ふくらはちまんじんじゃ
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福良八幡神社の御朱印・御朱印帳
限定 | - | ||
---|---|---|---|
御朱印帳 | |||
電話番号 | 0799-52-2032 |
最新の御朱印・御朱印帳の投稿
福良八幡神社 鳴門東座
~桃山建築物~
主祭神 誉田別尊
配祀神 仲哀天皇
神功皇后
武内宿祢
祭記事 4月第1日曜日
御由緒
貞観元年(859)、清和天皇の勅願に依り、奈良大安寺の僧行教が宇佐八幡宮の御分霊を奉じて京都男山へ勧請の途次、当浦に寄って創祀されました。
現存する三間社流造の本殿は天正3年(1575)上棟された、淡路でも数少ない桃山建築物として、昭和35年(1960)、兵庫県指定文化財となった。当時の棟札が現存します。
~・~・~・~
福良八幡神社は、福良湾を見下ろす丘の上に建つ神社です。
1600年(慶長5)年に本殿が再建されたことが棟札により分かります。
祭神は誉田別命(応神天皇)で、鎌倉期の作といわれる3体の木造男神坐像があり、三間社流造の本殿は県指定文化財で、もとは桃山風に彩色されていたと云われます。
鳥居横の棟札では、 「社伝によれば貞観元年(西暦859年)清和天皇の勅願により、奈良大安寺の僧行教が宇佐八幡宮の御分霊を奉じて京都男山へ勧請の途次に当福良浦によって創祀された。貞応二年(西暦1223年)釣島城主福良義邦が社殿の大造営を施し、同時に神宮寺を建主し八幡宮別当とした。」 と記されています。
石段を登ったところにある鳥居。こちらには縦書きの八幡宮の額がかかっています。
「往昔福良の浦人 鳴門の海より陰陽石を求め ここ八幡鎮守の聖地にまつる 郷人すべて日夕これを礼拝祈願すればその霊験あらたかなるべし」(看板より)
海中より出た石を祭祀の石とする文化は、
千葉県印西市の世直し石尊、
岐阜県各務原市の御井神社神璽、
京都市北区松ヶ崎町の岩上神社
などに類例があります。
陰陽石に隣接して「跨石(またげいし)」もあります。
女神輿が2基収納されていますが、神輿の御神体は海中からとれた丸石だったといいます。 石は布にくるまれ、石そのものを見ることはできないそうです。この2つの石は個人所蔵とのことです。
東の青龍・南の朱雀・西の白虎・北の玄武。
五行説に照らし合わせて中央に麒麟や黄竜を加え数を合わせる。麒麟や黄龍を入れた場合は五神あるいは五獣と呼び、淮南子などによると、方角には四獣と共に季節神として五帝を補佐する五佐のうち四佐が割り当てられています。
~・~・~・~
歴史ある神社の宮司さまとお話できました上に、有難いお言葉をかけて頂きました。
嬉しかったです。
ありがとうございました。
南あわじ市福良甲1331
東の青龍
南の朱雀
西の白虎
北の玄武
縦書「八幡宮」扁額
百百千度石
拝殿
拝殿より 本殿
本殿東側より
本殿西側より
拝殿
狛犬さま
狛犬さま
狛犬さま
狛犬さま
拝殿脇より 摂社福良護国神社
福良護国神社
鳴門の海より 「陰陽石」
右に「跨石 またげいし」
本殿裏摂社
東側に長い長い道があり
途中に境内へ上がれる車道も越え進むと
住吉神社へと繋がります
住吉神社と福良八幡神社の間を下ると
⛩️横に 御神木
こちらの⛩️と車道側に
安政四年(1857年)頃の八幡宮絵図
~味地草より~ がかけられています
宮幡八 横扁額
福良八幡神社御朱印
縁起より、こちらに御朱印を拝受
棟札は文字が見え辛く
御由緒書
・・・
! トンビさんもありがとう
福良八幡神社
みかん🍊がたわわでした
福良八幡神社 鳴門東座
~桃山建築物~
主祭神 誉田別尊
配祀神 仲哀天皇
神功皇后
武内宿祢
祭記事 4月第1日曜日
御由緒
貞観元年(859)、清和天皇の勅願に依り、奈良大安寺の僧行教が宇佐八幡宮の御分霊を奉じて京都男山へ勧請の途次、当浦に寄って創祀されました。
現存する三間社流造の本殿は天正3年(1575)上棟された、淡路でも数少ない桃山建築物として、昭和35年(1960)、兵庫県指定文化財となった。当時の棟札が現存します。
~・~・~・~
福良八幡神社は、福良湾を見下ろす丘の上に建つ神社です。
1600年(慶長5)年に本殿が再建されたことが棟札により分かります。
祭神は誉田別命(応神天皇)で、鎌倉期の作といわれる3体の木造男神坐像があり、三間社流造の本殿は県指定文化財で、もとは桃山風に彩色されていたと云われます。
鳥居横の棟札では、 「社伝によれば貞観元年(西暦859年)清和天皇の勅願により、奈良大安寺の僧行教が宇佐八幡宮の御分霊を奉じて京都男山へ勧請の途次に当福良浦によって創祀された。貞応二年(西暦1223年)釣島城主福良義邦が社殿の大造営を施し、同時に神宮寺を建主し八幡宮別当とした。」 と記されています。
石段を登ったところにある鳥居。こちらには縦書きの八幡宮の額がかかっています。
「往昔福良の浦人 鳴門の海より陰陽石を求め ここ八幡鎮守の聖地にまつる 郷人すべて日夕これを礼拝祈願すればその霊験あらたかなるべし」(看板より)
海中より出た石を祭祀の石とする文化は、
千葉県印西市の世直し石尊、
岐阜県各務原市の御井神社神璽、
京都市北区松ヶ崎町の岩上神社
などに類例があります。
陰陽石に隣接して「跨石(またげいし)」もあります。
女神輿が2基収納されていますが、神輿の御神体は海中からとれた丸石だったといいます。 石は布にくるまれ、石そのものを見ることはできないそうです。この2つの石は個人所蔵とのことです。
東の青龍・南の朱雀・西の白虎・北の玄武。
五行説に照らし合わせて中央に麒麟や黄竜を加え数を合わせる。麒麟や黄龍を入れた場合は五神あるいは五獣と呼び、淮南子などによると、方角には四獣と共に季節神として五帝を補佐する五佐のうち四佐が割り当てられています。
~・~・~・~
歴史ある神社の宮司さまとお話できました上に、有難いお言葉をかけて頂きました。
嬉しかったです。
ありがとうございました。
南あわじ市福良甲1331
東の青龍
南の朱雀
西の白虎
北の玄武
縦書「八幡宮」扁額
百百千度石
拝殿
拝殿より 本殿
本殿東側より
本殿西側より
拝殿
狛犬さま
狛犬さま
狛犬さま
狛犬さま
拝殿脇より 摂社福良護国神社
福良護国神社
鳴門の海より 「陰陽石」
右に「跨石 またげいし」
本殿裏摂社
東側に長い長い道があり
途中に境内へ上がれる車道も越え進むと
住吉神社へと繋がります
住吉神社と福良八幡神社の間を下ると
⛩️横に 御神木
こちらの⛩️と車道側に
安政四年(1857年)頃の八幡宮絵図
~味地草より~ がかけられています
宮幡八 横扁額
福良八幡神社御朱印
縁起より、こちらに御朱印を拝受
棟札は文字が見え辛く
御由緒書
・・・
! トンビさんもありがとう
福良八幡神社
みかん🍊がたわわでした
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