みぬめじんじゃ
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敏馬神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年10月20日(水)
参拝:2021年10月吉日
敏馬と書いて「みぬめ」と読みます。
国道2号線沿い、三宮から少し東に進んだところに鎮座しています。
昔この辺りは神社のすぐ前は海で、社殿のある高台は岬になっていたそうです。
そして両側は入り江になっていて、奈良時代には「敏馬の浦」「敏馬の泊」と呼ばれる神戸最古の港だったとか。
そのため多くの歌人もここを訪れ、多くの歌を残しているようです。
奈良時代の摂津風土記(713年)に
『美奴売(みぬめ)とは神の名で、神功皇后が新羅へ御出兵の時、神前松原(豊中)で神集いをされた処、能勢の美奴売山(大阪府豊能郡三草山)の神様が来られ、我が山にある杉の木を伐り船を造りて新羅へ行かれるなら幸いするところありと教えられた。その通りなされると大成功を収めた。お還りの時、この地で船が動かなくなったので、占い問うと神の御心なりと。故に美奴売の神様をこの地に祀り、船も献上した』
とあり、これがこの敏馬神社の縁起として、神功皇后摂政元年(201年)の創建となるそうです。
また創建当初の御祭神は上記のとおり美奴売の神でしたが、貞享3年(1686年)の文書には敏馬三社として、素盞嗚尊を主祭神、天照皇大神と熊野坐神を配祀神とされたとか。
美奴売の神(弥津波能賣神)は、水の神様として境内の水神社に祀られています。
一体何があったんでしょうね・・・
なお社殿は昭和20年の戦災により焼失したため昭和36年に再建、その後阪神淡路大震災で倒壊しましたが復元修復されたそうです。
国道2号線沿い、三宮から少し東に進んだところに鎮座しています。
昔この辺りは神社のすぐ前は海で、社殿のある高台は岬になっていたそうです。
そして両側は入り江になっていて、奈良時代には「敏馬の浦」「敏馬の泊」と呼ばれる神戸最古の港だったとか。
そのため多くの歌人もここを訪れ、多くの歌を残しているようです。
奈良時代の摂津風土記(713年)に
『美奴売(みぬめ)とは神の名で、神功皇后が新羅へ御出兵の時、神前松原(豊中)で神集いをされた処、能勢の美奴売山(大阪府豊能郡三草山)の神様が来られ、我が山にある杉の木を伐り船を造りて新羅へ行かれるなら幸いするところありと教えられた。その通りなされると大成功を収めた。お還りの時、この地で船が動かなくなったので、占い問うと神の御心なりと。故に美奴売の神様をこの地に祀り、船も献上した』
とあり、これがこの敏馬神社の縁起として、神功皇后摂政元年(201年)の創建となるそうです。
また創建当初の御祭神は上記のとおり美奴売の神でしたが、貞享3年(1686年)の文書には敏馬三社として、素盞嗚尊を主祭神、天照皇大神と熊野坐神を配祀神とされたとか。
美奴売の神(弥津波能賣神)は、水の神様として境内の水神社に祀られています。
一体何があったんでしょうね・・・
なお社殿は昭和20年の戦災により焼失したため昭和36年に再建、その後阪神淡路大震災で倒壊しましたが復元修復されたそうです。
鳥居
拝殿はこの階段の先です
階段を登り切ると拝殿が見えました!
拝殿内部
拝殿の右側(東側)に飛び石があり、思わず誘われるようにその方向へ。
って、間隔広すぎ~😅
飛び石というよりは、誘導する目的のほうが強いのかも。
って、間隔広すぎ~😅
飛び石というよりは、誘導する目的のほうが強いのかも。
飛び石の先には、万葉歌碑がありました。
万葉集(巻六) 田辺福麻呂
万葉集(巻六) 田辺福麻呂
歌碑の内容の説明です
本殿
手水舎
水神社
祭神:弥津波能賣神
水を司る神様で、創建時の主祭神と伝承されているそうです。
祭神:弥津波能賣神
水を司る神様で、創建時の主祭神と伝承されているそうです。
水神社と奥の宮の説明
奥の宮?どこにあるんだろう?と思ってたんですが、帰ってから調べてみたら水神社の社のすぐ後ろにあるそうです。
奥の宮?どこにあるんだろう?と思ってたんですが、帰ってから調べてみたら水神社の社のすぐ後ろにあるそうです。
后の宮
祭神:神功皇后
祭神:神功皇后
松尾神社
祭神:金山彦神 大山祇神 船玉神
酒の神様です
祭神:金山彦神 大山祇神 船玉神
酒の神様です
この地を詠んだ歌が境内に掲げられていたので、いくつか紹介します
右:妹と来し 敏馬の埼を 帰るさに 独り見れば 涙ぐましも(大伴旅人・奈良時代・万葉集)
左:よそにだに みぬめの浦の あま人や ただいたづらに 袖ぬらすらむ(藤原師光・平安時代)
右:妹と来し 敏馬の埼を 帰るさに 独り見れば 涙ぐましも(大伴旅人・奈良時代・万葉集)
左:よそにだに みぬめの浦の あま人や ただいたづらに 袖ぬらすらむ(藤原師光・平安時代)
右1:夜もふかく みぬめの浦を 過ぎぬれば 磯うつ波の 音のみぞ聞く(片桐貞芳・江戸時代)
右2:見奴女とは たがいひそめし 名なるらん かくたぐひなき 浦のながめを(松平忠名・江戸時代)
左1:いわし曳く 網をはじめて 敏馬かな(呉春・江戸時代)
左2:広澤は いかに敏馬の 月清し(大魯・江戸時代)
右2:見奴女とは たがいひそめし 名なるらん かくたぐひなき 浦のながめを(松平忠名・江戸時代)
左1:いわし曳く 網をはじめて 敏馬かな(呉春・江戸時代)
左2:広澤は いかに敏馬の 月清し(大魯・江戸時代)
右:ますかがみ 今やみぬめの 浦ならむ くもるもひさし 五月雨の空(頓阿法師・南北朝時代)
中:浪の上を こぎ行く舟の 跡もなき 人を見ぬめの うらぞ悲しき(賀茂真淵・江戸時代)
左:ますかがみ みぬめの浦の 沖津洲に 舟人さわぐ 月や出づらむ(香川景樹・江戸時代)
中:浪の上を こぎ行く舟の 跡もなき 人を見ぬめの うらぞ悲しき(賀茂真淵・江戸時代)
左:ますかがみ みぬめの浦の 沖津洲に 舟人さわぐ 月や出づらむ(香川景樹・江戸時代)
敏馬の泊、敏馬浦の変遷
階段を降りて駐車場にも万葉歌碑が。
柿本人麻呂の歌でした。
玉藻刈る敏馬を過ぎて夏草の野島の崎に船近づきぬ
柿本人麻呂の歌でした。
玉藻刈る敏馬を過ぎて夏草の野島の崎に船近づきぬ
神社略記
白玉稲荷神社
閼伽井
現在は水が涸れてしまったようです
現在は水が涸れてしまったようです
社務所前にも小さな手水鉢がありました。
通常御朱印
直書きしていただけます
直書きしていただけます
限定御朱印
書き置きになります
書き置きになります
すてき
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