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びしゃもんどう

毘沙門堂
群馬県 篠塚駅

毘沙門堂について

新田四天王の筆頭、篠塚伊賀守重広の居城であった篠塚城跡に建つ毘沙門堂
八幡神社と違い、こちらは道路に面しておらず、やや奥まった場所にある

写真

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毘沙門堂の基本情報

名称毘沙門堂
読み方びしゃもんどう
通称篠塚城跡
ホームページhttps://daishinji.net/shinozuka/profile.shtml

詳細情報

ご本尊《本尊》毘沙門天
宗旨・宗派-
創建時代不詳 鎌倉時代~南北朝時代
開山・開基篠塚伊賀守重広
ご由緒

新田義貞の忠臣、新田四天王の筆頭 篠塚伊賀守重広の居城である篠塚城の大手門付近に建つという御堂。
御堂自体の沿革は見つからなかったので、篠塚城の歴史を記す。
――――――――――――
【篠塚城の歴史】
元久二年(1205)6月23日、鎌倉幕府御家人 畠山重忠及び重秀父子が、北条義時率いる大軍に襲われ戦死。
菅谷館(埼玉県比企郡嵐山町)にいた家人の宮野友右衛門左近は、重秀の子とその母(足立遠元の子)を連れて碑文谷(東京都目黒区)に逃れた。
暫くして母子だけが母の実家である桶川の足立遠元屋敷に落ち着き、さらに承元二年(1208)同族の上野国守護である安達景盛に招かれて佐貫庄篠塚に移住。健保六年(1218)に元服して篠塚重興と称し、承久二年(1220)17歳で篠塚領主となる。

篠塚氏4代の嫡孫にして5代目篠塚城主が、新田義貞四天王として名を馳せた篠塚伊賀守重広である。
篠塚城は総面積3.5ヘクタールと広大であり、伊賀守の時には内濠と外濠とに囲まれた二重濠形式となった。
建武三年(1336年)3月、北朝方の上杉憲顕に攻略され落城となる。
現在は土壕の一部と八幡神社(戦後現在地に移転)、毘沙門堂(当時の大手門付近)が残っている。

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