くくち すさのおじんじゃ
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久々知須佐男神社ではいただけません
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久々知須佐男神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年04月29日(金)
参拝:2022年4月吉日
尼崎市久々知の近松公園と境内がつながっている神社で、公園内を散歩中の方もふらりと立ち寄る感じでした。
天徳元年(957年)、多田満仲(源満仲)の勧請により建立されました。
当初は妙見菩薩、牛頭天王 諏訪明神、 末社として愛宕大権現と八幡大明神を祀る久々知妙見堂として神宮寺の広済寺と一体でしたが、神仏分離令により須佐男神社として分離。
境内には、多田満仲が摂津国守に赴任した際、住吉大神の信託に依り多田(現在の川西市)に向かって矢を射るときに足をかけたと云われる矢文石が残されています。
その矢は頭が九つもある大蛇に刺さったそうで、その首を切ると流れ出た血の跡が多くの田のようになっていたことから、その地を多田と名付けたそうです。
これは川西市の多田神社HPにも九頭竜伝説として記載されていましたが、微妙にちょっと違う部分があります。
細かいところは気にせず、伝説ということで😅
また宝暦年間に奉納された絵馬「鯉図」(法眼月岡雪鼎画)等、絵馬が多数所蔵されているそうなのですが、今回は拝見することができませんでした。
御朱印は、「矢文石」の近くにある宮司様の住居インターホンを押そうとしたタイミングで、たまたま奥様が出てきてくださり宮司様に取り次いでくださいました。
天徳元年(957年)、多田満仲(源満仲)の勧請により建立されました。
当初は妙見菩薩、牛頭天王 諏訪明神、 末社として愛宕大権現と八幡大明神を祀る久々知妙見堂として神宮寺の広済寺と一体でしたが、神仏分離令により須佐男神社として分離。
境内には、多田満仲が摂津国守に赴任した際、住吉大神の信託に依り多田(現在の川西市)に向かって矢を射るときに足をかけたと云われる矢文石が残されています。
その矢は頭が九つもある大蛇に刺さったそうで、その首を切ると流れ出た血の跡が多くの田のようになっていたことから、その地を多田と名付けたそうです。
これは川西市の多田神社HPにも九頭竜伝説として記載されていましたが、微妙にちょっと違う部分があります。
細かいところは気にせず、伝説ということで😅
また宝暦年間に奉納された絵馬「鯉図」(法眼月岡雪鼎画)等、絵馬が多数所蔵されているそうなのですが、今回は拝見することができませんでした。
御朱印は、「矢文石」の近くにある宮司様の住居インターホンを押そうとしたタイミングで、たまたま奥様が出てきてくださり宮司様に取り次いでくださいました。
すてき
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