いちのみやぬきさきじんじゃ
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一之宮貫前神社ではいただけません
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一之宮貫前神社のお参りの記録(2回目)
投稿日:2021年09月05日(日)
参拝:2020年8月吉日
(参拝2回目(2021年5月8日)分を先に投稿済み)
当日が、群馬県の寺社仏閣初参拝。初めての土地に行く時は、まず始めに一之宮に参拝して、現地の神様にご挨拶することにしているので、群馬県≒上野國となると自動的に上野國一之宮である当社に参拝することに。
東京からだと練馬ICから関越道を使って100km超になるので、到着するまでにそれなりの疲労度を覚悟したが、意外と疲れなかったのでひと安心。
当社は事前の調査で、<下り宮>の代表的神社ということだったので非常に楽しみにしていたが、期待通りの見事な神社で大満足。境内社も細かく見て廻り、参拝は大満足であったが、ご朱印拝受でちょっとしたミスを。上野国の神社参拝のキックオフということで、当社のオリジナル御朱印帳を購入し、御朱印を拝受するまでは良かったものの、別途<全国一の宮御朱印帳>にも御朱印をもらうべきところ、持参するのをすっかり忘れてしまった。これで自分的には要再参拝確定。残念...涙
※ただ参拝時、拝殿正面を修復作業中だったので、次回は美しい拝殿を見られると思うとちょっとした慰めに。
当日が、群馬県の寺社仏閣初参拝。初めての土地に行く時は、まず始めに一之宮に参拝して、現地の神様にご挨拶することにしているので、群馬県≒上野國となると自動的に上野國一之宮である当社に参拝することに。
東京からだと練馬ICから関越道を使って100km超になるので、到着するまでにそれなりの疲労度を覚悟したが、意外と疲れなかったのでひと安心。
当社は事前の調査で、<下り宮>の代表的神社ということだったので非常に楽しみにしていたが、期待通りの見事な神社で大満足。境内社も細かく見て廻り、参拝は大満足であったが、ご朱印拝受でちょっとしたミスを。上野国の神社参拝のキックオフということで、当社のオリジナル御朱印帳を購入し、御朱印を拝受するまでは良かったものの、別途<全国一の宮御朱印帳>にも御朱印をもらうべきところ、持参するのをすっかり忘れてしまった。これで自分的には要再参拝確定。残念...涙
※ただ参拝時、拝殿正面を修復作業中だったので、次回は美しい拝殿を見られると思うとちょっとした慰めに。
境内南端の入口。県道198号線沿いにあって、<社号標>はあるが、地味で目立たない。ここから参道を徐々に登って行くが、面白いことにこの参道は県道209号線という公道。参拝者のクルマだけではなく、関係のないクルマも走っている。
参道を登って行くと、途中で踊り場のような場所がある。ここから歩行者は鳥居までの階段を登る。クルマは写真枠外左にある急峻な道を登っていく。
鳥居をくぐり振り返ると、南側の美しい山々が見渡せる。
鳥居から100mほど進むと、神域の入口<総門>がある。両サイドにある、江戸末期奉納の青銅鳥居が美しい。
<下り宮>なので、総門の向こうには参道は見えず、<楼門>の屋根と森の木々が見える。
総門をくぐったところから、石段の下の<楼門>を見下ろす。他の神社では味わえない景色。
石段を半分下って左側にある<月読神社>。建物自体は、江戸時代初期1635年以前の旧拝殿。
石段を半分下って右側にあるのは<斎館>。
石段を最後まで下って左側にある<手水舎>。
手水舎の<手水盤>には、元禄11年(1698年)にこの手水盤を奉納した人の話が書いてあるみたい。
石段を下り切った正面にある<楼門>。
参拝所と賽銭箱があるので、まずは二礼二拍手一礼。でも、向こう側に拝殿が見えない?
見えない理由を確認しに、右側から楼門と透塀の向こう側に廻ってみると、、、
拝殿正面は現在絶賛工事中。美しい拝殿が見られない...涙
なお、拝殿、幣殿、本殿、回廊は、江戸幕府3代将軍・徳川家光により1635年に造営、5代将軍綱吉により1698年に改修。この改修時に極彩色の漆が塗られ華麗な造りとなっている。いずれも国指定の重要文化財。
なお、拝殿、幣殿、本殿、回廊は、江戸幕府3代将軍・徳川家光により1635年に造営、5代将軍綱吉により1698年に改修。この改修時に極彩色の漆が塗られ華麗な造りとなっている。いずれも国指定の重要文化財。
適当に切り取った<拝殿>の彫刻。
拝殿後ろの<本殿>は、こんなに美しい。本殿は<貫前造>という独特な構造で単層だが内部は2階建て。稲含山に向けて<雷神小窓>が設けてある。
こちらが<雷神小窓>。
適当に切り取った<本殿>の彫刻。
本殿の左脇にある唯一の摂社<抜鉾若御子(ぬきほこわかみこ)神社>。創建はなんと安閑天皇の御代(531年-535年)で、『上野国神名帳』にも神階の記載がある。社殿は1815年の造営。明治時代に近隣から遷座。
社殿の左外側の<経蔵跡>。明治維新の廃仏毀釈で破却され、所蔵の鎌倉時代以来の諸経や安置してあった普賢菩薩などの仏像とともに近くの河原で焼却されてしまったとのこと。
社殿の裏にある<大杉(藤太杉)>。樹齢1000年超。平安爺大中期の939年下野國唐沢山城主・藤原秀郷が平家討伐の際、当社に参詣し、歳の数36本の杉の苗木を奉納したとのこと。
透塀の右手にある<神楽殿>。
楼門に向かって右手にある<社務所>。御朱印はこちら。
参拝が終わって帰る時は、普通と逆で階段を登る。
総門をくぐって、石段を下りずに左手に進むと、末社群が一堂に祀られているエリアに出る。写真左から<二十二社>、<日枝神社>、<内宮>、<外宮>。
末社群の中心にある<日枝神社>。
こちらが<内宮>。
こちらが<外宮>。
参拝終了。当社はどこを写真で切り取っても絵になるので、一発でお気に入りの神社になってしまった。
当日は、初めての上野國の神社参拝ということで、当社オリジナル御朱印帳を上野國神社専用御朱印帳として購入。下り宮の楼門が描かれている。
すてき
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惣一郎1269投稿
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