れんしょういん|真言宗須磨寺派
蓮生院のお参りの記録一覧
須磨寺様塔頭三院の一つ蓮生院様にお参りさせて頂きました。
蓮生院様は貞照寺様のお隣で、源平の庭を正面に捉えています。
源平合戦で平敦盛と一騎討ちをし、敦盛を討ち取ったのが熊谷直実です。
直実は後に出家し法然上人に弟子入りをし、大原問答でも名前を見ることが出来ます。
その直実の法名が「蓮生」で寺名の由来になっています。
須磨寺の頭塔三院の1つ。不動明王を祀るお寺。
本堂正面には羅漢石仏や水掛け地蔵尊がいます。左側にある御堂は厄除大師。
御守や御朱印が頂けます。御朱印は蓮生院、隣の貞照院、厄除大師の御朱印を頂く事ができます。
お寺の名前は一ノ谷の戦いの後で出家し法然の元で修業した熊谷直実の法名の蓮生から。熊谷直実は一ノ谷の戦いで平敦盛と一騎打ちをして討ち取った源氏方の武将です。蓮生院向かいに造られた源平の庭には一騎打ちを再現した熊谷直実と平敦盛の銅像が建てられています。
本堂
水掛け地蔵尊
羅漢石仏
厄除大師
手水
祈願ろうそく
おみくじ
御守
熊谷直実公騎馬像
平敦盛公騎馬像
源平の庭
真言宗 蓮生院
福祥寺(須磨寺)塔頭三院の一つ
須磨寺は年に数回お参りして都度投稿はしているものの、塔頭はいつも参拝のみ。
今回は久しぶりに塔頭寺院の御朱印もいただこうと思ってお参りしまいsた。
<須磨寺HPより>
蓮生院(れんしょういん)
塔頭三院の一つで、「蓮生」とは熊谷直実が「蓮生坊」と名乗ったことに由来する。直実は一の谷の合戦で戦死した平敦盛菩提の為、法然上人のもとで修行し、諸国行脚の途中、須磨を訪れたといわれている。大正五年、花火大会の飛火のため出火焼失したが、昭和九年不動明王を本尊として現在地に再建、成田山不動明王分霊も奉祀し不動明王信仰の中心となっている。本堂横には厄除大師堂があり、右手に剣を持つ秘鍵大師が祀ってある。また国文学者、大井広の「明減のひかりをおくる灯台はいづこにあらむ寂しき海はら」の歌碑が作者の短歌の師、太田水穂の筆により建てられている。
昨年いただいた御朱印とはまったく異なる印象でした。
今回は荒々しさ、力強さがあって不動明王っぽいなと思いながら、帰宅後なんども御朱印を眺めてしまいました😅
御朱印
本堂
厄除大師堂
厄除大師堂横にもお地蔵様や石仏が整然とならんでいます。
須磨寺参拝の際に立ち寄りました。阪神淡路大震災で倒壊したそうですが、再建されたとの事。まだ新しく見えます。
御朱印。不動明王です。
参道から。右手で御朱印いただけます。
別角度。角のところで御朱印いただけます。
真言宗 蓮生院
福祥寺(須磨寺)塔頭三院の一つ
御本尊は不動明王
他のホトカミさんも書かれていますが、このお寺は
平家物語にも出てくる熊谷直実と平敦盛の一ノ谷
(神戸市須磨区~兵庫区あたり)の戦いに関係があります。
直実と敦盛の一騎打ちとなり、まだ少年だった敦盛の首を
討ち取る際、「死後のご供養をいたしましょう」と泣きながら
首を討ち取ったといいます。
その後出家して法然上人の門徒となり、名を蓮生と名乗ったそうです。
なおこちらは、大正5年に花火大会の飛火により焼失し、
昭和9年に現在地へ再建。
阪神淡路大震災により倒壊するも、平成18年に再建されました。
御本堂
この右側にて御朱印をいただくことができます。
残念ながら不動明王様は拝めませんでした
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