御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2024年4月
西宮神社ではいただけません
広告

にしのみやじんじゃ

西宮神社のお参りの記録(1回目)
兵庫県西宮(阪神)駅

投稿日:2019年05月28日(火)
参拝:2019年5月吉日
神仏霊場の御朱印を頂きに来ました。
以前ここに来た時はえびす祭りの時だったので、もう人にもみくちゃにされててどんなお宮だったのかはっきりと見ていなかったんですよ(苦笑)
いや~、結構広いお宮さんだったんですね。

結婚式が行われてました。お宮参りの方も多くいらっしゃっていて、5組ほどいらっしゃっていたかなぁ。
後で調べたらこの日は「大安」だったんですね(納得)

入り口の赤門を見て「これが福男の時閉められている扉かぁ」って見てました。
そしてみんなが転びかける「魔のカーブ」丁度その前にあるお宮が南宮。

そういえば西宮があるなら南宮があってもおかしくないと思ってたけど、境内にあるのねと思ったんですが、違うんですよね。
ここ廣田神社の摂社なんですって。
まぁそういう考え方だと「東宮」とか「北宮」とかもありそうなんですものね。

じゃあ、西宮と言う名前の由来はなんだ?って思ってwikiさんを調べると、
「・えびす神を最初に祀ったと伝わる鳴尾や古代の先進地域である津門から見て「西の方の宮」という説
 ・京都から見て貴族の崇敬篤き廣田神社を含む神社群を指して「西宮」と称していたが、戎信仰の隆盛と共に戎社を「西宮」と限定して呼ぶに至ったという説
 ・「西宮」とは延喜式内社の大国主西神社の事を指すとの説」
があるそうです。

そもそも、文献で出てくる大国主西神社と言うのがイザナミ・イザナギの最初の子(ヒルコ)がたどり着いた神社なんだそうですが、実は位置が違うんですって。
ここから更に西に流れる夙川のほとりにあったようです。
で、再びwikiさんによると
「平安時代末期、廣田神社の摂社として「夷」の名が初めて文献にあらわれるようになる。そのためこの頃から戎信仰が興ったとの説がある(同時期の梁塵秘抄にも、諏訪大社、南宮大社、敢国神社と共に、廣田神社の末社が南宮とされている)。この南宮が現在の西宮神社のことであり、廣田神社の境外摂社である「南宮神社」が現在でも西宮神社の境内にあるのはその名残りである」と言う事です。
という事は、ここにある南宮神社って結構重要な神社さんだったんですね。

ところで、最後の1枚の写真、これは2010年に初めて参拝したえびす祭りの様子。
なんと本殿まで行けてたんだと。
あの時はもみくちゃにされててそんな事もわからなかったんですが、今回結婚式だったもので当然入れませんが、普段も入れないのでしょうかね?
西宮神社の鳥居
西宮神社の山門
福男スタート地点の表大門
西宮神社の景色
西宮神社の建物その他
南門
西宮神社の本殿
拝殿
西宮神社の結婚式
西宮神社の庭園
西宮神社の庭園
西宮神社の末社
南宮神社
西宮神社の本殿
2010年の写真 本殿

すてき

みんなのコメント0件)

ログインしてください

ログイン無料登録すると、投稿へコメントできます。

ホトカミ見ました! で広がるご縁

ホトカミを見てお参りされた際は、
もし話す機会があれば神主さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
神主さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。
西宮神社の投稿をもっと見る166件
コメント
お問い合わせ