ふくしょうじ(すまでら)|真言宗須磨寺派|上野山
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楽しみ方福祥寺(須磨寺)のお参りの記録一覧(5ページ目)

過去の参拝記録。2019年3月22日参拝。
18きっぷ 旅のため朝一大阪で宿泊ホテルそばの寺社回ったあとJR乗車。須磨寺へ。




新西国三十三箇所霊場「須磨寺」
仁王門をくぐり左右に塔頭と他のお寺をくぐり、階段を登れって唐門をくぐれば本堂。
境内は結構広い源平ゆかりのお寺なので、色々見所はある。
この時は時間がなかったのでさくっとお参りし、数年前にできた「亜細亜万神殿」を見に参拝。仁王門より手前にある。
2015年に起きたネパールの大震災の復興の祈念堂でもあり、アジア各地から集めた石仏が収められているんだとか。
入り口入って左手に、、、ストゥーパ?と誕生仏。左右に摩耶車が並ぶ。
お祈りの仕方が載っている。
右手に石仏がたくさん並ぶが、東南アジアの神さまなんので全然わからないが、面白いです。
須磨寺とネパールが交流あっての祈念堂だと思うが、字が読めなかった。
亜細亜万神殿の中
唐門からの本堂
仁王門

真言宗須磨寺派大本山。神仏霊場巡拝と新西国三十三箇所巡りにて参拝させて頂いております。
源平合戦の地にあるため、平敦盛と熊谷次郎直実の銅像があります。子供のころは「侍の鎧、カッコええな~!」ぐらいにしか思っていませんでした。
そんななか、信長が好んで舞ったとされる「人間五十年 下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり」で有名な能の「敦盛」が平敦盛と知ったときの驚きたるや。
鎌倉仏教は末法思想から生まれましたが、その末法の世こそ源平合戦に体現されています。
鎌倉新仏教であり日本オリジナルと言える浄土宗の開祖、法然さんに弟子入りしたのが、その平敦盛を泣く泣く手にかけた熊谷次郎直実と知り、さらに驚きました。
浄土宗や浄土真宗は世界の信仰の中でも「無条件の救済」のレベルが高い信仰体系になります。
それはすなわち、人が人であることが難しかった時代に生まれた信仰の特徴を表しています。それゆえ自分の手を若者の血で汚した直実のような「殺人者」の苦悩すら救済すべく「南無阿弥陀仏」という一点突破を法然さんがされたことに大きな意味があります。
たとえ比叡山から追われても「既存の仏教では救われない人々を救う」という法然さんの慈悲より起こる不屈の気迫が「南無阿弥陀仏」に宿っているように思えてなりません。
そして直実をはじめどれほど多くの人が法然さんに救われたのかは、その後の浄土信仰の隆盛をみるに容易に想像ができます。




























源平ゆかりの「須磨寺」
須磨寺の上、r21沿いに無料駐車場あり。
仁王門をくぐり、左右に塔頭が並び、参道をまっすぐ進むと左手に「源平の庭」という平敦盛と熊谷直実の像。源平の庭の横に宝物館(無料)(2階が社務所)。宝物館横の階段を登り門をくぐれば、右から護摩堂・本堂・太子堂。
須磨区内では一番大きなお寺だと思われ、奥の院まで行くとそれなりに広く、歴史の趣がある。
他にも境内には一ノ谷の戦いで討死した平敦盛のゆかりが多く、首塚や敦盛の笛「青葉の笛」があります。
ここは...めっちゃ行ってるので何っていう感想ないが、それなりに好きなお寺です。人はあんまりいない。
本堂
平敦盛首塚
源平の庭
宝物館

