浄土真宗本願寺派
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広福寺のお参りの記録一覧

神戸市兵庫区にあるお寺です。
神戸市営地下鉄の 「上沢駅」 と 「湊川公園駅」 のちょうど中間ぐらいにあります。
大きな街道から一本内側に入った場所ですが 町中のお寺としてはとても広いと思います。
残念ながら門が閉まっていて中に入ることはできませんでしたが 外から中の様子を伺うことはできました。
門の正面に2階建ての本堂がありました。
右手には庫裡だと思われる建物もありました。
境内はコンクリと砂利で固められているのですが 円形の花壇(?)があり 桜の木が3本ほど植わっていました。
町中のお寺では こういうお庭はすっきりとしていて良いですね。
残念ながらお話を伺うことはできませんでしたので 門の外で手を合わせました。
ネット情報です。
山号は弘誓山 宗旨宗派は浄土真宗本願寺派 開山は親鸞聖人 ご本尊は阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)です。
当寺はHPをおもちでしたので 借稿させていただきます。
廣福寺は 詳しい創建年は不明ですが 明和2(1765)年に寺号の許可が下りており 約260年前には存在していたことが分かります。
当時の寺地は 京都市下京区廿三組学林町にあり 本山西本願寺の前にあることから 本山で働く坊官の寺であったと考えられています。
その後 幕末から明治の混乱を経て 滋賀県五箇荘から入寺した楠諦観は 明治20(1887)年 寺地を神戸に移しました。
明治28(1895)年には 山口県大島郡出身の楠蔵也が入寺しました。
蔵也は 明治の大仏教者である大洲鉄然(1834~1902)の弟子であり 本山会衆(現宗会議員)として本山でも活躍しました。
蔵也は 寺を湊西区(現兵庫区)下沢通5丁目と現在の場所に移しました。
そして 大正10(1921)年には本堂を 昭和6(1931)年には庫裏を新築しました。
昭和19(1944)年に 富山県新湊市(現射水市)から楠誓隆が入寺しました。
ところが 入寺三ヶ月で召集され 昭和20(1945)年3月の神戸大空襲で華麗な本堂・庫裏・書院は灰燼に帰しました。
戦後は 区画整理のため寺地は減らされ 門徒も離散し 誓隆は教職と兼職しながら 苦節20数年にして ようやく昭和48(1973)年に前本堂が完成しました。
しかし 阪神淡路大震災によって 庫裡とともに全壊しました。
その後 楠誓也によって 平成12(2000)年に現在の本堂が完成しました。
実に明治・大正・昭和・平成と災難に遭いながら 多くのご門徒と協力して 復興してきたお寺なのです。

門は閉まっていました

寺号の石柱

寺号標

境内の様子
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