とうふくじ|浄土宗|潮音山
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神戸市兵庫区にあるお寺です。
祥福寺から坂を下ったところにありました。
変わったおうちだなぁと思ったら掲示板があり ありゃりゃこれはお寺やん。
マップで確認していなかったものですから この坂だけで2院もお参り(?)できて有難かったです。
確かに寺号標と石柱があってお寺であることを教えてくれますが 建物は少し変わっています。
石柱で浄土宗寺院だと分かりましたので これはお話が伺えなさそうだと思いましたので 本堂だと思われる建物に向かって合掌して終わりました。
私は山門の前や本堂の前で合掌することが多いのですが これをやらないと不審者だと思われて通報されちゃたまらないですからね。
一応拝んではいますが アピールもあります。
散策していると きょろきょろしますし 不審者だと思われる可能性大ですから。
ネット情報です。
山号は潮音山 院号は通院 宗派は古義真言宗 → 浄土宗 ご本尊は阿弥陀如来 開基は操勅僧正 札所等は福原西国三十三観音霊場17番札所です。
福原西国三十三観音霊場は 神戸市の兵庫区・長田区を中心とした福原地区周辺に立地する札番付きの札所33カ寺に加えて番外4カ寺を含めた37カ寺を巡る霊場巡拝である。
その起源ははっきりしていないが 300年以上遡った1710年(宝永7年)に刊行された「兵庫名所記」に当時の参加寺院名とともに紹介されたのが最も古い記録である。
その後明治維新後の廃仏毀釈により廃寺となる寺院もあり 一旦廃絶状態となるが1887年(明治20年)に廃寺を別の寺院で補い 再編成される。
その後1922年(大正11年)に「神戸巡礼会」が結成され 昭和初期に訪れた札所めぐりブームにも乗って隆盛期を迎えるが 第2次世界大戦末期の神戸大空襲により多くの寺院が壊滅的な被害を受け 再び廃絶状態となる。
戦後復活したのは1972年(昭和47年)になってのことで 「福原西国霊場案内」が作成された。
寺伝によると 延暦年間に操勅僧正(弘法大師の師匠)が開山。
源平の戦いで一時焼失。
延宝2年燈譽酉傳上人により浄土宗に改宗。
本堂は 1782年(天明2年)・1906年(明治39年)・1936年(昭和11年)に建て替える。
山号の伝説では 昔は海岸線が現在よりずっと山側にあって 湊川は流れが深く 船舶が上下し潮水が山門にまで達していたといわれる。

掲示板がお寺だと教えてくれました

山門はなく 門は開いていました

寺号標

寺号の石柱

入るのはやめました

神戸震災慰霊巡礼。とても近代的な建物で玄関上に梵字の扁額。お参りできるか確認すると本堂へお参りさせていただけました🤗ご焼香の用意までしていただきありがたい限り。ご住職不在で奥様に震災のお話を伺うとまだ生まれていなかったとのこと。本堂建物は倒壊し御本尊は救出出来たとのことでした。本堂は彌陀三尊に善導大師、圓光大師と浄土守寺院らしい像が並んでおりました。御朱印は書置きならとのことで福原霊場の御朱印を拝受。福原霊場のお話を伺うと祥福寺さんも霊場だったとお聞きしたのでやはり御朱印はもらえるのかな?玄関に在りし日のお寺のスケッチが飾られており震災前の風格ある寺院の姿が偲ばれます。圓光大師霊場もあるようなのでそのあたりも調べて再訪しようかな🤗






境内・文化財
境内・文化財をもっと見る|| 名称 | 東福寺 |
|---|---|
| 読み方 | とうふくじ |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 078-361-3301 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
巡礼の詳細情報
| 福原西国三十三観音霊場 第17番 | 仏さま:阿弥陀如来・聖観世音菩薩 御詠歌: 山の名に かくる潮の 音高き 御法の声は 尊ふとかりけり |
|---|
詳細情報
| ご本尊 | 阿弥陀如来 |
|---|---|
| 山号 | 潮音山 |
| 院号 | 圓通院 |
| 宗旨・宗派 | 浄土宗 |
| 体験 | 札所・七福神巡り |
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