義経の足跡を訪ねてここにもお参りしました。
須磨は「一の谷合戦」の地がある場所。
あれですよ、背後は絶壁の山だから敵は来ないだろうと安心していた平家軍の意表を突いて、馬で駆け下りてきたという話ですね。
そしてここは義経には関係が無いのですが、その合戦で敦盛は、源氏の武将の熊谷直実に討たれ16歳で命を落としました。
後に直実は息子と同じ年代の敦盛を殺したことに耐え切れず、京都の法然を訪ね、出家しています。
その敦盛の首塚がありますが、北条貞時が平家一門を供養するために建立し「あつめ塚」が「あつもり塚」という事になったという話もあります。
ここには敦盛愛用の「青葉の笛」があります。
そして境内には「源平の庭」と言うのがありまして、敦盛と直実の銅像が建っています。
それにしてもここ。おもちゃ箱のようなお寺さんで、子供連れの参拝客が多く、子供の成長を願う方々に信仰されているようです。
お経が入っている輪堂のレプリカ(?)をグルングルンお子さんが回しているのは、ちょっとおもしろかったですね(笑)
唐門
仁王門・龍華橋
弘法岩五鈷水
本坊・書院
本堂
護摩堂
寺務所・納経所
出世稲荷社
親子地蔵「大正四年、須磨沖で起きた母子心中事件をもとにし、芝居、映画等で当時の人々の紅涙をしぼった家庭悲劇『須磨の仇波』の実際の主人公、川上愛子、初音親子の霊を慰め、永く世の家庭不和に泣く人のないことを願って建立されました」
源平の庭
義経腰掛の松
敦盛塚(首塚)
三重塔

#福祥寺 #須磨寺
ご本尊は聖観音。
#聖観世音菩薩
よく言われるように、般若心経の最初の観自在菩薩とは観音菩薩のこと。ちなみに観音菩薩は観世音菩薩の略だ。しかしなぜ、2通りの呼び方があるのか。
そもそも仏様は複数の名前を持つこともざらで、アミダ如来やビシャモン天は全部でいくつあるのか見当もつかない。が、なぜか観音さまは特に気になった。
知らなかったとて、某永遠の5才児からお叱りを受けるいわれもないが、僕ならこう答える。
(太鼓2回)「翻訳家がこだわったから~」
観世音は4世紀にクマラジュウが、観自在は7世紀に玄奘が考案した訳語で、梵語はどちらもアヴァローキテーシュヴァラ。観音経を含む法華経はクマラジュウが、般若心経は玄奘が訳したものだ。
アヴァローキテーシュヴァラはアヴァローキタとイーシュヴァラの複合語。アヴァローキタは「見る」という意味のロークの語形変化で、漢訳時には観見などを当てる。イーシュヴァラは支配者や主を意味し、自在と訳す。
そうすると、玄奘の観自在の方が原語に忠実といえる。
ラジュウの観世音は意訳になるわけだが、観音菩薩は救いを求める衆生の声を聞けば、直ちに助けに現れる仏様。ラジュウは漢訳名にも、観音さまのそのような性格を反映させたかったと。
ウィキペディアによれば、玄奘はラジュウを相当こき下したらしい。が、個人的に彼の苦心は汲む。


多井畑厄除八幡さんからこちら上野山福祥寺へ。通称須磨寺。
前回は時間がなくてさっと駆け足になったので、今日はじっくり廻ります。
山上の駐車場に止めて墓地を抜け拝観エリアへ。広大ですし見どころ満載。三重塔あたりはきれいに紅葉してました。
本堂でお参りした後は前回いけなかった本坊へ。ここは静かで穏やかでした。一方、今回も奥之院までは行ききれず。次回こそ。
塔頭は別途投稿します。

三重塔と紅葉。

御朱印いただきました。

駐車場からの景色。海が見えます。

三重塔。四百年前に倒壊した塔を、昭和末期に再建したそうです。綺麗です。

四国八十八か所お砂踏み。

六地蔵さま。

出世稲荷。平清盛公が祀ったそうです。

ひとすじ弁財天。狭い中に鳥居、注連縄、太鼓橋、祠、狛犬ぜんぶあります。

手前に大師堂、奥は本堂です。

護摩堂。

本坊への入り口。

書院。阿弥陀如来を祀る持仏堂です。


書院。緑の屋根が印象的です。

見事に黄色。
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