会う」と読みます。この娑婆の迷いの姿で先に逝った人に天国で単に再会するのではありません。阿弥陀様のお浄土(おさとりの世界)で、菩薩となるからこそ、当然に共に会わせていただけると言うことです。阿弥陀様は、この「私」を必ず浄土に往き生まれさせ、仏に育てると誓われた仏さまです。今も「南無阿弥陀仏」の姿となって、「私」にはたらいて下さっています。
「倶(とも)に一つの處(ところ)で会う」と読みます。この娑婆の迷いの姿で先に逝った人に天国で単に再会するのではありません。阿弥陀様のお浄土(おさとりの世界)で、菩薩となるからこそ、当然に共に会わせていただけると言うことです。阿弥陀様は、この「私」を必ず浄土に往き生まれさせ、仏に育てると誓われた仏さまです。今も「南無阿弥陀仏」の姿となって、「私」にはたらいて下さっています。

【参拝記念証:泥洹殿(ないおんでん)】
「吹き消すこと」「吹き消した状態」を古代インド語のサンスクリット語でニルヴァーナといい、パーリ語ではニヴァーンといいました。これを中国語に翻訳するとき音写され、ニルヴァーナは「涅槃」と、ニヴァーンは「泥洹」と表されました。それでは、何が吹き消されるのでしょうか。貪りと怒りと執拗です。すべての人が心に潜ませている煩悩です。すなわち煩悩の火を吹き消した状態を指しますが、一般にはお釈迦様のさとりを涅槃といい、また、浄土のことを涅槃とも言います。殿は、大きく立派な建物を意味します。したがって、本徳寺の本堂には泥洹殿の扁額が揚げられています。
「吹き消すこと」「吹き消した状態」を古代インド語のサンスクリット語でニルヴァーナといい、パーリ語ではニヴァーンといいました。これを中国語に翻訳するとき音写され、ニルヴァーナは「涅槃」と、ニヴァーンは「泥洹」と表されました。それでは、何が吹き消されるのでしょうか。貪りと怒りと執拗です。すべての人が心に潜ませている煩悩です。すなわち煩悩の火を吹き消した状態を指しますが、一般にはお釈迦様のさとりを涅槃といい、また、浄土のことを涅槃とも言います。殿は、大きく立派な建物を意味します。したがって、本徳寺の本堂には泥洹殿の扁額が揚げられています。

【参拝記念証:摂取不捨(せっしゅふしゃ)】
人は何の為に行き、そして死ぬのか?「南無阿弥陀仏」(名号)の成り立ちとはたらきに疑いが晴らされ、信心が開け起こる時、この問題が見事に解き明かされます。これを、「現生正定聚」と親鸞聖人は示されました。この信心に目覚めた時、「摂取不捨」(摂め取って捨てない)の阿弥陀さまの智慧に照らされ護られて、この人生を精一杯生き抜き、去って行ける自立の人になります。
人は何の為に行き、そして死ぬのか?「南無阿弥陀仏」(名号)の成り立ちとはたらきに疑いが晴らされ、信心が開け起こる時、この問題が見事に解き明かされます。これを、「現生正定聚」と親鸞聖人は示されました。この信心に目覚めた時、「摂取不捨」(摂め取って捨てない)の阿弥陀さまの智慧に照らされ護られて、この人生を精一杯生き抜き、去って行ける自立の人になります。
すてき
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