ほうとくにのみやじんじゃ
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報徳二宮神社ではいただけません
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報徳二宮神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年05月25日(土)
参拝:2024年5月吉日
先日小田原に鎮座する報徳二宮神社参拝にあたり、以前より気になっていた当社に参拝に伺いました。
投稿するにあたり、由緒等を確認して尚更身近に感じられ先人の苦労の上に今がある事に感謝して参拝しました。
その中で、今市市にある報徳二宮神社から御分霊を受けているのがわかり、そちらも参拝に伺いたいと思います。
投稿するにあたり、由緒等を確認して尚更身近に感じられ先人の苦労の上に今がある事に感謝して参拝しました。
その中で、今市市にある報徳二宮神社から御分霊を受けているのがわかり、そちらも参拝に伺いたいと思います。
神社入口の社号標と一ノ鳥居
報徳二宮神社の由緒版
石灯籠になります
ニノ鳥居になります。
社務所兼演舞場
演舞場で、社殿新築の大正9年9月20日より続く二宮獅子神楽の練習をするのでしょう。
演舞場で、社殿新築の大正9年9月20日より続く二宮獅子神楽の練習をするのでしょう。
三ノ鳥居から階段を登って社殿にむかいます。
手水舎になります
左右の狛犬になります
報徳二宮神社拝殿になります
報徳二宮神社の扁額になります
社殿の右側にあります、二宮尊親翁命とあります。
尊親は、尊徳の孫になります。
明治29年北海道開拓のため渡道し、明治30年に牛首別(現在の二宮)興復社を設立し入植、陣頭に立って10年で開拓の方向性と農民の生活の安定をみて明治40年
福島の中村に移住し、その後農業関係の公職とか、現西宮市の報徳学園二代目校長等歴任して68歳で他界した。
尊親は、尊徳の孫になります。
明治29年北海道開拓のため渡道し、明治30年に牛首別(現在の二宮)興復社を設立し入植、陣頭に立って10年で開拓の方向性と農民の生活の安定をみて明治40年
福島の中村に移住し、その後農業関係の公職とか、現西宮市の報徳学園二代目校長等歴任して68歳で他界した。
すてき
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