いつくしまじんじゃ
厳島神社のお参りの記録一覧(15ページ目)
赤ん坊のときから3歳まで広島に住んでました。ここにもお参りしたことがあったのですが、写真のみで記憶がなく。
社会人になってひとり旅で、行きました。二泊三日毎日参拝させて頂きました。
本当に大きく、美しく、平清盛の人物像を感じるものでした。
何度お参りしても、飽きるなどということはなく、宮島で過ごした3日間、とても気持ちが楽になりました。
6月から大鳥居が修繕ということで、しばらく寂しくなります。
晴天。ちょうど海が引いてます。
船に乗ったときです。昔は船でしか参拝が叶わないためここに大鳥居を平清盛が作ったのだと。
船の参拝にも礼儀があり、ふつうに潜りぬけてはならないと聞きました。
大鳥居の左右に太陽と月が鬼門を封じるためにあり、五重の塔と本島にも同じく鬼門を封じてる場があると聞きました。
イザナギ神を祭り、平家の氏神を祀る神社として平清盛が今の形としたと聞いております。
舞台です。
【美男すぎて…】念願叶い、この度初めて参拝しました。感激です。このような素晴らしい神社が、推古天皇元年(西暦593年)より代々かけて護られ、この令和の時代にまで在るということを、感謝しなければならないと感じました。
令和二年二月廿三日、改元後初となる今上天皇誕生日でございます天長祭の日に参拝することができました。有難うございます。
天長祭では、舞楽が奉納されました。
厳島神社(安芸国 厳島社)については、
八坂神社と同じく、語りたいことは枚挙に遑がなく、一つの投稿では足りないと考えていますので、
今回は舞楽について主に記しておきたいと思います。
厳島社で舞楽が行われるようになったのは、平清盛公の時代からといわれます。
久安2年(西暦1146年)、清盛は安芸守に任ぜられて以来、厳島社を熱く崇敬してきました。
竜宮城を連想させる現在の本社の寝殿造りは、清盛によって造営され、その折、清盛は大阪の四天王寺から舞楽をここ厳島に伝えられたといわれています。
天長祭で奉納された演目は、
「振鉾」、「萬歳楽」、「延喜楽」、「蘭陵王」、「納曽利」、「長慶子」
でした。
私は、恥ずかしながら雅楽について素養がないのですが、
厳島神社の舞楽の中で最もポピュラーであろう「蘭陵王」について、拙いながらも記したいと思います。
蘭陵王(高長恭)は、約1400年前の中国・北斉の皇族であり、仁徳と勇猛を兼ね備えた君子でありました。
しかし、あまりに美しい容姿の持ち主でもあったので、自軍の士気が揚がらなかったため、彼は恐ろしい形相の面をつけて自軍を指揮し、北周の大軍との戦いに勝利しました。
その姿を舞にし、彼の武勲を称えたのが、この演目の嚆矢であると伝えられています。
実際、この演目では、舞人は面をつけています。
ちなみに蘭陵王は、美貌だけでなく、美声の持ち主でもあったと伝えられています。
美男であり、美声であり、勇敢で、人格者でもある…あまりに完璧な存在です(その完璧さゆえに嫉妬を買い、最期は悲劇的な死を迎えたのですが…)。
タイムマシンに乗って、是非一度お目にかかってみたいものです。というかできれば連れて帰りたいものです。
さて恥ずかしながら、私は管弦にも明るくないのですが、本演目では、曲の音階が他の曲よりも唐風に聞こえました。
また、舞人の衣装も非常に唐様でありました。
その朱色は、厳島の青い海と青い空を背に、より一層鮮やかに美しく映えました。
今回の参拝を切欠に、雅楽について理解を深めたいと思うことができました。
非常に貴重な機会を得ることができ、感謝しています。
音に聞く 此島山を来てみれば
宮居名高き 春の海面
施薬院 全宗
蘭陵王
か
かっこいい…
厳島の青い海と空と、蘭陵王とのコントラストが美しいです
現在鳥居は改修中です。この鳥居は実は刺さっていなくて置かれているのです。潮の満ち引きがある中でこのような巨大な鳥居を修復していくのは非常に難しいことのように思います。修復をされる方には頭が上がりません。家が近ければ、毎日来て修復の様子を見守っていきたいくらいです。
8月3日は管絃祭
管絃祭の非公式ポスター作ってみました。
絵をクリックするとより詳しく見れます。
厳島神社管絃祭非公式ポスター
厳島神社管絃祭非公式ポスター2
厳島神社に祀られている三女神同士の会話
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
0
0