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円通寺ではいただけません
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円通寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年05月09日(月)
参拝:2022年5月吉日
曹洞宗 永谷山 円通寺
氷上郡西国三十三ヶ所観音霊場 第十九番札所
将軍足利義満が永徳2年(1382年)、後円融天皇の勅命により創建されました。
年号の首字より「永谷山」、天皇の宝号より「円通寺」と名付け、勅願寺と定めたとのこと。
室町から江戸時代の全盛期には、200を超える末寺院を有していたそうです。
天正3年(1575年)、織田信長より丹波平定を命じられた明智光秀は丹波攻めを行う際、この地域の多くの寺社が焼き払われたそうです。
円通寺もその危機にあったそうですが、地元の豪氏荻野喜右衛門が明智光秀の本陣に赴き、必死の説得の末に明智光秀が受け入れ、兵火を逃れたと寺伝に残されているそうです。
そのときの光秀直筆の下馬札と禁制が遺されているとのこと。
現在の本堂や庫院は、江戸時代に再建されたものだそうで、本堂軒下の彫刻は中井権次一統によるものだそうです。
(中井権次一統は、丹波柏原藩の宮大工)
納経所は閉まっており、境内にはお参りに来られている方以外は見当たらず、御朱印は拝受できませんでした。
もっと功徳を積みなさいということですかね。
氷上郡西国三十三ヶ所観音霊場 第十九番札所
将軍足利義満が永徳2年(1382年)、後円融天皇の勅命により創建されました。
年号の首字より「永谷山」、天皇の宝号より「円通寺」と名付け、勅願寺と定めたとのこと。
室町から江戸時代の全盛期には、200を超える末寺院を有していたそうです。
天正3年(1575年)、織田信長より丹波平定を命じられた明智光秀は丹波攻めを行う際、この地域の多くの寺社が焼き払われたそうです。
円通寺もその危機にあったそうですが、地元の豪氏荻野喜右衛門が明智光秀の本陣に赴き、必死の説得の末に明智光秀が受け入れ、兵火を逃れたと寺伝に残されているそうです。
そのときの光秀直筆の下馬札と禁制が遺されているとのこと。
現在の本堂や庫院は、江戸時代に再建されたものだそうで、本堂軒下の彫刻は中井権次一統によるものだそうです。
(中井権次一統は、丹波柏原藩の宮大工)
納経所は閉まっており、境内にはお参りに来られている方以外は見当たらず、御朱印は拝受できませんでした。
もっと功徳を積みなさいということですかね。
駐車場から山門へと向かう参道
青紅葉がきれいでした。
青紅葉がきれいでした。
山門前
紅葉で覆い隠されています
紅葉で覆い隠されています
山門
両脇には二天が見守っています
両脇には二天が見守っています
まずは右側 持国天
持国天の説明
左側 増長天
増長天の説明
山門を抜けると左右に放生池があります
右側の放生池あたりには、昔、源融(源氏物語の光源氏のモデルと考えられている)が建立した賀茂大明神があったそうです。
大杉
賀茂神社があった当時の名残である御神木。
樹齢700年だそうです。
賀茂神社があった当時の名残である御神木。
樹齢700年だそうです。
放生池を渡り、この先に本堂があります
塀には五本線、そして足利家家紋「丸に二つ引き」
鐘楼
自由につくことができます
自由につくことができます
お待たせしました、いよいよ本堂です
本堂内
本堂左手奥には子育地蔵尊が祀られています
本堂軒下の彫刻
中井権次一統によるものです
中井権次一統によるものです
延命地蔵菩薩
不動明王立像
本堂裏の糸桜 樹齢200年
(丹波市指定天然記念物)
(丹波市指定天然記念物)
本堂裏のタブノキ 樹齢300年
(丹波市指定天然記念物)
(丹波市指定天然記念物)
本堂 裏側より
すてき
みんなのコメント(4件)
✨尼寺崇✨
由緒あるお寺ですね😊
是非行ってみたいお寺の一つになりました❣️
2022年05月10日(火)
次は紅葉の綺麗な時に📖
2022年05月10日(火)
✨尼寺崇✨さん
こんばんは😊
素敵なお寺でしたよ。
この辺りは他にもたくさんお寺がありますし、ゆったりとした時間が流れるところで落ち着きますよ😁
2022年05月10日(火)
おしりちゃん
こんばんは😊
秋の風景もまた最高でしょうね😉
でも丹波って寒そう😅
2022年05月10日(火)
ホトカミ見ました! で広がるご縁
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住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
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