はしかじ|高野山真言宗|白鹿山
掎鹿寺のお参りの記録一覧
🦌🤍🦌🤍🦌
白鹿と聖徳太子
義経三草山合戦戦勝宴の地
掎鹿寺(はしかじ)句碑の寺
山号 #白鹿山(はくろくさん)
宗派 #高野山真言宗
御本尊 #薬師如来
#十一面観世音菩薩(播磨西国)
創建年 #神亀ニ年(725年)
開山 #聖徳太子
開基 #行基菩薩
札所
播磨西国三十三箇所第22番札所
御詠歌
もみじせし はくろくさんの くもはれて
それとあらわに みゆるはしかじ
加東四国八十八カ所霊場22番
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推古ニ年(594年)、聖徳太子が仏教の講義を行うために、この地を訪れました。その際、山中で脚を負傷した瀕死の白鹿に出会います。
憐れんだ太子が薬師如来に祈願してその快癒を願われたところ、たちまちに白鹿の怪我が治りました。
深く感銘を受けられた太子は、自ら薬師如来を刻んで、その仏恩に報謝されたそうです。
これが山号「白鹿山」の由来で、寺の縁起となりました。
その後寺は荒廃しますが、神亀ニ年(725年)、行基菩薩が中興し、十一面観世音菩薩を安置したと伝えられます。
こちらの境内は、平安時代の三草山合戦で源義経軍が、平資盛軍を夜襲した後、戦勝の宴を開いた地でもあります。その後、一ノ谷の戦いへ進軍したそうです。
戦いの高揚と境内の静寂。
義経はどのような心持ちだったのでしょうか。
境内から南東ほど近くの「掎鹿の里」では、近年の発掘調査により、77メートル四方の境内跡が確認されました。講堂、金堂、塔、中門等を備えた、法隆寺式の大規模な寺院だったようです。
桂石寺
大乗院
利休百首
南蔵院
一之宮神社
大乗院さまへ御朱印を拝受にあがると、大乗院無量壽殿にてご接待の冷たいお茶を頂き、奥様より温かなお言葉を頂き 生き返った思いでした。
幾多の仏様のご立派なこと!
境内にも観音様や地蔵尊さま、石仏や句碑が至るところに祀られ、大乗院御本堂の石や手水の素晴らしいこと。
桂石寺の意味がよく理解できました。
こちらにもコンパクトなのに、凄い存在感の仁王門までありました。
掎鹿寺御本堂から墓地に向かう傍らに、
ちっちゃな法道仙人も。💛
神変大菩薩さまかもしれません。
お座りやし下駄みたいなのお履きから、、、
ん〜 神変さまかも。
お二人はよく似てらっしゃいますね。笑
自然の厳しさと美しさと、お寺さまのお人柄の上品な豊かさ。
播磨西国霊場の底力を感じることができた一時でした。ありがとうございました。
白鹿🦌
聖徳太子
掎鹿の里
三草山合戦
義経道
源義経
平資盛
一ノ谷合戦へ
平安時代
兵庫県加東市掎鹿谷692
御本堂
掎鹿寺 参拝日 令和4年8月13日
播磨西国三十三ヶ所霊場第二十二番の御朱印を頂きました
本堂
大乗院本堂
無量寿殿
播磨西国宝印帳のページ
播磨西国三十三箇所霊場第二十二番の御朱印
播磨西国三十三箇所「掎鹿寺」
兵庫r75から山の方へ路地をずーっと坂道入った奥。途中に一之宮神社、特別養護老人ホーム、南蔵院があり、掎鹿寺があり、最奥に大乗院。
駐車場...どこか、大乗院さんのとことか。
大乗院さんの前らへんに坂道か階段があり、登ると本堂。
左側にお不動さんとなんか像が立ち、奥はお墓ゾーン。少し離れたところに鐘楼もある。
無人で本堂以外何もないただっ広い境内。
聖徳太子創建と伝わる歴史あるお寺だが、明治時代に多宝塔・鐘楼・大乗院・南蔵院以外全部焼失。
管理は大乗院がされ、御朱印もそちらでもらえる。
ここの山道を進むと三草山になり、源平合戦三草山の戦い後義経たちが一ノ谷を目指して通ったと伝わる。
本堂。中は見れない
別角度から本堂
本堂から境内。なんもない
お不動さんとなんか
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