にぎつじんじゃ
饒津神社のお参りの記録一覧
二葉山麓七福神巡りで訪れました。
こちらの神社には恵比須天が祭られています。
手水舎の裏手に祭ってありました。
御朱印は全て書置きで、こちらの神社ではセルフで拝受できるようになっていました。
2023夏の青春18きっぷ寺社巡り。4日目1社目。
午後は広島から大阪移動のため広島駅周辺で寺社巡り。
広島七福神というのがあると知り、七福神1社目 恵比寿天のこちらからスタート。ホテルから約1km 徒歩15分弱。二葉の里歴史の散歩道で七福神の寺社仏閣すべて巡ることができます。
境内に入るとまずは立派な鳥居。駐車スペースが広く拝殿の近くに止まるスペースがあります。
被爆樹木松の切り株が展示されている覆屋は被爆松を材料として造られているとの説明があり、見入ってしまいました。本殿、拝殿は参道から斜めに向いていますが、こちらは藩主のいた広島城の方角に向いているからとのこと。
3時間弱で7寺社めぐるスタートでかなりの時間境内散策。、
手水舎:
恵比寿天
向唐門:平成12年8月再建
扁額
御朱印2種 広島七福神の御朱印 恵比寿天は書置
鶴羽根神社から200mのところに饒津神社が鎮座されているとのことでしたので,ちょっと走ってお参りしてみます🏃おっと,道路沿いに鎮座されており,とても広い参道ですね😃とても大きく立派な神社です⛩️御祭神は…と…芸州藩の浅野公ですか😆これまた信長の野望でお世話になった方々が神様になっておられますね😊それに昭和まで生きた最後の殿様浅野長勲公も祀られているんですね😲写真も残っていて実際に国政に関与なさった方が神様になっておられるので凄いですよね🙏とても広くて静かで居心地のよい神社⛩️でした😃今度は直書きの御朱印を授与いただきたいと思います☺️
鶴羽根神社からすぐです。
社号碑です。
被爆松の切り株です🌲
被爆松の説明書きです。
一ノ鳥居です⛩️でっかいです⛩️
手水舎です。現在は使えないようです。
原爆投下後の饒津神社の様子です。
七福神めぐりの恵比須天さまです🙏
随神門です。
随神門にクイズがありました😃
拝殿が見えます。確かに斜めに鎮座されています。
境内に社務所がありました。本日は宮司さま不在のため,書き置きの御朱印を授与いただきました。
七福神めぐりの御朱印が並んでいます。いつか残りの五つも授与いただきたいです。
拝殿です。
おやクイズの答えです。なるほどね🧐
拝殿の扁額です。
饒津神社に祀られている浅野長勲命の碑です。昭和まで生きた最後の殿様ですね😲
96歳まで…大往生ですな🙏
本殿です。参拝客は近寄ることができません。
境内社です🦊
🦊
稲荷神社側から本殿を📸
広島神社ラリーのラストは饒津神社です
相変わらず小雨の降る中でしたがすっきりと手入れされた境内、他に参拝客のいない静かな雰囲気はまた格別なものです
御朱印は直書きと書き置きどちらでもよいとのことでした
もちろん直書きをお願いしてしまいますよね(笑)
こちらが正面から見た拝殿です
参道に対して斜め方向に社殿が建っています
社殿が広島城を向いているためだそうです
神門です
被爆した松の木が祀られていました
饒津神社の入口です
鶴羽根神社のすぐ近くにあります
饒津神社(にぎつじんじゃ)(広島市東区)
広島駅少し北の徒歩圏内、寺社が多い場所。
すぐに読めず印象的だった饒津。
物が豊かな水の都となるようにという願いが込められているとのこと。
拝殿奥の御本殿が階段で更に上がったところあり、荘厳な雰囲気。
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広島二葉山山麓七福神めぐり/恵美須天
《饒津神社(恵比須天)/明星院(毘沙門天)/鶴羽根神社(弁財天)/広島東照宮(福禄寿)/尾長天満宮(寿老人)/國前寺(大黒天)/聖光寺(布袋尊)》
