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みぬめじんじゃ

敏馬神社のお参りの記録(3回目)
兵庫県岩屋駅

投稿日:2024年07月24日(水)
参拝:2024年7月吉日
交通量が多い国道2号線沿いに鎮座。
敏馬と書いて「みぬめ」と読むのですが、どうしてもこの読み方が覚えられず・・・😅

この敏馬神社から海までは500mほどの距離がありますが、埋め立てられる前は境内のすぐ南側に海岸線があったようです。
その海が「敏馬の浦」と呼ばれ、白砂青松の美しい海浜だったそうです。
さらに良質な海藻が育つ海でもあり、大和時代には都があった大和の人達が九州や朝鮮へ渡る際、ここで一泊したり、新羅から来朝した人を生田社で醸した酒をここで給い穢れを祓ってもてなしたそうです。
また柿本人麻呂や大伴旅人、田辺福麻呂など多くの歌人もこの地を訪れ、多くの歌が詠まれています。

<御祭神>
 素盞嗚命 天照皇大神 熊野座大神

下記の御由緒にはもともとの御祭神は「美奴売神」だったようですが、江戸時代の頃素盞嗚命信仰が盛んになったことにより、御祭神が変わったのではないかとのこと。

<御由緒>~パンプレットより~
当社の旧記は慶長年間(1600年頃)兵火にかかり焼失して伝わらないが、諸文献によって考察することができる。
奈良時代の摂津風土記(713年)に『美奴売とは神の名で、神功皇后が新羅へご出兵の時、神前松原(豊中)で神集いをされた処、能勢の美奴売山(大阪府豊能郡三草山)の神様が来られ、我が山にある杉の木を伐り船を造りて新羅へ行かれるなら幸いするところありと教えられた。
その通りなされると大成功を収めた。
お還りの時、この地で船が動かなくなったので、占い問うと神の御心なりと。 故に美奴売の神様をこの地に祀り、船も献上した。』とある。
これ当社の縁起にして、神功皇后摂政元年(201年)の御創建となる。
また平安時代の延喜式(927年)の神名帳に生田・長田神社と並び汶売(みぬめ)神社が記されている。
延喜式に記載される神社を式内社といい、最も古い由緒を誇る格式のある神社である。

敏馬神社の鳥居
敏馬神社の建物その他
私が参拝した日の一週間後に夏祭が予定されていたようです
敏馬神社の建物その他
この階段を登ると拝殿です。
社務所は階段前の左手にあります。
敏馬神社の手水
手水舎
敏馬神社(兵庫県)
拝殿
敏馬神社の本殿
本殿
敏馬神社の末社
水神社
敏馬神社の末社
后の宮
敏馬神社の末社
松尾神社
敏馬神社の建物その他
田辺福麻呂の万葉歌碑
敏馬神社の建物その他
敏馬神社の建物その他
敏馬神社の本殿
敏馬神社の建物その他
閼伽井
敏馬神社の末社
白玉稲荷神社
敏馬神社の末社
敏馬神社の建物その他
敏馬神社の御朱印

すてき

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