いくたじんじゃ
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楽しみ方生田神社のお参りの記録一覧


初詣の続きです。
弓弦羽神社から生田神社にやってきました。
ホトカミに公式神社として登録されていて お知らせをよくお見掛けしますし 投稿も多いですね。
おそらくは神戸では初詣でいちばん混雑する神社だと思います。
ずいぶん前に年越しすぐに生田さんにお詣りしようと思ったら とんでもない行列で諦めたことがありました。
今回は 三が日ははずしていますし 時刻もそこそこ遅い時刻なので 混んでいないことを期待しつつのお詣りでした。
大鳥居の前には出店が残っていて 参拝者はけっこう多かったです。
手水舎が 年始だけかも知れませんが おみくじ掛けになっていました。
相当な数結ばれています。10000ぐらいかな?
楼門前には門松のようなものがあったのですが これ何でしょう。
杉の枝と樒とススキ のようなものが束ねられて 門松のようになっています。
門の前ですが 松ではないので 別の名前があるのでしょう。
楼門の両脇ではおみくじやお札を拝受されていました。
拝殿に進むと 思ったよりは人がいましたが 空いていてすぐにお詣りできました。
奉納の標がたくさんあり さすが年始は違うなぁと思いました。
拝殿内では どこぞの会社の祈祷が行われていました。
本殿裏手に生田の森があり そちらにも行きました。
ここは金龍泉という泉があり 紙をそちらの水で濡らすと文字が浮き上がる水占いがあります。
縁結びの占いで 女性に大人気です。
この時は若い女性がお二人 占っている最中でした。
生田の森の東側には 稲荷神社があります。
右手にはマンションとの境になるコンクリートの壁があり 左手は生田の森。
その真ん中に鳥居がいくつも並んでいます。20ぐらいかな。
イメージとしては 伏見稲荷大社の千本鳥居の感じです。
写真はタイミングを見計らって撮っていますが 参拝者がけっこう並んでいました。
少し雨が降ってきましたので 先を急ぎます。
境内社の蛭子社と戸隠神社にもお詣りしてから社務所に向かいました。
通常であれば 御朱印は会館の入口にある授与所で頂くのですが やはり混雑するこの時期は 境内にテントを張ってその中での拝受となりました。
季節の切り絵御朱印をいただきました。
ファミリアとのコラボ御朱印帳が人気のようでした。
雨が強くなってきました。
境内社の大海神社と松尾神社にもお詣りして 本日終了です。
本降りになる前に駅まで行けました。(結局本降りにはならなかった)
ネット情報です。
主祭神は稚日女尊(わかひるめのみこと)です。
稚日女尊は神代の昔 機殿はたどので神服を織っていました。
稚日女尊は国民の生活の豊になる様 一般の方は基より各企業 団体様の更なる繁栄とご健康また諸々の災いがなく 家庭生活をお守り下さるご神徳があり広く信仰されています。
日本書紀によると 神功皇后元年(201年)に神功皇后が三韓征伐を終わらせて帰還するなか 船が現在の神戸港で進まなくなったために神占を行った。
すると 稚日女尊が現れて「吾は活田長峡国に居らむと海上五十狭茅(うながみのいさち)に命じて生田の地に祭らしめ(私は“いくた”の“ながさの国”におりたいのです。“うなかみのいそさち”に命じて生田の土地に祀らせてほしい)」との神託があった。
そこで皇后は海上五十狭茅を神主として 現在の新神戸駅の奥にある布引山(砂山(いさごやま))に稚日女尊を祀らせた。
これが当社の始まりであるという。
砂山にあった当社であるが 延暦18年(799年)4月9日に発生した布引の滝の大洪水により砂山の西の端が崩れ 社殿が傾斜する被害が出た。
そこで生田村の刀禰七太夫が御神体を避難させ それを背負って7・8日間鎮座地を探し巡ったところ 生田の森で突然背負った御神体が重くなりこれ以上歩けなくなった。
これは御神意であろうとなり その場所つまり現在地に安置したという。
大同元年(806年)に朝廷より当社のために「生田の神封四十四戸」 つまりお供えする家 世話をする家 守る家である神戸(かんべ)44戸を頂いたとある。
以来現在の神戸市中央区の一帯は当社の社領となった。
この神戸(かんべ)が紺戸(こんべ)となり この地が神戸(こうべ)と呼ばれるようになったとする。
平安時代末期の寿永3年(1184年)2月に戦われた一ノ谷の戦いでは 平知盛が生田の森に本陣を敷いている。
社殿は1938年(昭和13年)の神戸大水害で損壊 1945年(昭和20年)3月17日の神戸大空襲で焼失 1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災での損傷など何度も被害にあうが そのつど復興されてきたことから「蘇る神」としての崇敬も受けるようになっている。
先述の延暦18年(799年)の大洪水の際 社の周囲には松の木が植えられていたが 洪水を防ぐ役割を全く果たさなかった。
そのため松が嫌われるようになったとする伝承があり 正月には門松ではなく杉飾りが立てられる。
また 生田の森には1本も松の木は植えられていないといわれている。
おぉぉ杉の飾りについて書かれておったぞ。

大鳥居 そこそこ混んでいました

参道はそうでもないか

手水舎がおみくじ掛けになっていました

楼門前に門松?

杉玉ならぬ 杉の枝と樒とススキ?

拝殿

お正月は奉納も多い

どこぞの会社の祈祷中でした

折鳥居と礎石

裏手 生田の森に金龍泉があります

玉垣に 元兵庫県知事のお名前 おみくじの案内も

ぽんと置かれています

奥にけっこう人がいますね

生田森坐社

金龍泉 水占いの紙を泉の水で濡らすと字が浮かび上がります

東門から入ってすぐ目の前に

稲荷神社の鳥居

15基ほど並んでいます ちょっと伏見稲荷大社みたい

狐さん 顔が怖い


参拝者 けっこう多かったです

蛭子社

耳がある 狛犬? シーサーのような


扁額

戸隠神社

大海神社

松尾神社


少し東に走り生田神社様を目指しました。
何度か近くまでは来ていたのですが生田神社様へ
参拝させていただくのは初めてでした。
御祭神は
稚日女尊(ワカヒルメノミコト)
をお祀りされています。
201年に神功皇后が三韓征伐からの帰還の途中に
現在の神戸港沖である武庫の水門で船が急に
進まなくなりました。そこで占いを行ったところ
稚日女尊が現れ「私は活田長峡国に留まりたい」と
神託を下されました。
その神託に従い海上五十狭茅に命じて稚日女尊を
祀ったのが生田神社の始まりとされています。
この御由緒って良く見かけるのですが調べてみると
この時の占いでに神功皇后は複数の神様から
御神託を受けられたそうです。
稚日女尊は生田神社様
事代主神は長田神社様
天照大神の荒御魂は廣田神社様
住吉三神は住吉大社様
このエピソードに関わるお社様はこの四社に
なります。
年末ではあったのですが平日なのにスゴい数の
参拝者が来られていました。
本殿で手を合わせさせていただくのも並びましたが
摂社の稲荷社もかなりの行列が出来ていました。




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