拝殿
入り口の標柱
入り口付近 被爆松の切株
被爆後の年輪の成長を見ることができます
二の鳥居、狛犬
二の鳥居
手水舎
七福神めぐりの恵美須天
手水舎の奥にいらっしゃいます
向唐門
拝殿から振り返った眺望
拝殿
拝殿
拝殿
拝殿
御陣中御手水鉢
御本殿の手前にあり
御本殿
七福神めぐり
七福神めぐりの御朱印
御朱印(各置300)
広島④二葉の里地区の神社はこちらで最後。少し電動自転車に慣れてはきましたが、相変わらずスマホのナビは余り正確に自分の位置を認識せずにあちこち遠回りさせられてしまいます。それでも当初、バスや徒歩で神社巡りをしようと思っていたのが、自転車のおかげで予定を大幅に短縮出来ました。こちらの神社は敷地がが広くゆったりした感があります。広島浅野藩の藩主などが祀らていますが、参拝者は少なく静かなもんです。社務所は開いていず、入り口に書置きの御朱印が用意されていました武将好きの私としては少し残念。
普段、あまり原爆のことを意識していなかったのですが、多くの被爆建造物や説明板を読む機会に触れ、よくここまで復興したものだと感心するとともに、平和が一番と再認識しました。
社号標
注連柱(被爆建造物)明治43年(1910)御祭神「浅野長政」公300年祭の際に奉納、広島県最大規模
常夜灯
灯籠
被爆松 最後に残った日幕末の切り株
覆屋はこの松の木材を使用
参道 多くの浅野家家臣が奉納した石灯篭が多くあります。
狛犬
両部鳥居原爆により神社は悉く灰燼に帰したが、400年祭を迎えるに当って、記念事業の一環として、原爆で失われていた宮島型の檜造大鳥居(両部鳥居)を平成17年・60余年振りに復元
手水舎(被爆建造物)
向唐門 昭和20年原爆で焼失した旧向唐門の礎石の上に再建。龍の彫刻等細部を忠実に復元した(礎石は原爆当時のまま残した)。向唐門は格式上将軍や藩主を祀る神社に用いられた。平成12年8月、再建。
扁額
細長い長方形の石材を横に3段に積んだ単純な布積みであるが、使用されている石材は一つずつが長大で、それまでの石垣の概念とはかけ離れた趣である。
この石垣に連なる「25m幅の石段」は江戸時代までに参道として作られた階段の中では、間口の広さ、長大な切石を使っている点で、拝殿前乱積とともに江戸時代のものとしては最大級のものと評価される。
拝殿
扁額
賽銭箱
灯籠
浅野長勲公頌徳碑 浅野家第14代・芸州広島藩最後の藩主。広島県初代知事(県令)
本殿
天保六年奉納の灯籠
境内社鳥居
境内社 稲荷神社
御陣中御手水鉢
御祭神「浅野長政」公が肥前国、名護屋城(佐賀県)内御陣屋(弾正郭(だんじょうぐるわ))でご愛用されたもの。天明五年(1785年)浅野家9代藩主重晟(しげあきら)公の時、御泉邸(縮景園)の清風館へ移設。天保六年(1835年)当社造営の時「御陣中御手水鉢」として現在地に設置。
「殊外古物甚(ことのほかふるきものはなはだ)面白き石手水鉢」と称された。
恵比須天
最後に饒津神社です。
1時間もあれば、十分回れました。
まぁ今までは暑かったので、3か所ずつ回ってきましたが。
来週はお休みして、
4連休に動こうかなと思っています。まぁどうなるかわかりませんが。
ちょっと天気もだんだん悪くなってきて写真写りが悪いのですが、ごめんなさい。
しかしどこに行ってもいいですね。移りが違う。
そこそこの佇まいがあります。
本殿です。
やっぱりいいですね。
どこの神社もその場所場所で見せてくれます。
御朱印です。
日付は自分で書きました。
字を見せるのがお恥ずかしい。
ほんとに御朱印集めっていいですよ。
みなさんも頑張りましょう。
僕も皆さんの投稿を見て力になってます。
ありがとうございます。
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