しずないじんじゃ
靜内神社のお参りの記録一覧
三石神社に次は、静内神社におまいりに行きました。
祭りの準備中のようでした。
他には誰もいませんでした。
時間的には大丈夫だと思ったのに、またしても御朱印はいただけませんでした。
旅の途中で参拝させていただきました。
こちらの地域は冬でも雪が少なくて
お参りしやすいです。
社務所を訪ねていただきました。
旅の途中で参拝させていただきました。
『静内神社』
多くの競走馬を輩出する馬産地で、映画『北の零年』の舞台でもある旧静内町(新ひだか町)に御鎮座。
御朱印は休止中のお知らせがありました。
大正8年【蛭子神社】と【神武天皇社】を合併して静内神社と称した。
【蛭子神社】は寛政年間の創祀とも伝えられ、慶応3年の社記『志美茶理鎮守恵美須大神宮ノ縁起』には「昔未だ夷地開拓せざる時、土地人海中に網を曳けるに一躰の光明赫奕《かくえき》たるを得たり、其形人神の如し、土人尊信す、漁猟満足を祈るに必応験有。故に漁業守護神として木幣を捧ぐ因に曰シベチャリ土人方言鮭多處と云儀也、此蛭子地蔵尊を信祭の後、倍鮭漁多を以て地號を鮭多故、他邦の土人此地に轉住する又多、故に或はシビチャリとて方言譯、繁昌弘地と云語也是地蔵蛭子海中より出現して漁猟圓満土地繁昌を鎮護諸願成就疑なく、祈に信誠を抽すべし。」とあり、『静内新冠両郡戸長役場社寺明細帳』には「明治元年開拓使渡島国亀田郡函館商人佐野専左衛門なるもの静内郡一円の漁場を所有せし中豊漁を祈らんが為漁神に勧請」とある。明治9年蛭子神社として村社に列せられた。
【神武天皇社】は、勤王派であった徳島藩洲本城代家老稲田邦植旧主従が、明治4年静内郡開拓の朝命を奉じて移住した際、神武創業の古に復するという明治維新の趣旨を奉じ、移民の守護神として奉斎したのが創祀で、明治9年神武天皇社として郷社に列せられた。
『本殿』重厚で風格たっぷり✨
御祭神は、神武天皇と事代主神。
様々な木々の中で、こちら『スモモ』の独特な雰囲気に惹かれました。
獅子頭だと思うのですが…
飛び出した目がとても個性的
二の鳥居は青銅です
手水舎
真っ赤な一の鳥居の先は
真っ直ぐ参道が続きます
社号標
御由緒
静内神社⛩️参拝です😊
御朱印再開のユーザーさんの情報にて
参拝に来ました(4回目です😂)
長い参道に広々とした境内
立派な神社です
御朱印は書き置きになりますが
宮司さんにも会えたし
諦めかけていたのでとても嬉しい☺️
待ちに待った御朱印😍
コロナ禍御朱印は休みだったので
勝手に年配の宮司さんかと思っていましたがとても若く優しそうな
宮司さんでした☺️
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
4
0