いちきしまひめじんじゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方市杵島姫神社のお参りの記録一覧

【兵庫県神社庁HP⛩️抜粋】
主祭神) 市杵島姫命
配祀神) 天照大神、熊野大神、天児屋根命
誉田別命
御神徳) 時代の変遷と共にですが、海上守
護〜市場の商い神〜芸能の神
※ 大本山 中山寺を出発し、巡礼街道筋に
面し、大本山中山寺奥之院に向かう道の
要所(宝塚市中山寺2-11-21)に鎮座
厳島神社⛩️を中心とする市杵島姫神で、
古典の伝える宇気比の神話で海上守護の
三姫神の一柱である
現在は七福神弁財天として芸能の神として
信仰を集める
元は紫雲山中山寺の守護神(弁財天)として
境内に祀られていたが、戦禍や神仏分離の
流れを経て、明治四年に現在の地に遷座さ
れたと伝わる
^ ^ 巡礼街道の石柱や看板が随所にあり
ちょっといい感じでした👣👣

書置きをいただきました^ ^
あっ💦日にち😅12/28です・・・

市杵島姫神社⛩️鳥居⛩️

由緒🧐

手水舎

拝殿

大悲水と夫婦杉例大祭🤍🩵🍀
手水の水は大悲水でしょうか
水が美しくて記録させて頂きます
洗心
神仏の住み給う所です
心を清め 行いを正しく
市杵島姫神社
御祭神 市杵島姫命
配祀神 天照大神 熊野大神
天児屋根命 誉田別命
例祭日 10月24日
巡礼街道筋に面し、中山寺梅林や中山寺奥の院へ
向かう通り道としての要所にあります
主祭神は厳島神社を中心とするイチキシマヒメ神で、古典の伝える宇気比(うけひ)の神話による
海上守護の三姫神の一柱です
後に市場の商神として崇められ、
また一般には七福神の中の弁財天ともいわれていることから芸能の神としても親しまれています
聖徳太子によって建立されたといわれる
紫雲山中山寺の守護神、弁財天として
境内にまつられていましたが、
天正年間(1573~1593年)の荒木村重の乱で
中山寺はすべて焼失
慶長8年(1603)に豊臣秀頼が再建に着手し、
慶長10年に落慶
当神社も新境内の西方高台に鎮座された
ということです
明治元年の廃仏毀釈令により神仏分離となり、
現在社地に遷座されたのが明治4年3月のことと
伝えられています
兵庫県神社庁より〜
📍 宝塚市中山寺2-11-21






御神燈








中山寺奥之院へ
(別ルートで)


こちらで十一丁くらいでしょうか?



兵庫県宝塚市にある神社です。中山寺から歩いて5分ぐらいの所にあります。
ちょうど中山寺の墓所の裏手になり 住宅街ではありますが 静かな場所です。
とても立派な社殿だなぁと思っていたら 中山寺の旧鎮守社だそうです。納得です。
社殿は比較的新しいのですが 狛犬さんはまあまあ年代物のように見えます。
参拝者はおらず 静かにお参りさせていただきました。
書置きですが御朱印も拝受できました。
主祭神は市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)通称は辨財天
相殿は天照大神(アマテラスオオカミ)・熊野大神(クマノオオカミ)・天児屋根命(アメノコヤネノミコト)・誉田別命(ホンダワケノミコト)です。
由緒については
主祭神は厳島神社を中心とするイチキシマヒメ神で 古典の伝える宇気比(うけひ)の神話による海上守護の三姫神の一柱です。
後に市場の商神として崇められ また一般には七福神の中の弁財天ともいわれていることから芸能の神としても親しまれています。
聖徳太子によって建立されたといわれる紫雲山中山寺の守護神 弁財天として境内にまつられていましたが 天正年間(1573~1593)の荒木村重の乱で中山寺はすべて焼失。
慶長8年(1603)に豊臣秀頼が再建に着手し 慶長10年に落慶。
当神社も新境内の西方高台に鎮座されたということです。
その後 明治元年の廃仏毀釈令により神仏分離となり 現在社地に遷座されたのが明治4年3月のことと伝えられています。
とありました。

正面石鳥居

手水舎

縁起

拝所

古いですね


拝所

奥が本殿

摂社

鳥居の扁額

玉垣も立派

【市杵島姫神社】
初めての参拝。阪急の中山観音駅から中山寺を通り過ぎて少し先にありました。手水で清める事もできますし、清め塩や消毒液もあり。キレイに管理されてます。御朱印は書置きがあり、志納?引出しにある小さな袋に入れて、お賽銭箱に入れる方法でした。








書置き。
姫嶋神社の赤色御朱印帳に拝受。
日付は参拝者自身で書くようになっていました。無人対応を可能にし、とても合理的☺️
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ













































5
0