いくのかすがじんじゃ
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生野春日神社ではいただけません
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生野春日神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年04月14日(木)
参拝:2022年4月吉日
さきほど投稿した太福寺から約800mほどのところでしょうか。
もともと太福寺ではなくこちらにお参りしようと思って車を走らせていたのですが、入る道を通り過ぎてしまったことで太福寺を発見。
太福寺にお参り後、改めてこちらの春日神社に寄らせていただきました。
鳥居をくぐった階段の先に拝殿が見えたとき、なんとなく気持ちの良い空気が流れる神社だなと思いつつ参拝。
「呼ばれた」まではいきませんが、引き寄せられた理由がわかったような気がします。
御由緒(兵庫県神社庁HPより)
当社は、往古「志り知社」と称して、天児屋根命・経津主命を祭祀し、氏の長者が神主となって奉仕してきた。其の後、敏達天皇の御宇、聖徳太子が此の地に行啓あって、独鈷山鏑射寺を創立し、「志り知社」の別当となる。
文禄3年(1594)、舟越五良左衛門殿古検地以前より除地として、祭神春日大明神を尊崇し奉ることは寛文11年(1671)11月12日調製の大地図に明らかである。延宝元年(1673)の頃より、「志り知村」の文字を改めて塩生野村と書き、元禄の頃(1688~)より塩の字を省き生野村となる。また、「志り知社」を春日神社と改称した。明治12年の神社取調べの際、村社に加列せられ、大正元年8月に生野村
無格社(兵庫県神社誌)天満神社を合祀し、生野村字門樋ノ尻へ社地を移転し現在に至る。
本殿屋根は、古来桧皮葺であったが、平成10年10月銅板葺屋根とする。
当社は、小さな丘の中央に、松や杉樹の鬱蒼たる森林の中に鎮座しており、近くには摂津名所の一つである百丈岩や鎌倉峡、更に、北区内に供給する水源となる千苅水源地があり、桜の名所となっている。
もともと太福寺ではなくこちらにお参りしようと思って車を走らせていたのですが、入る道を通り過ぎてしまったことで太福寺を発見。
太福寺にお参り後、改めてこちらの春日神社に寄らせていただきました。
鳥居をくぐった階段の先に拝殿が見えたとき、なんとなく気持ちの良い空気が流れる神社だなと思いつつ参拝。
「呼ばれた」まではいきませんが、引き寄せられた理由がわかったような気がします。
御由緒(兵庫県神社庁HPより)
当社は、往古「志り知社」と称して、天児屋根命・経津主命を祭祀し、氏の長者が神主となって奉仕してきた。其の後、敏達天皇の御宇、聖徳太子が此の地に行啓あって、独鈷山鏑射寺を創立し、「志り知社」の別当となる。
文禄3年(1594)、舟越五良左衛門殿古検地以前より除地として、祭神春日大明神を尊崇し奉ることは寛文11年(1671)11月12日調製の大地図に明らかである。延宝元年(1673)の頃より、「志り知村」の文字を改めて塩生野村と書き、元禄の頃(1688~)より塩の字を省き生野村となる。また、「志り知社」を春日神社と改称した。明治12年の神社取調べの際、村社に加列せられ、大正元年8月に生野村
無格社(兵庫県神社誌)天満神社を合祀し、生野村字門樋ノ尻へ社地を移転し現在に至る。
本殿屋根は、古来桧皮葺であったが、平成10年10月銅板葺屋根とする。
当社は、小さな丘の中央に、松や杉樹の鬱蒼たる森林の中に鎮座しており、近くには摂津名所の一つである百丈岩や鎌倉峡、更に、北区内に供給する水源となる千苅水源地があり、桜の名所となっている。
鳥居
緩やかな石段を上って行きます
緩やかな石段を上って行きます
拝殿が見えてきました。
ちょっと神秘的な空気が流れる境内のような気がします。
ちょっと神秘的な空気が流れる境内のような気がします。
もう少し近づいてみると、やはり空気が澄んでいます
狛犬さんもいい表情してますね
拝殿
拝殿正面の彫刻
本殿
本殿の彫刻も結構細やかなんですが、あまり近づけず残念
本殿の彫刻も結構細やかなんですが、あまり近づけず残念
末社 神明神社だと思われます。
御祭神は天照皇大神
御祭神は天照皇大神
手水舎
石碑
スミレかな?
石碑の前一面に咲いていました
石碑の前一面に咲いていました
すてき
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