しんしゅうおおたには どうしょうじ|真宗大谷派 浄土真宗/東本願寺|銀光山
道證寺の御由緒・歴史
歴史詳細情報
江戸時代のはじめ福山城下町形成に当たって三河国(現在の愛知県)岡崎から水野勝成公に従った、三浦一族の空珍が開山となって元和9年(1623)道三町に創建された真宗大谷派寺院。
その後、藩主より寺町に寺地を拝領し、移転した。銀光山と号し、本尊は中世の作になる阿弥陀如来立像で現存し、墓地には江戸時代の有名な俳諧師雨声庵素淺の墓が存在する旨、古書にあるが戦災後失われた。
第二次世界大戦空襲により寺町筋の大半の寺は全焼したが、道證寺は山門のみ焼け残って現存し、歴史的に貴重な山門(第三世空円の時代/元禄六年西暦1693年建立)である。
戦後70年の間に於いて、道證寺門信徒の多大なる尽力、寄進により
第18世住職のもと、
昭和56年、本建築の本瓦葺で本堂再建。
平成10年、山門原形を復元修復。
平成17年、駐車場用地として隣接土地取得。
平成25年、書院改修、庫裡新築工事完工。現在に至る。
南無阿弥陀仏。合掌。
*浄土真宗*東本願寺*真宗大谷派*福山市寺町*
ご本尊 | 阿弥陀如来 | |
---|---|---|
創建時代 | 元和9年(1623) | |
開山・開基 | 空珍 | |
ご由緒 | 江戸時代のはじめ福山城下町形成に当たって三河国(現在の愛知県)岡崎から水野勝成公に従った空珍が開山となって元和9年(1623)道三町に創建された真宗大谷派寺院。その後寺町に寺地を拝領し、移転した。 銀光山と号し、本尊は中世の作になる阿弥陀如来立像で現存し、墓地には江戸時代の有名な俳諧師雨声庵素淺の墓が存在する旨、古書にあるが戦災後失われた。 第二次世界大戦空襲により寺町筋の大半の寺は全焼したが、道證寺は山門のみ焼け残って現存し、歴史的に貴重な山門(第三世空円の時代/元禄六年西暦1693年建立)である。 |
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