たけじんじゃ
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楽しみ方多家神社のお参りの記録一覧
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広島市は一旦終了してお隣の府中町へ。やたらと道が渋滞しており、大した距離ではないのに時間が掛かります。又、境内に停めて参拝後に石段下迄下りました。式内社「多家神社」の後継社です。歴史がある様でない不思議な存在です。中世に社勢いが衰退し、江戸時代には「たけい社」を境内社に持つ松崎八幡宮と安芸国総社の総社が論社とされ論争になり、明治になると両社を廃社し、新たに神武天皇が東征の際に7年間滞在した阿岐国(安芸国)の多祁理宮(『古事記』)あるいは埃宮(『日本書紀』)の跡とされるこの地に創祀されたものです。凄いのが後世禍根を残さぬように両社にあった古文書類を焼却してしまったことです。あまりに乱暴ですね。
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式内名神大社「安芸国安芸郡 多家神社」の後継神社として、明治6年(1873年)に創祀された。
社伝では、式内多家神社は神武天皇が東征の際に7年間滞在した阿岐国(安芸国)の多祁理宮(『古事記』)あるいは埃宮(『日本書紀』)の跡に創祀されたものとしている。『延喜式神名帳』では名神大社に列している。
中世には武士の抗争により社勢が衰退し、所在がわからなくなった。江戸時代になると、境内社に「たけい社」のあった「松崎八幡宮」と、安芸国総社である「総社」が式内多家神社の後裔社を主張し、論争となった。結局、明治6年両社を廃止し、現在地の「誰曽廼森(たれそのもり)」に社殿を造営して、両社で祀られていた神を祀る「多家神社」が新たに創建された。この際、両社に伝わる古記は、後の争いを避けるために全て焼却されたという。翌明治7年に県社に列格した。

今日は朝から雨でした。土曜日なので昼に腰のリハビリの予約を入れています。しかし、母親が土曜日も仕事になり、リハビリが終わって帰ってもお昼寝してしまうと思い、思い切って神社参りです。

何か音がするなと思い、境内の方を見ると、結婚式かな?やってました。
まぁ、僕はあまり邪魔にならないように行動しました。

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