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こうぜんじ|曹洞宗大梅山

興禅寺のお参りの記録一覧
兵庫県 黒井駅

きどっち
きどっち
2022年05月14日(土)
1192投稿

曹洞宗 大梅山 興禅寺

黒井城の下館跡となります。
天正3年(1575年)、織田信長は明智光秀に丹波攻略を命じますが、丹波国は激しく抵抗。
黒井城主の荻野悪右衛門直正は最後まで抵抗しましたが、天正7年8月に落城しました。

その戦後処理に黒井城に入ったのが斎藤内蔵助利三です。
黒井城の下館(興禅寺)を陣屋として、妻のお安を呼び寄せました。
そこで天正7年の暮れに産声をあげたのがお福です。
お福は後の春日局となります。
3歳までこの地で過ごしたそうです。

興禅寺の山門

惣門
とても小さな門ですが、寛永3年(1626年)黒井城の門材を使って建てたそうです

興禅寺の山門
興禅寺の建物その他

七間堀と高石垣

興禅寺の山門

楼門(山門)
近年、京都府宮津市の智源寺から移築されたものだそうです。
あまりにもしっくりきていたので、昔からある楼門だと思ってしまいました。
両脇には二天像が、2階部分には観音像が祀られています。

興禅寺の動物
興禅寺の建物その他
興禅寺の像
興禅寺の像
興禅寺の本殿

本堂

興禅寺の本殿
興禅寺の庭園
興禅寺の建物その他
興禅寺の建物その他

鐘楼

興禅寺の庭園
興禅寺の建物その他
興禅寺の庭園

庭園
近衛信尹が指導、設計して作らせたそうです

興禅寺の仏像
興禅寺の建物その他

お福の腰かけ石
お福(幼少期の春日局)が腰をかけて遊んだ石と言い伝えられています

興禅寺の建物その他

お福産湯の井戸
お福が産まれた時、この井戸の水を汲んで産湯に使ったそうです

興禅寺の歴史
興禅寺の建物その他
興禅寺の建物その他
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とっちー
とっちー
2021年09月11日(土)
248投稿

春日局ゆかりのお寺です。

興禅寺の御朱印

お参りの記録は別サイトをメインに投稿しておりますので、御朱印のみ投稿します。

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