はるなじんじゃ
榛名神社群馬県 安中榛名駅
開門時間:7時
閉門時間:17時
上野国群馬郡の式内社であり同国六宮です。赤城山と妙義山と共に上毛三山の一つである榛名山を御神体とする神社で、山岳信仰の形態から中世は神仏習合の濃い神社でした。武家政権に入ると寺を含めた運営を武士が担当するようになりますが、近世に入ると今度は御師が活躍して榛名講がその勢力の主体となるという、時代によってその管理者や方向性が変わりますが、それだけ重要な信仰の地として扱われていたことが窺えます。
《一の鳥居》
ここまでの山道で友人が1人酔ってダウンしました。
《二の鳥居》
仕方がないのでもう1人の友人連れてお参りへ。
《地図》
《表参道》
この前に行った妙義神社と同じく、紅葉狩りの参拝者がたくさん来ていました。
《三重の塔》
《回廊》
《瓶子の滝》
この岩場の間に水流によって削られた道を水が流れ置いていくのがとても風流ですね。
《手水舎》
水は流れています。
《神幸殿》
この切り立った崖を縫うように本社へ向かっていく、とても素敵ですね。
《山門》
《授与所》
《双龍門》
登り龍ちゃんと見忘れた…
《本殿》
残念ながらこの時期には改修中で全体像は見られませんでした。御朱印とかもいただき損ねたので次は改修後に来たいですね。
《榛名山番所跡》
といいつつこの関所?しか残ってなかったです。
《砂防堰堤》
これで上がダムみたいになってるのかと思ったら普通に木々が生えており、この滝と同じくらいの幅の川が流れているだけです。ある意味砂が堰き止められて地面ができてるということなんでしょうか。
《大岩》
砂防堰堤から奥を見るとなんか凄い霧だった石の塔みたいなものが立っています。
《宿坊》
👁チェックポイント‼️
当社の一の鳥居から二の鳥居までの間には道の両側に宿坊がお店をそれぞれ運営しています。こうした形で現在も宿坊がかつてのまま維持されているのところは本当に少なく、他には戸隠神社なんかもそれぞれの宿坊が代々維持され運営されています。
宿坊は明治に神仏分離と神社が政府の管理下に入ったことで神社との直接的な関係が切り離されてしまい、その後は教派神道の神道大教所属の宗教団体となっています。
各神社の講社は明治にはかなりその立場が危ういものとなっており、規模の大きいものは教派神道になって独立、それ以外は既存の包括系の教派神道に所属し存続しました。
ちなみに先ほどの戸隠講は神道修正派に所属したと聞きました。
あちらはその宿坊の方々が準神主のような形で神社の祭祀に関わったり講元として管理をしていましたが、こちらはどのようになっているのか気になりますね。
1/22は旧暦の正月にあたりますので
群馬県代表榛名神社へ⛩
グンマーは是非とも参拝して頂きたい場所の
一つでございます😊
御祭神は火の神である火産霊神(ほむすびのかみ)
土の神である埴山売神(はにやまひめのかみ)
の二柱になります☀️
御姿岩と本殿がつながっており、その中に御神体が
奉っているとされております☀️
只今本殿、拝殿は改修工事中ですが
山道は七福神がお出迎えのラッキーロードがあり
武田信玄公が戦勝祈願のために矢を射立てたという
言い伝えがある矢立杉もございます⭕️
ご利益パワー受けすぎ注意となっております🈲
旧正月に参拝出来ました事、神様のお導きに
感謝ですね🌈
榛名湖が寒すぎて凍ってたー🧊
延長五年(927年)に完成したこの記録には、全国の主要な神社名を書きあげた『神名帳』があり、その中に上野国十二社の群馬郡小社とし て榛名神社は位置づけられています。
この記録に登載された神社は「式内社」と呼ばれ、格式の高い神社と考えられています。
これが榛名神社が歴史書の中で取り上げられた最初だといわれています。
したがって、この時すでに「式内社」といわれるほどの神社に榛名神社は成長していたことがわかります。
その他十世紀から十二世紀にかけて著された『三宝絵詞』『上野国交替実録帳』『僧妙達蘇生注記』などからも当時の榛名神社の様子がうかがえます。
近年、榛名神社境内で小金銅仏(地蔵菩薩立像)、寛平大宝(皇朝十二銭の一つ)、錫杖頭部、鉄釘、鉄鏃、甕、坏などの破片(土師器、須恵器など)等の遺物 が採集され、建物の礎石も確認されたことから、この遺跡は寺院跡であると考えられています。
土器片には九世紀のものも含まれていますので、遺跡もその頃のものと考えられます。[当神社HP歴史より]
名称 | 榛名神社 |
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読み方 | はるなじんじゃ |
通称 | 満行権現 |
参拝時間 | 開門時間:7時
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参拝にかかる時間 | 約30分 |
参拝料 | なし |
トイレ | あり |
御朱印 | あり 真ん中に榛名神社の印が入った御朱印です。
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限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 027-374-9050 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.haruna.or.jp/ |
おみくじ | あり |
絵馬 | あり |
ご祭神 | 《主祭神》 火産霊神 埴山毘売神 《配祀神》 水分神 高龗神 闇龗神 大山祇神 大物主神 木花開耶姫神 《合祀神》 菅原道真 崇徳天皇 |
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創建時代 | 不詳 |
創始者 | 不詳 |
本殿 | 春日造 |
文化財 | 〇国指定重要文化財
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ご由緒 | 延長五年(927年)に完成したこの記録には、全国の主要な神社名を書きあげた『神名帳』があり、その中に上野国十二社の群馬郡小社とし て榛名神社は位置づけられています。
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体験 | 祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬七五三食事・カフェ御朱印宿坊お守り重要文化財祭り武将・サムライ伝説 |
概要 | 榛名神社(はるなじんじゃ)は、群馬県高崎市榛名山町にある神社。式内社、上野国六宮で、旧社格は県社。 |
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歴史 | 歴史[編集] 古代[編集] 『榛名神社社記』によれば、綏靖天皇の時代に饒速日命の子・可美真手命父子が山中に神籬を立て天神地祇を祀ったのが始まりとされ、用明天皇元年(586年)に祭祀の場が創建されたと伝えられている[1]。 榛名神社の文献上の初見は延長5年(927年)完成の延喜式神名帳で、上野国十二社のうち群馬郡小社として記載されている[2][1][3]。榛名山は古代には「いかほのねろ」と呼ばれており、延喜式神名帳には榛名神社以外にも榛名山を信仰の対象とするとみられる神社として群馬郡小社の伊香保神社(上野国三宮)の名が見える[4]。このような2社の存在は伊香保神社による渋川側からの水沢山...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「榛名神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%A6%9B%E5%90%8D%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=102488198 |
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