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日向義民地蔵尊堂ではいただけません
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ひなたぎみんじぞうそんどう

日向義民地蔵尊堂
群馬県 多々良駅

御朱印について御朱印
-
パーキング
駐車場
なし

なし

日向義民地蔵尊堂について

江戸時代、「目こぼれ」と称する賄賂の免除嘆願の直訴を行い、周辺六十ヶ村の人々を救い処刑された小沼庄左衛門ら18人の義民を供養する地蔵尊。

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くし
くし
2025年01月14日(火)
1583投稿

この辺りの群馬側にどうしても一ヶ所拝んでみたいところがあり、再び矢場川を渡って脱北w 国道122号線沿いにこの義民地蔵があります。

徳川綱吉がまだ館林藩主だった頃、年貢徴収の役人が「目こぼし」と称して年貢を少し多くチョロまかす、いわゆる賄賂を取ってたそうです💸
これに耐えかねた館林藩領六十ヶ村の代表として、小沼庄左衛門ら18人が、まず館林城に目こぼし免除を訴えるも聞き届けられず🏯❌
やむなく江戸表に出て直訴し、訴えは聞き届けられるも、直訴は御法度だったため、館林藩に引き渡されこの日向にあった刑場で磔にされてしまいした😫
その後、救われた六十ヶ村の村民が、庄左衛門と18人の義民を称え供養するために刑場跡に建てたのがこのお地蔵様です🙏

・・・現実には暴れん坊将軍も水戸黄門も現れませんな😓 特に水戸黄門なんてモロに徳川綱吉ごろの時代設定なのに(^^;
「助さん格さん(百姓を)懲らしめてやりなさい!👊💥」

「英雄崇拝」というものを考えるとき、東照大権現とか豊国大明神とかもいいですけど、私はこういう義民や義人こそ崇められるべきだと思います🙏
考えてみれば家康とか秀吉の神格化なんて、スターリンやどこかの北の将軍様の個人崇拝と大して変わらないしね(暴言かな?💧w)
いやもちろん、そういう天下を取った人の、力・運・権力・栄華なんかにあやかりたい😍って信仰もわかるので、日光東照宮とか豊国神社に参拝する人の否定もしませんよwww

意外なことに、ここには授与品がありました⁉️😳
ただこの辺に住んでた時、ここに人がいるのを見たことがない(^^; 
調べてみたところ、5年に一度4月に供養祭が行われるそうでどうもその日限定ではないかと・・・😖
ちなみにネット上で出てきたのは2015年の記事で、なぜか2020年は見つからず(コロナで休止?)
この情報が正しければ奇しくも今年は開催年に当たるわけですが、残念ながら祭礼日が4月ということまではわかったものの日にちがわからず😣 4月までに掴めるかどうかわかりませんが、もうちょっと調べてみようかと思います。

【追記】
有力情報を掴みました💡 4月じゃなくて旧暦の2月15日に供養祭が行われてるらしい。
新暦換算だと今年は3月14日、行くかどうか検討中です💫

日向義民地蔵尊堂(群馬県)

国道122号沿い、側道との三叉路にあります
ここは日向刑場という館林藩のはりつけ場だったらしい😰

日向義民地蔵尊堂(群馬県)

上毛カルタ・・・いや、もっとローカルな館林カルタか(^^;
ちなみに上毛カルタの「て」も天下の大義人と呼ばれる杉木茂左衛門という月夜野方面の義民になってるそうで、意識的に揃えたのかもしれません👍

日向義民地蔵尊堂(群馬県)

小沼庄左衛門ら18人の義民を供養する地蔵尊

日向義民地蔵尊堂(群馬県)

なんと意外なことに授与所あり⁉️

日向義民地蔵尊堂(群馬県)

お札、お守りなどがありました(御朱印は見当たらず)
普段人がいるのを見たことがないので、5年に1度行われるという供養祭の時だけ入手可か?😥

日向義民地蔵尊堂(群馬県)

裏に八坂大神という神社もありました⛩️
どこかに田舎によくあるキリスト看板が貼ってあるという情報もあったのですが見当たらず✝️w
あと二軒隣りに墓石屋があり、義民地蔵とは全く関係ありませんが石仏が多数並んでますwww

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名称日向義民地蔵尊堂
読み方ひなたぎみんじぞうそんどう

詳細情報

ご本尊《本尊》地蔵菩薩・小沼庄左衛門ら義民18名
《境内社》八坂大神
宗旨・宗派
創建時代元禄十七年(1704年)
開山・開基周辺六十ヶ村の村民
ご由緒

寛文元年(1661年)徳川綱吉が25万石で館林城主になった。
このときの館林藩の城付の領地は、上野国館林領から新田領、桐生領、下野国佐野領、足利領までに及んだ。
綱吉は、寛文から宝永年間にかけて、領地全域の検地をおこない年貢の増収を計ったが、こうしたなか、延宝三年(1675)の冬、領内の台之郷、石原、富田(現在は太田市域)などの村で年貢徴収にあたり、役人が「目こぼれ」と称し、年貢米一俵が三斗五升のところを一斗余分に徴収するという事件が起こった。
これに対し、山田郡台之郷村(太田市)の小沼庄左衛門、森尻右馬上允、栗原四郎兵衛。石原村(太田市)の栗原三左衛門。富田村(足利市)の小沼久四郎をはじめとする18名の名主たちが代表となって、台之郷村の安楽寺で血判連署した訴状をしたため、館林城に赴いて「目こぼれ」分の免除を嘆願するも聞き入れられなかった。
このため、やむなく百姓総代として小沼庄左衛門ら18人は江戸に上って幕府に直訴を行い、これによって農民救済の願いはかなったが、当時ご法度であった直訴を行った首謀者として18名は捕らえられ館林藩に引き渡され、延宝四年(1676)当地 日向刑場に処刑された。
その後、元禄十七年(宝永元年・1704)農民の犠牲となって処刑された18名への報謝の意を込め、その冥福を祈るため、日向村をはじめとする周辺の60数か村の村民により一体の地蔵尊が造られ、供養されてきた。以後「義民地蔵」と呼ばれている。
庄左衛門ら18人が密議を凝らし、願書をしたためた安楽寺は「願書寺」と呼ばれ、18人の処刑とともに閉所となったが、後に旧地の東隣に再興されて現在の「岩松寺」となっている。

【庄左衛門の娘】
首謀者・小沼庄左衛門の家族が皆殺しになると聞いた農民たちは、命を懸けて自分たちを救ってくれた庄左衛門の幼い娘だけはなんとしても助けようと大きな籠に入れて、行法院(不明、当時台之郷にあった修験寺「行宝院」(廃寺)の可能性あり)境内の藪中の古井戸に吊し匿ったという。

【日向刑場】
里道と県道との分岐点が三角形の雑木林となっていて、かつて里人は「はりつけ場」と呼んでいた。
「日向實記(ひゅうがじっき)」によると、延寶4年(1676年)2月15日、小沼庄左エ門等ら義民18名の首を並べて磔刑に処した場所であるという。当時は領主をはばかって、犠牲者に花をささげる自由を得なかったとあるが、間もなく館林は廃城となり代官支配となると、義民のために地蔵尊を建立してその冥福を祈ったという。
地蔵尊は今は、同村字一の共同墓地にうつされてあるが、これによると、元禄17年(1704年)2月15日に建立されたことが分かる。
日向刑場における伝えられている事はこれ以上の他は何もないとある。この場所の他に、青柳刑場(館林市青柳町)があるわけであるが、日向村に刑場を設けたのちに、天和、貞享の頃(徳川綱吉の頃)に青柳村に移転したものと想像される。

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