きふねざん じゅんきょうじ|浄土真宗本願寺派|木舟山
木舟山 順教寺公式広島県 志和口駅
9時~17時
檀家以外の参拝 | 歓迎 | ||
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御朱印 | |||
駐車場 | 山門付近に駐車場があります。およそ、15台駐車できます。 |
境内の散策などでも構いませんので、お気軽にお参りください。
法事・法要・お参りのご案内
仏教では、逝去してから四十九日の間を「中陰」と言います。 中陰とは、生命あるものが死んで次の生をうけるまでの中間の時期を意味します。中陰の間は、閻魔大王による裁きが七日おきに実施され、49日目に極楽浄土へ旅立てるか否かの判定が下されるとされています。そして、判断が下される49日目が忌明(きあけ:遺族が故人の冥福を祈って喪に服す忌服(きふく)期間を終えること)にあたります。
遺族は、この閻魔大王の七日おきの裁きに合わせて法要を営み、故人の冥福を祈ります。この7日おきの法要のことをそれぞれ、初七日法要、 14日法要、21日法要、28日法要、35日法要、42日法要、49日法要と云います。そして、49日をもって忌明(きあけ)となります。ちなみに、この49日までの間が忌服(きふく)期間(遺族が個人の冥福を祈って喪に服す期間)にあたります。49日以降は、年忌法要(一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十七回忌、三十三回忌、三十七回忌、四十三回忌)を行うことで故人のご遺徳をしのびます。
法事や法要は、事前にお電話やメールで日程の調整をさせて頂いております。ご法事は、ご希望のお時間でお受けしております。 法事後の寺での御食事(お斎<おとき>)につきましてもご準備させていただくことが可能です。都合により、お受けできない場合も御座いますので、ご了承下さい。自宅へのお参りも対応させていただいておりますので、お気軽にご連絡ください。
お葬式
お葬式とは、僧侶を招いて遺族や近親者で集まり故人の冥福を祈って成仏祈願を行う儀式と一般的には認識されています。しかし、お葬式の意味合いは儀式だけでなく、故人を追憶しながら人生無常のことわりを聴いて考えて、仏縁を深める機会でもあります。
現在、お葬式はお通や・葬儀/告別式・火葬式の3つのパートで構成されることがほとんどです。お通夜は、故人が火葬される前日に家族や親族が夜通し遺体のそばで過ごし、ご遺徳をしのぶことをいいます。葬儀は、故人の冥福を祈って僧侶を中心に読経や焼香をあげる儀式です。
告別式は、葬儀の後に故人に対してご遺族、近親者や友人・知人などが別れをしのぶことをいいます。最近は、葬儀と告別式を一緒に執り行うことが多いです。火葬式は、火葬炉の前で御棺に向かい僧侶を中心として遺族や近親者で集まり読経を行うことで故人との最後のお別れの場です。
当時院では、葬式を行うに際してしっかりとご遺族の方と打ち合わせを行い実施させていただいております。
当時院の歴史
順教寺は、1574年(天正2年)頃、教春により開基されました。以来、様々な時代の移り変わりを乗り越え、脈々と受け継がれて現在に至ります。
教春は、元々は毛利家の家臣であった吉川経好(後の市川経好)が市川邑(現、白木町市川)に建設した館を買い取り、その地に順教寺を建立しました。教春が、市川経好から館を買い取った事実は高田郡村々覚書に残っています。その市川経好の館であった名残が順教寺の石垣として現在も残っています。
市川経好は毛利輝元の命を受け山口奉行として周防(現、山口県)の高巌城の城主となり市川邑を去りました。市川経好が高巌城の城主になるにあたり、教春が、市川経好の館を買い取ることができたわけです。
住所 | 広島県広島市安佐北区白木町市川1244 |
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行き方 | 【電車の場合】JR芸備線「志和口駅」より徒歩10分(1.2km)
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名称 | 木舟山 順教寺 |
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読み方 | きふねざん じゅんきょうじ |
通称 | じゅんきょうじ |
参拝時間 | 9時~17時 |
参拝にかかる時間 | 5分 |
参拝料 | なし |
トイレ | 本堂横に、参拝者用の公衆トイレがあります。 |
電話番号 | 082-828-1008 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
メールアドレス | temple@junkyouji.jp |
ホームページ | https://jyunkyouji.com/ |
ご本尊 | 阿弥陀如来 |
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山号 | 木舟山 |
宗旨・宗派 | 浄土真宗本願寺派 |
創建時代 | 1574年(天正2年) |
開山・開基 | 教春 |
文化財 | 当寺院には広島市の重要有形文化財に指定されている「金銅円盤懸仏(こんどうえんばん かけぼとけ)」2 面と「銅円盤懸仏(どうえんばんかけぼとけ)」1 面を保有しています。 古来より懸仏は、寺院や神社の建物の軒先や内部にかけられ礼拝の対象とされていまし た。この 3 面の懸仏は、室町時代に製造されたといわれています。2 面ある金銅円盤懸仏 のうちの1つの裏面には、文明 6 年(1474 年)4 月 15 日に、物部太郎惣左衛門という人 が、この懸仏を八幡神社に寄進したという内容の墨書きがされています。このような裏書 のある懸仏は県内でも珍しく、貴重な資料となっています。 |
ご由緒 | 順教寺は、浄土真宗本願寺派の寺院の一つです。教春(きょうしゅん)によって、1574年(天正2年)に開基されました。教春は、元々は毛利家の家臣であった吉川経好(後の市川経好)が市川邑(現、白木町市川)に建設した館を買い取り、その地に順教寺を建立しました。教春が、市川経好から館を買い取った事実は高田郡村々覚書に記録されています。その市川経常の館であった名残が順教寺の石垣として現在も残っています。 |
体験 | 結婚式仏像傾聴重要文化財武将・サムライ除夜の鐘法話 |
感染症対策内容 | ・消毒液の設置をしています。
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