こうぜんじ|曹洞宗|大梅山
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興禅寺のお参りの記録一覧
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きどっち
2022年05月14日(土)
1323投稿
曹洞宗 大梅山 興禅寺
黒井城の下館跡となります。
天正3年(1575年)、織田信長は明智光秀に丹波攻略を命じますが、丹波国は激しく抵抗。
黒井城主の荻野悪右衛門直正は最後まで抵抗しましたが、天正7年8月に落城しました。
その戦後処理に黒井城に入ったのが斎藤内蔵助利三です。
黒井城の下館(興禅寺)を陣屋として、妻のお安を呼び寄せました。
そこで天正7年の暮れに産声をあげたのがお福です。
お福は後の春日局となります。
3歳までこの地で過ごしたそうです。
惣門
とても小さな門ですが、寛永3年(1626年)黒井城の門材を使って建てたそうです
七間堀と高石垣
楼門(山門)
近年、京都府宮津市の智源寺から移築されたものだそうです。
あまりにもしっくりきていたので、昔からある楼門だと思ってしまいました。
両脇には二天像が、2階部分には観音像が祀られています。
本堂
鐘楼
庭園
近衛信尹が指導、設計して作らせたそうです
お福の腰かけ石
お福(幼少期の春日局)が腰をかけて遊んだ石と言い伝えられています
お福産湯の井戸
お福が産まれた時、この井戸の水を汲んで産湯に使ったそうです
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