さんだてんまんぐう
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楽しみ方三田天満宮のお参りの記録一覧
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御祭神〜菅原道真公
御神徳〜学問、厄除、他多数
@ 1543年(天文14年) 時の領主であった
赤松村秀公が神がかりし、『我をこの地
に祀れば除災招福、流行り病を封じる』
と御神託があった
翌朝この地に来ると、一晩で松が生い繁り、梅が満開になった。これは京都北野
天満宮と同じだとし'天満宮’とした
三田天満宮の御朱印の道真公と梅、松が
印されているが、この地の歴史を著しており、押印の木彫の印鑑には深い歴史がある (三田天満宮 由緒抜粋)
今日は好天に恵まれ、所用で兵庫県三田市に行ってました。
拝殿前に茅の輪くぐりがあり、茅の輪のくぐり方やマナーもそこそこに💦境内巡りをさせていただきました(笑)
多数の境内社にもご挨拶させてもらいながらゆっくり時間を過ごすことが出来ました
🅿️駐車場も広く、助かりました!

兵庫県三田市にある神社です。
こちらもJR三田駅からそう遠くない場所にあります。
ニュータウンの外れにあります。2つの公園に挟まれていて 境内が広く感じます。
一の鳥居 神門 二の鳥居をくぐり 舞殿に進みます。
舞殿は改修工事をされていて 床が真新しい木になっていました。
本殿拝所前には 狛犬とは別に 狛牛がペアで置かれていました。
天満宮ですから納得ですが なで牛がペアというのは珍しい気もします。
境内社も多くありました。
金刀比羅宮(大物主大神) 八幡宮(応神天皇) 淡島神社(市杵島姫命) 古城姫髙稲荷神社(姫高大神・ 倉稲魂命) 素盞鳴尊社(素盞鳴尊) 竃戸社(奥津比古命・奥津比咩命)です。
本殿手前に厄割岩があり 社務所で玉を購入して こちらの岩にぶつけて割ります。
香川の長尾寺でもやりましたが こちらでも早速購入。
今日はいい日だったので しめは厄割というわけです。
おもいっきり・・・びしっ・・・ぱしっ はいこれで厄払いです。
社務所で御朱印を拝受して本日のお参り終了となりました。
こちら三田天満宮さんはHPをおもちですので 借稿します。
三田天満神社は凡そ千数百年以前 三田神祠(じんじ)と号して 大歳大神(おおとしのおおかみ)をお祀りしてまいりました。
三田という地名も和銅六年(713)風土記編纂の折 大歳大神の 御領田(みけだ)の意味で三田と書かれたところから来ていると古書に 記されており 延喜式以前の神社です。
当社はその昔 菅原道真公の神輿のお休み処であったという ゆかりの 深い所と言い伝えられています。
明治四年南区より大歳宮を合祀 明治四年西区より熊野宮を合祀 明治四二年寺村区より山王宮を合祀と 併せ祀り 全国に一万二千あります天神様のうちの二十五社天神の一つとして 京都・北野天満宮 大阪の天満天神と並び称せられる神社です。
一説には全国二十五社天神に当社の名前が入っていないとありますが 当社の略歴を見ましても 何時誰が言った事なのか 記録が無いため詳細はわかりません。



三田の小高い丘の上に鎮座されています。
千数百年前、大歳大神(農業神)をお祀りする三田神祠だったそうですが、菅原道真公の神輿のお休み処であったと言い伝えられているそうです。
天文14年(1545年)、領主であった赤松村秀によって天満神社と改められたとされています。
寛永10年(1633年)三田藩主の九鬼久隆により、代々の三田藩主の御祈願所となりますが、享保19年(1734年)に火災により社殿などが焼失。
元文4年(1739年)、第7代藩主の九鬼隆由により現在の社殿が寄進されたそうです。
境内をまわっていると、約260年続いた三田藩主・九鬼家の御祈願所として大切にされてきたのだろうなと感じることができました。
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