かんべえじんじゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方官兵衛神社(廣峯神社境内)のお参りの記録一覧

夕方になりましたが廣峰神社様の境内をユックリお詣りして回りました。
ホントにたくさんの境内社が鎮座されています。
その中で2019年に創建された官兵衛神社様へもお詣りさせて頂きました。
赤穂が四十七士であったように、姫路と言えば大河ドラマにもなった黒田孝高(官兵衛、如水)が有名です。
中学生の頃、司馬遼太郎の「播磨灘物語」を読んで胸が熱くなりました(´▽`)
他にも信長や秀吉、竹中重治(半兵衛)などが描かれる小説では必ず登場します。
孝高は信長の命により謀反した荒木村重の説得に向かったのですが、逆に当時の主君であった小寺政職の毛利への寝返り内通により有岡城の地下の土牢に幽閉されます。
一年間、高さが二尺ほど光も差し込まず雨水が溜まるような劣悪な環境で無理な姿勢を強いられたために孝高は脚を傷めるのですが、このエピソード(地下牢は創作との説もあります)の前後で孝高の人物像が変わります。
秀吉、家康の天下人からも恐れられた「黒田如水」への道を歩み出した分岐点のように感じています。



兵庫県姫路市にある神社です。
境内社だと思っていたのですが、別分類されているようです。
黒田官兵衛と息子長政を祀る神社です。
HPで以下のように紹介されています。
備前・福岡(現:岡山県瀬戸内市)からこの地に流浪してきた官兵衛の祖父・重隆(しげたか)は、御師の家に寄宿(きしゅく)し、一族に伝わる目薬を売ったところ、大変繁盛したそうです。そして財を築いた重隆は有力豪族へと成長し、当時姫路を治めていた小寺政職(まさもと)に召し抱えられることに。ここ広峯神社・御師屋敷は、黒田家にとって起源ともいえる特別な場所です。
令和元年、235年ぶりに福岡市の大長寺に安置されていた、福岡藩祖「黒田官兵衛一族」ゆかりの古木の根が、官兵衛神社のご神体として福岡から姫路に帰郷しました。
古木の根は、江戸時代に発見された姫路市内にあった官兵衛の父「職隆」のお墓に埋められていたものです。
1783年、福岡藩は藩士を派遣し調査しましたが遺骨は発見できず、木の化石「珪化木」とみられる根を掘り出し、職隆のご位牌がある大長寺に安置しました。
NHK大河ドラマで注目を集め、姫路市の関係者が大長寺に譲渡を打診し、5本のうち高さ約60センチの1本を移すことで合意されたそうです。
新しい神社ですが、大河ドラマの影響もあってか、参拝者は多いです。

何もかも新しいです



令和元年秋に完成したばかりですから
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ

















































4
0