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楽しみ方大川神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年04月02日(木) 21時11分53秒
参拝:2026年3月吉日
大川神社は神戸市兵庫区にある神社です。
神戸市中央卸売市場本場の南西 同じく埋め立て造成された島にあります。
この島には民家はほとんどなく 会社や商業施設ばかりです。
ですが この大川神社の周りには 少しだけ民家エリアがありました。
正確には 民家&お店という感じでした。
街道から1本外れた道沿いにあります。
駐車場の外れに 白木の玉垣で囲まれていて 社号標もありますのですぐ分かります。
玉垣には 鎮座来歴と祭神について書かれたものが掛けられていました。
それには
明治九年四月 当地に疫病が広範に亘り流行。
伝染罹病を大いに憂いおりました處疫病除の神が丹後の國由良川下流の地にありと聞き 当時町の有力者三浦梅吉氏外数名が幾多の通行難所の地へ背負具を持ち 昼夜かけて其の地に赴き 御霊の分賦を仰ぎ急ぎ持ち帰りて出在家町神田家敷地内に鎮座されたものであります。
明治十六年五月はたまた疫病が流行しましたが 大川神社の御加護に依るものか一人の罹病者も出さず 此の難を避けさせて戴いたのであります。
これより町民等しく心に染みて此の社に日参し御備用物も絶える事なく日増しに信仰の念を深めて戴き今日に至っております。
大川神社第二十三代顕宗天皇元年(1488年前)四月二十三日の創建で祭神は大川五社大明神といわれ
主神は保食神(うけもちのかみ)
相殿に句々迺馳神(くぐぬちのかみ)・軻遇突智神(かぐづちのかみ)・埴山姫神(はにやまひめのかみ)・金山彦神(かなやまひこのかみ)・罔象女神(みずはのめのかみ)
の五元神(天地宇宙想像統一支配神)が祭祀せられる式内社であり 延喜式・日本書紀大日本史などの古記に見られ また天武・持統天皇紀に大忌神・大忌五柱神とあり 歴代皇室が崇拝せられた名社であります。
又 境内に医祖神社・病除神社・竃神社・野々宮神社・興和神社があります。
と書かれていました。
町の方々が勧請して今に伝える名社ということですね。
素晴らしいと思いました。
本殿祠は覆屋の中にありました。
小さいながらに立派な祠でした。
そのすぐ横には大川神社経歴書が掛けられていました。
そこには
前の大戦により焼失した御神殿も 終戦後間も無く復興されましたが 今日に至るまでの約六十年という長き年月の間 御神殿は風雨に晒され 経年の劣化に伴い 神社の護持管理をしている出在家町協議会は その有様に胸拉がれ 新たに御造営を計画致しました。
長きに亘り諸準備を整え進めてまいり 平成の御世は二十二年の御年に 目出度く出在家町町民の願が叶い 竣工の運びとなりました。
この度の御造営に 於かれましては 神田家の絶大なるご支援とご協賛を賜り 同年十月には遷座祭も厳粛裡且つ盛大裡に斎行されました。
と書かれていました。
これだけあればネット調べは要りませんね。
神戸市中央卸売市場本場の南西 同じく埋め立て造成された島にあります。
この島には民家はほとんどなく 会社や商業施設ばかりです。
ですが この大川神社の周りには 少しだけ民家エリアがありました。
正確には 民家&お店という感じでした。
街道から1本外れた道沿いにあります。
駐車場の外れに 白木の玉垣で囲まれていて 社号標もありますのですぐ分かります。
玉垣には 鎮座来歴と祭神について書かれたものが掛けられていました。
それには
明治九年四月 当地に疫病が広範に亘り流行。
伝染罹病を大いに憂いおりました處疫病除の神が丹後の國由良川下流の地にありと聞き 当時町の有力者三浦梅吉氏外数名が幾多の通行難所の地へ背負具を持ち 昼夜かけて其の地に赴き 御霊の分賦を仰ぎ急ぎ持ち帰りて出在家町神田家敷地内に鎮座されたものであります。
明治十六年五月はたまた疫病が流行しましたが 大川神社の御加護に依るものか一人の罹病者も出さず 此の難を避けさせて戴いたのであります。
これより町民等しく心に染みて此の社に日参し御備用物も絶える事なく日増しに信仰の念を深めて戴き今日に至っております。
大川神社第二十三代顕宗天皇元年(1488年前)四月二十三日の創建で祭神は大川五社大明神といわれ
主神は保食神(うけもちのかみ)
相殿に句々迺馳神(くぐぬちのかみ)・軻遇突智神(かぐづちのかみ)・埴山姫神(はにやまひめのかみ)・金山彦神(かなやまひこのかみ)・罔象女神(みずはのめのかみ)
の五元神(天地宇宙想像統一支配神)が祭祀せられる式内社であり 延喜式・日本書紀大日本史などの古記に見られ また天武・持統天皇紀に大忌神・大忌五柱神とあり 歴代皇室が崇拝せられた名社であります。
又 境内に医祖神社・病除神社・竃神社・野々宮神社・興和神社があります。
と書かれていました。
町の方々が勧請して今に伝える名社ということですね。
素晴らしいと思いました。
本殿祠は覆屋の中にありました。
小さいながらに立派な祠でした。
そのすぐ横には大川神社経歴書が掛けられていました。
そこには
前の大戦により焼失した御神殿も 終戦後間も無く復興されましたが 今日に至るまでの約六十年という長き年月の間 御神殿は風雨に晒され 経年の劣化に伴い 神社の護持管理をしている出在家町協議会は その有様に胸拉がれ 新たに御造営を計画致しました。
長きに亘り諸準備を整え進めてまいり 平成の御世は二十二年の御年に 目出度く出在家町町民の願が叶い 竣工の運びとなりました。
この度の御造営に 於かれましては 神田家の絶大なるご支援とご協賛を賜り 同年十月には遷座祭も厳粛裡且つ盛大裡に斎行されました。
と書かれていました。
これだけあればネット調べは要りませんね。
すてき
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くるくるきよせん3322投稿
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