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あさひやまじんじゃ

旭山神社
公式広島県 広電西広島(己斐)駅

参拝可能時間:24時間  授与所:午前9時より午後4時(不在の場合あり)

令和7年正月限定御朱印(書置き)

期 間  元旦より1月13日 午前9時より午後4時
初穂料  500円

●当社山の上のため、参拝できない方へ郵送での授与を承ります。
郵送授与をご希望の方は、注意点をお読みになり、下記の項目をメールよりお送りください。
また、現金書留でも受け付けております。
必要事項を紙に記入いただき、初穂料+送料をお送りください。
お申し込み期間は、〜1月13日までと致します。

[注意点]

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氏子以外の参拝
氏子以外の参拝
あり
歓迎
御朱印について御朱印
あり
限定
あり
御朱印帳にお書き入れ
あり
郵送対応
あり
御朱印帳
あり

普通サイズ(11×16)、寺社オリジナル

パーキング
駐車場
なし

無し

おすすめの投稿

こうきりん
こうきりん
2023年01月08日(日)
321投稿

ナビにスゴい細い道や狭い道を誘導されて何とか辿り着きました😅ですが,残念ながら社務所は4時までで,限定御朱印をいただくことができませんでした😂ただ,この神社も階段がスゴい!また,夜にはイノシシ🐗が出るそうです😲本殿や拝殿は原爆に被爆しましたが,それに耐え残った建物のようで,スゴいエネルギーを感じました☺️

旭山神社のその他建物

へ〜😲

旭山神社の歴史

原爆の被爆に耐えた神社なんですね⛩

旭山神社のその他建物

それではお参りします🙏

旭山神社のその他建物

ズッコケ三人組って小説だったっけ⁉️

旭山神社の歴史

御由緒書きです。

旭山神社の鳥居

鳥居の扁額です。

旭山神社のその他建物

階段が急で長い‼️

旭山神社のその他建物

御神木ですね。

旭山神社のその他建物

大正天皇の御即位記念樹とのことです。

旭山神社の手水舎

手水舎です。

旭山神社のその他建物

拝殿が見えてきました。

旭山神社の本殿・本堂

拝殿です。

旭山神社の本殿・本堂

拝殿の扁額です。

旭山神社の末社・摂社

境内社の稲荷神社です🦊ここも出世稲荷なんだ‼️🦊

旭山神社の末社・摂社

境内社の稲荷神社です🦊🦊🦊

旭山神社の本殿・本堂

境内社から旭山神社の本殿が見えました。原爆にも耐えた本殿です🙏

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歴史

当社の創建は、大変に古く不明です。
その昔広島市はほとんどが海で、当神社は岬の先端で山の下は波が洗っていました。
伝説によるよ、御祭神である神功皇后が、仲哀天皇2年(西洋歴193年)に船で九州に向かわれる途中(三韓征伐)この岬にお登りになり休憩されました。その時出迎えたこの土地の県主(あがたぬし)が大きな鯉を献上したところ神功皇后は、「おお、こひ、こひ」と大変お喜びになりました。
その因縁によりこの地域を「こひ(己斐)」と呼ぶようになったと言い伝えています。
この後弘治元年(1555年)10月1日毛利元就が宮島で陶晴賢との合戦(世に「厳島の合戦」)に向かう途中、戦勝祈願の為当社にお立ち寄りになられました。ちょうど夜明けで東の空に朝日が昇り輝き、元就は「縁起がいい」と大変喜び当社を「旭山八幡宮」と名付けました。
また、天正17年(1589年)に毛利輝元が広島城を造営する時、その場所を決める為の下見に当社に登ったと言われています。
先に書いたように市内は海でした。この海を「こいの浦」と呼んでいました。
広島城は「こいの浦」に造られた城ということから別名を「鯉城(りじょう)」と言います。(諸説有り)
昭和20年8月6日に原子爆弾が広島に投下されたとき、当社は爆心地から3㎞弱のため、爆風により社殿は倒壊しましたが炎上は免れました。

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旭山神社の基本情報

住所広島県広島市西区己斐西町12-10
行き方

JR山陽本線 西広島駅より徒歩15分

アクセスを詳しく見る
名称旭山神社
読み方あさひやまじんじゃ
通称八幡さん
参拝時間

参拝可能時間:24時間  授与所:午前9時より午後4時(不在の場合あり)

参拝にかかる時間

200段の階段を昇ります

参拝料

無料

トイレ階段の途中
御朱印あり

限定御朱印あり
御朱印帳に直書きあり

御朱印の郵送対応あり

御朱印帳あり
電話番号082-271-1040
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://asahiyamajinja.com/
SNS

詳細情報

ご祭神《主》息長帯日売命,品陀和気命,市岐島姫神,湍津姫神,田心姫神,《配》天児屋根命,菅原大神,柿本人麻呂,帯中津日子命,太玉命,素盞男命,宇迦之御魂神
ご由緒

当社の創建は、大変に古く不明です。
その昔広島市はほとんどが海で、当神社は岬の先端で山の下は波が洗っていました。
伝説によるよ、御祭神である神功皇后が、仲哀天皇2年(西洋歴193年)に船で九州に向かわれる途中(三韓征伐)この岬にお登りになり休憩されました。その時出迎えたこの土地の県主(あがたぬし)が大きな鯉を献上したところ神功皇后は、「おお、こひ、こひ」と大変お喜びになりました。
その因縁によりこの地域を「こひ(己斐)」と呼ぶようになったと言い伝えています。
この後弘治元年(1555年)10月1日毛利元就が宮島で陶晴賢との合戦(世に「厳島の合戦」)に向かう途中、戦勝祈願の為当社にお立ち寄りになられました。ちょうど夜明けで東の空に朝日が昇り輝き、元就は「縁起がいい」と大変喜び当社を「旭山八幡宮」と名付けました。
また、天正17年(1589年)に毛利輝元が広島城を造営する時、その場所を決める為の下見に当社に登ったと言われています。
先に書いたように市内は海でした。この海を「こいの浦」と呼んでいました。
広島城は「こいの浦」に造られた城ということから別名を「鯉城(りじょう)」と言います。(諸説有り)
昭和20年8月6日に原子爆弾が広島に投下されたとき、当社は爆心地から3㎞弱のため、爆風により社殿は倒壊しましたが炎上は免れました。

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