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興禅寺について
春日局生誕地
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興禅寺 黒井城の下館跡 春日局の出生の地です。

興禅寺 黒井城の下館跡 春日局の出生の地です。

興禅寺 黒井城の下館跡 春日局の出生の地です。

興禅寺 黒井城の下館跡 春日局の出生の地です。

興禅寺 黒井城の下館跡 春日局の出生の地です。

興禅寺 黒井城の下館跡 春日局の出生の地です。

曹洞宗 大梅山 興禅寺
黒井城の下館跡となります。
天正3年(1575年)、織田信長は明智光秀に丹波攻略を命じますが、丹波国は激しく抵抗。
黒井城主の荻野悪右衛門直正は最後まで抵抗しましたが、天正7年8月に落城しました。
その戦後処理に黒井城に入ったのが斎藤内蔵助利三です。
黒井城の下館(興禅寺)を陣屋として、妻のお安を呼び寄せました。
そこで天正7年の暮れに産声をあげたのがお福です。
お福は後の春日局となります。
3歳までこの地で過ごしたそうです。

惣門
とても小さな門ですが、寛永3年(1626年)黒井城の門材を使って建てたそうです


七間堀と高石垣

楼門(山門)
近年、京都府宮津市の智源寺から移築されたものだそうです。
あまりにもしっくりきていたので、昔からある楼門だと思ってしまいました。
両脇には二天像が、2階部分には観音像が祀られています。





本堂




鐘楼



庭園
近衛信尹が指導、設計して作らせたそうです


お福の腰かけ石
お福(幼少期の春日局)が腰をかけて遊んだ石と言い伝えられています

お福産湯の井戸
お福が産まれた時、この井戸の水を汲んで産湯に使ったそうです




お参りに行きました。駐車場🅿️は、登山者用に止めさせて頂きました🙇綺麗な庭がありました。

頂いた御朱印です。直書きです😉

仁王門。


本殿です。

鐘つき堂。

砂が綺麗にしてありました。踏みにくい😃

庭園が綺麗です😆
歴史
戦国時代の城下町の中心地だった黒井地区にある「興禅寺」。背後には山全体が巨大な要塞だった黒井城跡があり、ともに国の史跡に指定されています。戦国時代の城主は、戦いのない平時は山すその下館に住んでおり、その館跡が興禅寺で、満々と水をたたえた七軒濠、野面積みの高い石垣、白壁などが当時の様子をよく伝えています。
興禅寺はまた、徳川家光の乳母として知られる「春日局(かすがのつぼね)」が生まれた地としても有名。「お福さま」と呼ばれていたのちの春日局は、3歳までの幼少時代をここで過ごしており、「お福の産湯井戸」や「お福の腰掛け石」などが残っています。
写真












| 名称 | 興禅寺 |
|---|---|
| 読み方 | こうぜんじ |
| 参拝料 | なし |
| トイレ | あり(春日庵横) |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 0795-74-0019 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
| ご本尊 | 釈迦如来 |
|---|---|
| 山号 | 大梅山 |
| 宗旨・宗派 | 曹洞宗 |
| ご由緒 | 戦国時代の城下町の中心地だった黒井地区にある「興禅寺」。背後には山全体が巨大な要塞だった黒井城跡があり、ともに国の史跡に指定されています。戦国時代の城主は、戦いのない平時は山すその下館に住んでおり、その館跡が興禅寺で、満々と水をたたえた七軒濠、野面積みの高い石垣、白壁などが当時の様子をよく伝えています。
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| 体験 | 武将・サムライ伝説 |
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