みょうふくじ
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
妙福寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年09月04日(日)
参拝:2022年8月吉日
日蓮宗 宝乗山 妙福寺
篠山城跡周辺を歩いてお参りしてきましたが、今回の丹波篠山の投稿はこれが最後になります。
こちらの妙福寺さんは、御朱印にも力を入れてらっしゃるようで、通常の御朱印3種類に加え、「篠山限定御朱印」と「季節限定御朱印」などがあります。
初めてお参りさせていただきましたが、ご住職はとても優しく接していただきました。
御朱印を書いていただいている間、奥様がお茶と黒豆のお菓子を出してくださり、歩き回って疲れた身体も一気に快復しました。
縁起(妙福寺HPより)
『永仁(1293)の頃、摂津国島上郡五百住村に草創されていた一寺があった。天文年中(1532~55)のはじめ、荒廃していた同寺を、京都大本山本國寺十四世日助上人が松永某のために、日蓮宗寺院として開基再建したのが始まりである。
弘治元年(1555)、八上城を攻略した松永弾正久秀は甥の松永孫六を城主とした。
後、妙福寺に参詣し尊崇を深めた孫六は、永禄五年(1562)当時の住職日洞上人に請うて八上城下に移した。
天正七年(1579)に八上城が落城、慶長十四年(1609)天下普請で 篠山城が築かれ、城下割りが行われた。八上城下にあった妙福寺も現在地に移築され、一帯は篠山城下町の西の護りもになっていた。その名残が、山門に続く参道など有事に備えた構えを感じさせている。
寺宝の木造日蓮大聖人座像は室町期の作(伝、日像菩薩作)で、永禄五年と元禄十二年(1699)に補修したとの墨書銘が残り篠山市指定文化財に認定されている。
また境内墓地には、大坂の陣で活躍した武将後藤又兵衛の子孫で、篠山藩に仕えた後藤家の墓石群をはじめ、篠山藩筆頭家老吉原利恒の墓地、篠山藩儒学者渡辺弗措などの碑がある。』
篠山城跡周辺を歩いてお参りしてきましたが、今回の丹波篠山の投稿はこれが最後になります。
こちらの妙福寺さんは、御朱印にも力を入れてらっしゃるようで、通常の御朱印3種類に加え、「篠山限定御朱印」と「季節限定御朱印」などがあります。
初めてお参りさせていただきましたが、ご住職はとても優しく接していただきました。
御朱印を書いていただいている間、奥様がお茶と黒豆のお菓子を出してくださり、歩き回って疲れた身体も一気に快復しました。
縁起(妙福寺HPより)
『永仁(1293)の頃、摂津国島上郡五百住村に草創されていた一寺があった。天文年中(1532~55)のはじめ、荒廃していた同寺を、京都大本山本國寺十四世日助上人が松永某のために、日蓮宗寺院として開基再建したのが始まりである。
弘治元年(1555)、八上城を攻略した松永弾正久秀は甥の松永孫六を城主とした。
後、妙福寺に参詣し尊崇を深めた孫六は、永禄五年(1562)当時の住職日洞上人に請うて八上城下に移した。
天正七年(1579)に八上城が落城、慶長十四年(1609)天下普請で 篠山城が築かれ、城下割りが行われた。八上城下にあった妙福寺も現在地に移築され、一帯は篠山城下町の西の護りもになっていた。その名残が、山門に続く参道など有事に備えた構えを感じさせている。
寺宝の木造日蓮大聖人座像は室町期の作(伝、日像菩薩作)で、永禄五年と元禄十二年(1699)に補修したとの墨書銘が残り篠山市指定文化財に認定されている。
また境内墓地には、大坂の陣で活躍した武将後藤又兵衛の子孫で、篠山藩に仕えた後藤家の墓石群をはじめ、篠山藩筆頭家老吉原利恒の墓地、篠山藩儒学者渡辺弗措などの碑がある。』
すてき
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。